中編

□Sweet Rose
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その日だけは、体調不良を自分への言い訳にベルライン邸に泊まる事にした。
主は帰ってこないという、メイド長の言葉をすっかり信じきったマフェイドルも、ゆっくりと体を休める事にしている。

気を失っていたとはいえ充分眠れたマフェイドルは夜中に起きていた。
寝なければならないのは解っているものの、目が冴えて眠れない。好意でつけたままになっている長い蝋燭の明かりが揺れる。

「ザハク、居る?」

寝台から起き上がり名前を呼ぶものの、名前の主は居ないらしく変わらず静かだ。
簡単に姿を現す事ができないのかも知れない。この屋敷は魔人の記憶が新しいのだから。
それに半ば、いがみ合う相手である宰相の屋敷だからこそ入りたくないのかも知れない。
寝台から床へと足を下ろした。立ち上がろうとした時、視界の端で影が動くのが見えた。

「……ザハク?」

呼んだ時に傍にいたなら、すぐさま返事を返す男の名を何故呼んだのだろう。それ程にマフェイドルの思考には靄がかかり続けていた。
再度名を口にすれど、返事は無い。やがて見えたその全貌に、マフェイドルが口を噤んだ。

「まだ生きてるみたいで何よりだよ、マフェイドル」

虚無の子、シャリ。
再び現れるとは思っていなかった上、まさかこんな場所にまで来るなんて。マフェイドルが驚きを隠せないが、シャリは全て理解している様子で話を続ける。

「どう、その体。馴染んだ?」
「………馴染んでたけど最近は不調だよ。どういう事、不良品なら返品したいんだけど」
「不良品って……。それは元々君の体じゃないか」

突拍子もない事をぶちまけたシャリ。マフェイドルは意味が解らなくて目を剥いた。

「―――――――――は?」
「何度も言ったじゃない、マフェイドル。君『達』は生まれる以前から枝分かれした幾つもの未来があった。唯一生き残ったのは君だけだけど、君自身にも生まれる前から幾つも違う未来があった」
「………意味が、解らない」
「だからね、簡単に言えば。……君が『男』だった世界から、その体を引っ張って来たんだよ」

マフェイドルは理解しようとはしたが、一定の所で思考は止まった。結局完全には理解できない。
シャリの『運命と可能性』についての話は以前から聞いていたが、なんといってもすんなりとは理解したくないものではあった。

「人の行動の数だけ無限に未来はある。生まれるその前から、男か女かという『選択』から始まって。この話はファナティックを信仰する君なら解る話だろう?
 普通なら『異世界』とか『並行世界』とか言われる世界だけど、選ばれなかった消えた世界は死んだも同じ。その世界から、その体だけ回収したんだ」
「……………………ごめん、それ以上は解らない。本当にごめん解らない」
「別にいいよ君にはそんな理解力は期待してない。とにかく、その体に君のソウルと記憶を繋いで、なんとか稼働できてるだけなんだ。……その体は死体も同然だから」

またもや、シャリがとんでもない事を漏らした。

「死んだ未来は生きた未来に応じて姿を変える。その体のまま何か食べても睡眠をとっても、君が本当に『躯』としているのは君の本当の体だ。あっちの方は睡眠できたとしても、今の今まで殆ど栄養摂取なんてしてないよ」
「な、………!?」
「だから君は無意識に自身のソウルを削って体を生かしてる。だから、相当辛いでしょう?」
「それ、最初から解ってて………!!」

相変わらずのシャリの鬼畜ぶりには苛立たしさしか感じない。けれどシャリは更に面白そうな顔をして笑うだけ。

「僕は善悪に関わらず、方法にこだわらず、あらゆる願いを救う。君はそれを知って尚僕の手をとった。責められるのはお門違いだね?」
「……君が性悪なのは、昔から知ってたさ!」
「そうだね、マフェイドル。でも、どうしたい?」

シャリの声が、洒落っ気を帯びなくなった。笑顔さえないその人形じみた顔を見返す。

「君は男になった。次は?戻りたい?……『死にたい』?」
「………。」
「駄目だよ。駄目なんだよマフェイドル。君は決めきれていないんだ。死にたくない、けれど戻ってどうする?大人しく彼の求婚に応えればいいものを」
「………今更だよシャリ。どんな顔して会いに行けばいい?忘れる、って、言われた今更になって」
「あんな新人類紛いが有言実行できる訳ないじゃないか。彼の言葉、何個中何個実現した?ロストールでも陥落させてから言ってよね」
「……………シャリ、お願いだから彼には言わないでよ絶対に」

ベルゼーヴァをこき下ろす言葉を、せめてシャリが笑ったまま言ってくれたなら。ベルゼーヴァの目標を散々邪魔してきたのがマフェイドルなだけに、流石に笑えなかった。

「……マフェイドル、戻ろうよ。元の体に。」
「……シャリ、」
「君が決められる内に、君が決めてよ。何人の願いが君に向かってると思ってるの。君を心配してる人が何人いると思ってるの」
「……シャリから、そんな言葉が出るなんて思わなかった」
「僕は君を心配してない。けれど、僕は願いを叶える。だから君が頷いてくれなきゃ駄目なんだ」

願いを叶える自動人形。そこまで言われて、漸くマフェイドルが気づく。
他の誰かが強く願っているからこそ、今シャリがここにいる事を。

「……シャリのばか」
「……」
「シャリらしくないじゃないか、あんなに非道尽くした君の言葉なんて思えない」
「僕は善良にもなれるし、非道にもなれる。君がこれ以上駄々こねるなら、非道な方法だってあるんだよ」

シャリが手を伸ばし、マフェイドルを促した。

「その体で居続けるのは、限界だろう?」

説得なんてものじゃない言い草で、強制してるような態度で。
それでもマフェイドルだって、折れ時を知らない訳じゃない。

「……頼んでもいいのかい、シャリ」

伸ばしかけた手。迷うように掌を握り締めた。
『マフェイドル』のものだけど、自分の体じゃない。説明は解るようで解らない。別の世界から引っ張って来た、本当なら機能しない体。

この体でも、愛してくれる人がいた。
もう、あの時みたいに戻れるかは解らないけれど。

不毛な日々に戻りたくないと思っていても、愛して愛される幸せを再び味わってしまえば。

「シャリ」
「何?」
「もし私が男として生きていたなら、どんな未来になっていたんだろうね?」
「…………。さあね。君の事だから、それでも彼を好きになってたんじゃない?」

シャリの言葉に苦笑しながら手を伸ばす。伸ばした先に何があるのかは解らなかったけれど。
あれだけ眠くなかった筈、なのに瞼がゆっくりと落ちはじめる。
力が抜ける感覚、なのにシャリに伸ばした手は取られて、握り締められる冷たい温度。
知覚できるものはそれだけで、抗いがたい眠気に身を任せた。

「………おやすみ、マフェイドル。愛されてるね」

眠りに落ちたマフェイドルを抱き留め、シャリが微笑み

「それでも、君だけは願ってくれなかった。『女に戻りたい』より『男になりたい』の願いの方が強いなんて、普通有り得ないんだけどね?」

残念そうに、それだけ言って。







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