RED−MOON
□Act.1
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▽ One Day
空を見上げれば、真っ黒な闇が広がっていた。唯一、満ちた月だけが赤みを帯びた光を地上に降り注いでいる。こんな日は嫌な事が起こるのだと誰かが言っていたのを思い出した。どこで聞いたのか忘れてしまったが。
じわじわと吹き出す汗を拭う事もせず少女は一人、路地にいた。
煌々と灯った街灯が路地を照らし、存在を主張するかのように古びた自販機が白熱灯を灯している。薄闇に浮かんだ自販機の前で、少女は険しい顔をしていた。
肩より上に短く切られた、艶やかな黒い髪。黒曜石の様な瞳は、不機嫌さをあらわにしているが生命力に溢れている。
「うあーー、暑っっっっっつ!」
空を見上げたまま、少女は誰に言うでもなく言葉を零した。
本来ならばサラサラした彼女自慢の黒髪も、今は汗に濡れその輝きを失っている。そういえば、今日は今年一番の熱帯夜だとお天気お姉さんが言っていた。
同時に自分の部屋の事を思い浮かべて、少女は更に不機嫌な表情になる。
ボロアパートの一室を借りた6畳一間が少女の居城だ。人が一人住むには問題ない程の広さであり、快適な空間だった。ただ、一つの問題を除いては。
それは、不調を訴える科学の申し子――エアコン。
元々設置されていた家主からのサービスだが、この夏より寿命が訪れて恩恵は風のみ。いわゆる送風。涼しくも温かくもならないという、危機的状況に陥ってしまっていた。
憎らしげに空を見上げていた視線を自販機に戻す。少しでも涼しさを求めて外に出たが、まったく風の吹かないこの無風状態。これでは暑さを和らげる事は出来ない。
仕方なく冷たい飲み物で体を冷やす事にして、今に至るのだった。
「暑すぎてマジ死にそう。何飲もっかなあ」
答えてくれるはずのない自販機相手に言葉を零す。誰か通ったら変人扱い決定だ。
「炭酸でも飲むか」
少し迷った後、少女はコーラのボタンを押した。ガコン。という音と一緒に冷えたコーラが落ちてくる。手に取れば、その冷たさに暑さが幾分か和らいだ気がした。少女はそれを温くなってしまう前に一気に飲み干す。
「くあぁぁーー。マジ効く〜〜っ!やっぱ夏はコレっしょ!」
かなりおっさん臭いセリフを吐きながら、少し冷えた体とコーラの味を堪能していた時だ。
ソレは、起きた。
自販機を背に立つ少女の目の前に何かが降ってきた。
走ってきたのでも。
目前にそびえ立つフェンスを乗り越えて来たのでもなく。
読んで字の如く、降ってきたのだ。空から。
降ってきたソレは、たいした衝撃を感じさせない程柔らかく着地する。その瞬間、ソレが人である事に気が付いた。
「……すげー」
なんだか驚く場所が違う気がするが。少女は口を開けて、降ってきたその人を見つめた。くらくて影しか分からないが、体格から男なのだという事は分かった。
少女の声に気付くと、彼は顔を上げて立ち上がる。彼と目が合ってさらに驚いた。
月光を反射して淡く輝く、銀に近い金の髪。サファイアを思わせる、自ら輝きを放つ蒼い瞳。そして、透ける様な白い肌。一つ一つが繊細で、およそ欠点というものが見つからないように配置された造作。
ただ、美しいと思った。空を喰い尽す漆黒の闇も、奇妙に赤く輝く満月も。彼を祝福する為に存在している気さえしてくる。
けれど、この世の物とは思えない彼の美貌には感情の一切が窺えず、どこか空虚だった。
「……you」
「外国人!?」
またもや驚く所が違う気がするが。
冷静に考えれば金髪碧眼の人間は、外国人以外の何者でもないだろう。
「あー……。私、英語無理なんだけどなぁ」
返答に悩み、集中した少女は気付けなかった。
己の命の終わりの瞬間。迫る日常の終焉に。