剣花伝

□第一章 咲き初めに
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 八重に追いついた高遠だったが、声を掛けて良いものか迷っていた。本来ならばこうしてすぐ近くを歩くことすら許されないような方なのだ。どうしたものかと、庭へ目を向けた。
 陽を受けて、しらしらと輝く大きな池。その池を囲む木立や野草。池に浮かぶ中島には朱色の高欄をもつそり橋や平橋が掛けられていた。綻び始めた花の、白や薄紅の色がちらほらと庭のそこかしこに見られる。もう、春はすぐ近くまでやってきていた。
 ふと、中島の中央に立つ、葉も花もつけていない一本の木が目に入った。
 まっすぐ伸びた幹。空に向かって広げた枝。いまだ固い蕾のままだが、凛と立つその姿に何故か心惹かれる。

「あれは八重桜じゃ。一重の桜が咲き終えた頃に花開く」

 気がつかない内に立ち止まっていたようだ。前を歩いていたはずの八重が、隣にいて驚く。

「姫…。そうですか、姫と同じ名でござりますね。では、咲いたときは姫のように美しうござりましょう」
「……高遠は、詩(うた)を詠(よ)むのか?」
「はい?あ、いえ、まさか。私にそのような才はありませぬ」
「そうか……」

 再び歩き始めた八重の後を追うが、問いの意味が分からない。高遠は首を傾げた。
 東に位置する対屋に着くと、二人の女房がすでに控えていた。一人は先ほど高遠を兼光の前まで案内した、橘という女性だ。もう一人の名前は分からないが、年の頃は八重と同じくらいだろうか。幼さを残した顔立ちだ。その女房に座るよう促されて、高遠は廂に用意された円座に腰を下ろした。
 八重は茵に座すと、扇を鳴らす。
 格子をくぐってやってきた舎人の手にある物を見とめて、高遠は目を細めた。
 ごとりと、重い音をさせて簀子の上に置かれたのは、美しい装飾の施された一口(ひとふり)の優美な白造太刀(しらづくりのたち)だ。全体を黒漆で塗り込められているが、金具の所だけ塗りこめられていない、珍しい造りをしている。

「これを高遠に授ける」
「これは……」
「我が藤森家に代々伝わる霊剣じゃ。名を、国杜剣(くにもりのつるぎ)と言う。妖や物の気を断ち、浄化する力があるそうじゃ」

 太刀を見つめながら問う。

「そのような物を、何故私に?」
「昨夜の争いで、高遠の太刀は折れておったゆえ。それに私をこれから守る為には、このくらいの力は必要であろう」

 太刀から視線を外して、高遠は静かに首を横へ振った。

「私にはいただけませぬ。このような大層な物、私には不相応という物でござりましょう」
「それを決めるのは高遠では無い。私がその価値があると思うたのじゃ」

 存外に強い声音だった。だが、八重の面は無表情なまま。どんな感情も映ってはいない。

「姫……」
「それとも、高遠は鬼姫と呼ばれる私が恐ろしいか?なれば私も、無理に護衛をせよとは言わぬ」

 八重の言葉に、一瞬、頭が熱くなった。太刀を受け取らなかった事が、護衛までも拒否しているのだと勘違いされている。それも、高遠の望まない方向でだ。

「私が、八重様を恐ろしいなどと思うはずがありませぬ。護衛も、嫌だなどと思いもいたしておりませぬ」

 高遠の強い口調に、さすがの八重も目を開く。言い切ってから高遠は、はっとした。

「や、これはかたじけのうござりまする」

 高遠は赤面した。つい感情的になってしまった自分が恥ずかしい。

「……そうか」

 そんな高遠を気にする風(ふう)もなく、八重は静かに立ち上がると高遠の前へ膝をつく。両手で国杜剣を持ち上げると、高遠へと差し出した。

「なれば高遠、国杜剣はそなたの物じゃ」

 目前に差し出された太刀を、高遠は食い入るように見つめた。
 覚悟を、決めなくてはならない。
 否。八重の為に命を捨てる覚悟ならば、この命に代えても守るという覚悟ならば、とうの昔に出来ている。
 高遠は、差し出された国杜剣を左手でしっかりと握った。八重が手を離すと、ずしりと重い感触が腕に感じられる。そのまま己の前まで持ってきて、右手で刀身を引き抜いた。二人の女房が、息を飲む気配が伝わってくる。だが特に気にも留めず、顕わになった刀身を見つめた。
 片刃に、刃文は直刃(すぐは)。反りはほとんど無く、珍しい形だ。傷一つ無く滑らかな刃は、吸い込まれそうな程に美しい。
高遠は、しらと輝く刀身に己を映した。険しい顔をした己と目が合う。しばらく見つめた後、高遠は瞳を閉じると、鍔鳴(つばな)りを響かせて太刀を鞘へ収めた。
そうして八重へ平伏する。

「謹んで頂戴仕る。この身果てても姫をお守り致す事、ここに誓い申し上げる。」



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