中編

□Rosy ever after
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鐘が鳴る。

遠くに聞こえる、士官の就寝時間を伝える鐘の音を聞きながら、マフェイドルは終業の用意をしていた。窓の外を見れば、時間は深夜に近い為か明かりも無い。

戻った事を、あまり多くの人間には知られたくなかった。将軍、それから幾人かの口が固い者達。少なくとも、宰相の耳に届かないならそれでいい。
カルラにはああ言ったが、本当は恐かった。あの日の別れのような言葉が、あれが本音だったらどうしよう?女に戻って、もう心配も無くなった今になっても彼の興味が失せていたら。
無い、とは言えない。本人から話も聞いてない。けれど逢ってその事実を受け入れざるを得なくなったなら、きっともう普通に生きていられない。
生きながらの離別を夢に見て、慟哭で目覚める程だ。あの時の苦しみを思い出してマフェイドルが胸に手をあてる。
今も昔も、彼に縛られている自分が少しだけ情けなく思えた。





「宰相、渡して来たよ」

そして鐘が鳴る同じ時刻、カルラがベルゼーヴァの執務室を訪ねていた。

「そうか」

さして興味もなさそうに返したベルゼーヴァだが、カルラはそれが意識してそうしているのだと気付いていた。
ベルゼーヴァが見ているのは書類だ。しかし、書類を捲る手は先程から止まったままだ。カルラの言葉を待っているのだろう。

「……、陛下の事だけど」
「………。」
「なんで?宰相、陛下怒らせるような事した?」

カルラが届けた、と言ったロイへの手紙。あれは勿論ベルゼーヴァの嘘だ。ロイはこの事態を何も知らないだろう。
ベルゼーヴァはマフェイドルを反省させたかった。それが多少悪質な嘘だとしても。

「怒るのはこちらだ。子供でもあのような真似はしない、私を見くびり侮るなど百年早い」
「………そう、それで泣きを見ないといいけれど」

カルラは二人が許せなかった。
だから、嘘を吐く。
いや、嘘ではない。ただ、真実を伝えないだけで。

「陛下、覚悟決めるって。結婚するんだってよ」

その言葉に、ベルゼーヴァの顔色が変わる。

「結婚、……?」
「気にしてんだろうね、陛下も。女だった時でもディンガルの血を引かないから色々摩擦で大変だったじゃん?新しい後ろ盾が必要になったって思ったんじゃないの?よく知らないけど」
「馬鹿な、その必要は」
「見捨てたも同然じゃん、宰相のあの手紙。」

カルラが冷たい口調でベルゼーヴァを責めた。ベルゼーヴァは何も言えない。
もう既に女性に戻っている事は伝えない。結婚したいと言っている相手がベルゼーヴァである事も。

「……陛下は女性だ」
「宰相も見たでしょ、あれは立派な男だったよ」
「私の、……ものだ」
「陛下は『顔も見たくない』、んだっけ?」

冷徹を装うベルゼーヴァの表情が見る間に強張る。有り得ないと信じている反面、まさかと疑っている。
カルラは少しだけ笑う。こんなに想い合っていながら、何故素直に繋がれないのか。お互いがお互いにしか興味がないのに、何故少しの揺さ振りで不安になる位、信じていられないのか。

「陛下は今までの陛下じゃないよ。いつまでも宰相を一番に考えないよ」

織り交ぜるのは故意の誤認と、少しの真実。鉄の男が、何故彼女にだけこんなに脆い。
マフェイドルはこの男にとって、弱みそのものだった。逆の立場でもそれが言えるのに、何故こんなに反発しあう。

「………有り得、ない……」

それでも頑なに受け入れないのは、昔に誓った永遠を信じているからか。

「カルラ、私を弄するなど叶わないと知れ。……二度は無い」

表情青くしている癖に。その頑なさにはカルラが眉間に皺を寄せた。
口にする事で信じたいだけだろう。ベルゼーヴァには、カルラの言葉を嘘だと頭から突っぱねる事も出来ないはずだ。

「随分な言い草ね。忠告してやったってのにさ」

ベルゼーヴァがマフェイドルに持つ、絶対の信頼。それを垣間見た気がしてカルラが僅かに震えた。
相手の何をも許容し、それ以外の全てを拒む。もしベルゼーヴァが裏切られた時、この男は何をするだろう?
カルラはそれを知りたかった。けれど、どうしたって知る事が出来そうにない。

