中編

□Rosy ever after(完)
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朝になったマフェイドルは、自室で自分の瞼と格闘していた。
腫れ上がった瞼は間抜けな印象しか与えず、先に行ったベルゼーヴァに笑われた程だ。あの後部屋に彼が運んでくれたのはいいが、マフェイドルを寝かしつけて自分はきっと起きていたのだ。隈のある目がその証拠だった。
ぷくりと腫れた瞼をつついても萎む訳じゃない。諦めて前髪を下ろし、それで幾らかごまかすことにする。
どうせ指さされて笑われることになるのだが。
身支度の途中で扉が叩かれた。来客らしいその音に少しだけ困惑して

「少し待って」

ドレスを半分だけ着ている状態で扉を見た。幾ら手間が掛からないドレスを作って貰ったとはいえ、普通の町娘が着るような簡単なものではない。
なんとか着込んで扉に呼び掛けた。見苦しくないとは思うが、自信は無い。

「失礼します、陛下」

入って来たのはザギヴだった。
それだけではない。なにやらザギヴの背後には衣装箱が幾つか並んでいる。下がった所には士官が三人。

「ザギヴ、どうしたの?」
「先日注文された商品が届いています。その………皇帝、としての御召し物が」
「………え」
「注文破棄も考えましたが、流石にそれは出来ず………。一先ずお持ち致しました」
「忘れてたわ……。あれって代金先払いにしてたわよね……?」
「はい。それで、どちらにお持ちしましょう?」

衣装箱をひとつずつ抱えた士官とザギヴが部屋に入る。とりあえず隅に、と判断したマフェイドルが指示するが、その数七つ。
いきなり場所を潰してくれた衣装に頭が抱えるが、更に追い打ちが。

「陛下、その……昨日、ロイ様が昼にお見えになるという話を伺いましたが」
「え?……そうね、あぁ、でも別にいいのよ。アレはなんかベルゼーヴァが吐いた嘘って聞い」
「それが」

夜、泣きながらたっぷり説教してやったマフェイドルだった。
子供や敵相手じゃないんだから人の弱みをちくちくいたぶるなと。
それでなくとも、元老院は私に兄がいる事を隠しておきたがっているのだからと。
散々説教し、それが終わると泣きつかれて眠ってしまったマフェイドル。ベルゼーヴァはその体を担いで寝室まで運んだのだ。
昨晩の事を思い出していたマフェイドルだったが、ザギヴの表情が曇っていたので首を傾げた。
『本当か解らないから用意は適当でいいわ』と言っていたマフェイドル。まさかこんな事態になるとは知らずに。

「……未確認の報告ですが、昨晩ロイ様に似た人物が宿に部屋をとっている、と」
「え」
「奥方様と思われる女性と、幼い子供も何人か……」

士官が荷物を積み終わり、頭を下げて廊下に出た。廊下で待機するように指示があったのか、開いた扉の向こうで士官がマフェイドルを見ないようにして揃って立っている。
マフェイドルの表情が青くなる。

「謁見申請は?」
「まだ来ていません」
「じゅ、準備は?」
「八割方完了しております。しかし、奥方様やお子様達の準備まではまだ……」

ザギヴのその報告の最中だった。

「陛下、失礼致します!!」

半ば駆けるようにして部屋へ飛び込んで来たのはベルゼーヴァ。
手にはなにやら便箋を持っている。それだけで、マフェイドルは卒倒しそうなまでに倒れかけていた。

「今朝方、政庁に手紙が……。今、エンシャントの宿に居ると」
「……お兄ちゃんからでしょう」

来る時は先に連絡をしろ、と常々言っていた。なのにそんな妹の言葉を軽々無視してあの兄は一体何を考えているんだ。
執務だってこちらの予定があるというのに、今日の最初の仕事は日程と睨み合いして時間を割く事から始まるなんて。
それでも夜にいきなり押しかけるより、一泊宿をとるあたりが遠慮を見せている様子ではあるが。

「……政庁に上がる、って?」
「日が昇れば謁見申請を貰いに行く、と。申請にそれらしきものが着き次第、私に回すように伝えてあります」
「まさか貴方の預言通りになるなんてね」
「預言など……」
「ベルゼーヴァ、ちょっと日程整えてくれない?午前中に出来るものを午後から全部繰り上げて。ザギヴ、お客様が見える事を皆に伝えて」
「はっ」
「畏まりました」

簡単に指示を出すと、自分は溜息を吐きながら身支度を整える為に奥へと引っ込んだ。
昨日ベルゼーヴァが言っていたのは『明日の昼』だ。このままでは本当にあの嘘の通りになる。
何にしろ、午前中は激務になる可能性大だった。男だった時にサボり過ぎた執務の数々、今日は重要な案件を片付けるはずだったのに。





「…………いや、本当に申し訳ないと思っているよ。けれど、郵便を出す近くの村の人が最近魔物に襲われて骨を折ってしまったらしくてね」
「………………………………。」
「かと言って、それ以外の村に行くくらいなら直接行った方が早いと、思って、……」
「………。で?」
「………マフェイドル、瞼が腫れているよ」
「最期の言葉はそれでおしまい?」


その日、謁見申請の一番最後の人間は昼に回されていた。重要人物待遇のその者達は一組の男女と子供が二人。それも、片方は二歳程度の黒髪の女の子。片方は産まれて間もない小さな赤子だ。
四将軍のうち三人と宰相、それから皇帝だけの謁見の間。膝をついたままの男と、それを睨む皇帝。

