中編

□Rosy ever after
1ページ/1ページ


重苦しい政庁の雰囲気が一変したのが、明け方の頃だ。
その藍色が見える頃、まず門番ふたりが目を剥いた。そして膝をついて臣下の礼を取り、その姿の為に道を開けた。

「………朝早くから、ご苦労様。けれど、『偽物』だったらどうするつもりでいて?」

微笑むマフェイドルだが目が笑っていない。見送りについて来たベルライン邸の小間使いが汗を一筋垂らす。


一晩の間に元の体に戻ったマフェイドルは、まず最初に食事を要求した。半月に近い期間飲まず食わずだった体はまず、空腹で寝台から転げ落ちた。
メイド長の助けで食事を用意して貰い、それを全て平らげて漸く落ち着いた。幸いにも身嗜み部分は気にする所が無かったが、湯を借りて体を清めた。
驚いたのは服で、湯から上がる時には質の良い藍色のドレスが用意されていたのだった。

『いつか袖を通して頂ける日を夢見ておりました』

とメイド長が言っていた。纏ったドレスは軽く、膨らみも控えめな割には足に纏わり付きにくい。礼を言って、それを着て帰る事にした。
よく事情を飲み込めてない、しかし剣はそれなりに使えるらしい新入りの小間使いを一人借りる事になった。それで帰路についたのだが


「……本当に、陛下だったのですね」

門番とのやり取りを見た小間使いが小さく呟いた。聞こえないと思っていたのかは不明だが、振り向くと肩を震わせていた。

「今日はありがとう、助かったわ……、お礼は今度で構わないかしら?今何も持ってなくて」
「いっ、いいえそんな、滅相もない!!」
「そう?……じゃあメイド長にお礼を伝えて。近いうちにまたお邪魔する、って」

頭を下げた小間使いがそそくさと帰っていく。その姿を肩越しに見送って、マフェイドルの目が門番に向いた。

「今日は通るわよ。連絡してない私が悪いから……、でも、次確認せず道開けたら怒るわよ」

横柄な物言い、しかし門番はもう一度頭を下げたままで畏縮している。政庁に入るのに多少の勇気が要ったが、踏み込んでしまえば足の向くまま向かうだけ。
勝手知ったる政庁内部、足が勝手に向かうのは自身の居住区だった。





そして、話は夜になる。

山となっていた執務を半分は片付けながら、男であった時の怠惰さが自分で苛立った。サインして判を押せば済む書類、それでも乾くまで待てば利き腕側面が汚れる事もなく、自分が男である時の性格の違いに気付いた。
男の場合は大雑把で積極的。
女の場合は几帳面で消極的。
どちらが良いのかは解らないが、仕事が出来ない自分を見る事は堪えられなかった。

「陛下ー?はーいーるーよー」

扉から声がした。ノックも聞こえたので了承する。
こんな時間に珍しい、と思いながらまだ視線は書類に向けたままだ。

「陛下、こんな時間まで熱心だね」

カルラだった。
ちらりと視線を向けるが、手には書類が無い。新たな仕事が無いという安堵で顔を上げる。

「どうしたのカルラ。珍しいわね」
「あー、やっぱり陛下はそうでなくちゃねー。肩幅広いのが出迎えるとか、いくらこう、格好可愛い男でもさぁ」
「……格好可愛い?今は戻ってるけど、………あんまり言われたくないわ」

可愛い、というのは微妙に上から目線なカルラの褒め言葉ではあるが、男として言われる屈辱を初めて味わった。

「それで?カルラ、用があるんじゃないの?」

話を変えた。即座に反応したカルラが何かを取り出す。
取り出したのは紙だった。何事か書き付けてあるそれを受け取り開いた。

「……………!!?」

中に書いてあるのは、見間違えるはずのないベルゼーヴァの字。
内容はこうだ。

『親愛なる皇帝陛下

貴方が行方不明の間、捜索の件で貴方のご兄弟に協力を仰ぎました。
戻っていらっしゃるようですが明日の昼には見えるそうなので、それまでにご用意を済ませて下さい。
貴方は私の顔も見たくないそうなので、心苦しいですが私から用意の指示は致しません。
尤も、貴方の現在の性別については何もお話していないのでその言い訳については私の知り得る所ではありませんが』