「私からは以上よ。本当の事が知りたかったら直接会いに行きなさいな」

どちらにも恋愛感情など欠片も抱いていない筈のカルラが、少しだけどちらにでもなく嫉妬していた。





「そうそう、………貴方でしょ。ありがとう」

書類を全て纏め終わった後、執務室を出るだけの段階になり、マフェイドルが机の横、誰も居ない部屋で呟いた。
瞳はどこを見ている訳でもない。しかし、礼を言われたその姿が視界の端に現れた。

「何の事だ」
「私が倒れた時、馬車まで運んでくれたんでしょ?」
「…………。あのニンゲンでは運べなかった故、手を貸したまで。そのまま騒ぎ立てられては困ろう?」
「困るのは私だけ。……私が珍しく感謝してるのよ、有り難く受け取りなさい」

青を纏う暴君。
二匹の蛇も今日は機嫌がいいらしく、ザハクの肩に頭を乗せて動かない。警戒するような様子もなく、ただマフェイドルを見ていた。

「……まぁ、貴方からしてみれば、状況はよくないかも知れないけれど」
「何故だ?」
「聞いてたんでしょう?……私が、ベルゼーヴァに求婚するの。応えてくれるのかはまだ解らないけど」

ザハクの心を知っていて、それでも平然と口にするマフェイドル。ザハクの忠義の意味を知らない訳ではない。
応える事はないと、マフェイドルはベルゼーヴァを愛していると知っていて今日まで側にいたザハク。マフェイドルの言葉を聞いても、表情を変える事は無い。

「ああ、言っていたな」
「それだけ?」
「あの人間崩れが、主より永く生きられる訳がなかろう?主の屍は我のものだと宣言してある、主が死してからは我の領分だ。生ある短い時間くらい、闇太子にくれてやっても問題は無い」
「……せめて腐らないようにしてね。」

きっと未来までも、消える事は決してない魔人。マフェイドルは最早ヒトではない。恐らくはベルゼーヴァが先に死に、マフェイドル自身の寿命も幾らになるのかは解らない。
それでも構わないと言う、仮染めの忠義に報いる方法はひとつしか無かった。

「……拒絶されたら即行死んでやるから、後は自由になさいな」
「あの者が後を追う可能性は考えぬのか?」
「ハ、絶対無い。私の為に泣く事も無い男よ。……だから、玉砕覚悟で求婚するしかない。あ、でも」

一転、マフェイドルの表情が思い詰めたものに変わる。

「求婚って男性からのを待つのが普通よね。どうしよう、引かれたりしないかな」
「………。何故我に聞く?」
「先達の意見をね。年齢だけなら神聖歴より上なんでしょ?」
「それを我に聞くか、………」

暫くマフェイドルの表情を眺めていたザハクだが、不意に何かを思い立ったようだ。
急に細い腕を引き、その体を胸に抱き留める。あまりに急で、マフェイドルは逆らう事もできなかった。

「……ザハク、え、何?」
「暫く静かにしていろ、……来るぞ」

ザハクがマフェイドルを庇うように、扉に背を向けた。何の事か全く解らなかったマフェイドルだが、耳を澄ませば何か空気が震えている。ちりちりと肌を灼くような感覚に、それが精霊の悲鳴なのだと気付いた。
嫌な予感。
こういう感覚はたいてい、馬鹿みたいな魔力を持つ人間の負の感情によって起きている。

扉が勢いよく開いた。

「陛下、お話、……が、……」

聞こえた声はベルゼーヴァだ。一瞬でマフェイドルの血の気が引く。
声をあげようとしたマフェイドルだが、ザハクの手が唇を覆う。

「遅い登場だな、闇太子」

ザハクがそんな事を言った瞬間、その体がマフェイドルを抱いたまま宙を舞った。マフェイドルが視界に捉える事ができたものは、空気を裂いた銀色の一閃のみだった。

ヤバい、殺される。

ザハクの腕の中で、一刻も早く逃げ出したいのに離してくれない。このままだと魔人と仲良く一刀両断だ。
双剣を構える音だけ聞こえる。

早く離せと怨みを込めてザハクを睨みつけたが、彼はただ笑っているだけだった。







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