「お兄ちゃん、早いか遅いかの問題じゃないのよね。こっちにも都合ってものがあるの。あったの。無理矢理都合つけたのよ」
「そ、そうか」
「そうか、じゃないわよ」

男の訪問理由は二つあった。
噂で聞いた『女帝危篤』。兄である以上本気で心配していたのだ。しかしそれを女帝は「事実なら一番に誰か報告に行かせるわよ」で切り捨てた。

「……お義姉さんもその子達も一緒なのよ。用件が解れば誰かを送ってたわ、危ないもの」

二つめの理由は、新しい命の誕生にあった。
滅んだ村の復興を掲げる夫婦は、精霊に祝福されるかのように子をもうけている。他にも上の子達がいるが、今回は村の人に預けて来ているらしい。
新しい命は母親の腕の中で静かに眠る、色素濃いめの茶の髪。

「いやー、可愛いねぇ。掌小さいよ」

笑顔のカルラは一行に近寄って赤子を眺めている。その手は黒髪の女の子の頭を撫でながら。
オイフェとザギヴも微笑みを浮かべている。赤子というものは存在だけで空気を和ませる事ができるらしい。

「私が無理を言ったのです。ロイのせいではありません」

母親、シェスターが静かな声で言った。
アカデミーを首席で卒業した程に知的で美人なそのロイの妻は、歳を重ねても綺麗なままだ。
義姉の言葉となれば、マフェイドルだって無視は出来ない。困ったように眉を下げる。

「……確かに、姪や甥に会うのは私も嬉しいです、お義姉さん。けど、無理だけはどうか止めてください」

マフェイドルが立ち上がる。歩いて向かうのはそんな一行の前。
赤子を差し出されると、慣れた手つきで抱き上げた。よく見れば顔は兄似だ。

「私が行くことだって、出来るんですから」

小さな掌を指で擽ると、眠っているはずなのに指を握ってくる。
マフェイドルの表情が綻んだ。

「かわいいー……。名前は決めてあるのですか?」
「ああ、村の人にね。良い名を貰ったよ」
「男の子?女の子?」
「男の子です。将来はロイに似て、たくましく育つでしょう」

穏やかな兄妹達の会話。それを見ていたベルゼーヴァも近寄る。
ベルゼーヴァが赤子の顔を覗き込んだ瞬間、その丸い瞳が開く。
―――途端、声をあげて泣いた。

「………!!」

なにげにショックを受けたらしいベルゼーヴァ。
マフェイドルがシェスターに赤子を返すと、次はベルゼーヴァを慰めに入る。

「ベルゼーヴァ、子供は泣くのが仕事なのよ。仕事熱心でいいじゃない」
「……最初に見られたものが泣き顔だ。元々、私は子供に好かれる性質ではない」
「ああもう」

子供というのは、時に残酷だ。
しょげている様子のベルゼーヴァを見て、少しだけ将来が心配になった。同時に、安心もした。
これなら良い親になるのだろう。子供の事を案じ、自分の事も顧みれる優しい親に。
兄夫婦一行に振り返ったマフェイドルが、笑顔を浮かべた。

「でも、ある意味良い時に来てくれたねお兄ちゃん」
「? 何がだい?」
「……ええとね」

笑顔を浮かべたまま、ベルゼーヴァの腕を掴んだ。少しの力でそれを引く。

「……お兄ちゃんにも、弟ができることになるの」
「――――それって」
「同い年の弟ってなんか変だろうけど、……そ、そういう事、なの」

腕を引かれたベルゼーヴァも少し驚いているようだった。将軍達も。
けれどベルゼーヴァは改めてロイに向き直ると、咳ばらいをしながら瞼を伏せた。

「……君を改めて呼ぶには今更過ぎるが……、漸くその気になってくれたのでな」
「本当、かい?ベルゼーヴァ」
「ああ。……これからも付き合いは切れそうにないな、『兄上』」

ロイにも笑顔が浮かぶ。この二人の恋愛模様を近くで見続けた一人だ、喜びもひとしおだろう。
シェスターは二人の子供をあやしながら、その丸い瞳に幸せそうな二人の姿を映させた。

「見てご覧なさい。あなたたちの叔母様と、その旦那様よ」

シェスターも笑顔だった。
暫くの放心の後には、三人の将軍も笑みを浮かべていた。

独身の女帝としてマフェイドルが君臨していたこの数年、けれど二人にはお互い以上の異性なんていなかった。
それが一時同性になっても、お互い以上に愛しい人なんて存在しなかった。

少々長い時間がかかってしまったが、これでもう離れる事はないのだろうと、そんな予感さえする。
二人が手を繋ぐ。幸せそうな表情を浮かべて。

「私達の子供が産まれたら、お兄ちゃんが名付け親になってね?」
「……ああ、任せろ」

騒がしくてはた迷惑、そんな二人があるべき形へ。
『皇配殿下』の衣装は誂えたように既にある。サイズは考える必要など無いだろう。
あの日、半月に渡って起きた事は、実際に見た者達だけの秘密だ。

笑顔のマフェイドルに、無表情でもどこか嬉しそうなベルゼーヴァ。
出逢って幾度めかの騒動で、漸く閉じていた蕾が咲き誇った。







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