「余計な事してくれるんじゃないわよあの玉葱いぃぃいいぃ!!」

手紙を引き裂いた。
ご兄弟、といえば思い付くのは二組居る。実兄ロイとその妻シェスター、義兄レムオンとエスト。時間的に考えて、どちらかは明白だったが

「ごめん、手紙ロイに届けたの私。」
「カルラ、貴方は本当に減給が怖くないみたいよねぇ。いっそ半分にして財布軽くする?ん?」
「一応形式上は上司なんだから逆らえる訳ないっしょ」

カルラがとぼけた。しかしマフェイドルの瞳が疑っている。
大体おかしくないか?いなくなっていたのは一日程度だ。カルラを使いに出すと言ってもたかだか数時間探して居ない所で、実の兄に協力を要請するような人間かあの宰相は?
その疑問を口に出そうとした瞬間

「宰相からの手紙読んだ直後のロイってば、笑うんだよ。『何かまた喧嘩したのかな』って」
「………………。」

マフェイドルが沈黙した。『また』という辺りがロイが言いそうな言葉そのままだった。
自分がいなかった時の事情は何も解らないぶん、追求も出来ない。それに、今はベルゼーヴァの手紙の一文が気になった。

「……まだ、私が『戻った』って知らないのよね」

性別の事を気にしているというのは間違いない。体調も体調だった。今も全快という訳ではない。会いに行く事を控えていたらこれだ。
この手紙が本当なら相当早まった事をしてくれているが、なにしろあの宰相だ。ひとつの仕掛けに十の罠を付随させているかも知れない。

「ねぇ、カルラ。」
「なに?」
「謝ったらなんとかなる、かな?」
「謝るだけで許す男?味方であれ気に入らない奴は首獲りかねないのに?」
「……そうよね、私はこないだ腕一本って言われたわね」

知的な振る舞いに暴君まがいの非道を隠す男だ、いくらマフェイドルとはいえ簡単に許すとは思わない。
思い直したマフェイドルが溜息を吐いた。

「やる事が先手打ちすぎなのよね。お兄ちゃん一人くらいならなんとか応対できるけど、皆に話通したり客室の準備したり……。今から全部私にさせるって言うの?」
「陛下の言い草は相当悪かったじゃないよ」
「……私のせいだけじゃないもの。だいたい」

呟いてマフェイドルが自分の体に視線を落とす。藍色のドレスを着た女性の体が目に入った。

「覚悟、決めようって思ってずっと悩んでるのに」
「………え?」
「男になっても好きだって言ってくれたのよ?……あんな、秩序の固まりみたいな堅物朴念仁が。結婚しない、なんて頑張って来たけど……駄目、やっぱり好き」

いきなり始まった惚気にカルラがうんざりした表情を返す。この女帝の惚気は、一昼夜語り終えたらまた一から同じ話が始まる程だ。事実婚との話もある位の女帝のベタ惚れは有名すぎる。

「……なに、結婚すんの?」
「私が覚悟決めたら、私から求婚しようって思ってる。ベルゼーヴァには一度させて断ってるのよ、私から求婚した方が政治の色々な摩擦も少ないから良いと思うんだけど」
「…………………。本当頭春色ねぇ陛下」

熱に浮されたような発言だが、これが今まで何年も続いているのが驚きだ。

「だって……。あれだけ私の事で苦しんでくれる人なのよ?あの表情見ると、私………」
「……。」
「………もっと、あの顔が私の為に苦しんで歪む所見たくなるじゃない」
「え」

その呟きに、カルラが肩を震わせた。静かな声色には熱も篭っている、とうてい冗談だとは思えない。
嗜虐被虐は二人の間では一方向だと思っていたのが、まさかこんな側面があるなんて。

「ベルゼーヴァって忍耐強いから、あんな表情滅多に見せないのよね。それを私にだけ隠さないのよ?好きな人が私の為に苦しむって、……ゾクゾクする」

マフェイドルの表情に笑顔が浮かんだ。
怖い。
恋の熱を冷まさず質量も変えず、というならこんな変化までして保たねばならないのかとカルラがドン引く。

「……やっぱり、あんな玉葱好きな陛下も、こんな陛下が好きな玉葱も、どっちも解らないわ………」

どちらが感化されたのかは解らない。
けれど確実に二人は何かが変わっている。最初カルラがマフェイドルと出会った時、まだ垢抜けない天然混じった少女だったのに。
ベルゼーヴァといえば緑の血をしたディンガル版冷徹の貴公子。あれがまさか、赤い血に変わろうとは。

楽しそうにベルゼーヴァいびりを語るマフェイドルをそっと置いて、カルラが後退りしながら扉まで向かう。
察するに、昔のようにギスギスしなくて良い仲に戻るには時間は要らないようだ。







[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