中編

□Sweet Rose
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窓から月が見える。窓には花が活けてある。

マフェイドルがぼんやりとでも意識を取り戻したのは、既に夜になってからだった。

「………あ、」

揺らいだ視界が定まって来る。頬に痛みを感じるが、鏡もないので何事かを確かめる術が無い。
起き上がる気力も無くて、ただ景色を見てるだけ。この場所が何処かを思い出す事も、もう出来ない。寝返りをうとうとして、部屋に人がいるのが見えた。

「お目覚めになりましたか?」

人の声は女性のものだ。ゆっくりと意識が覚醒していく。
感覚の全てが回復したのを知った。何しろ、次の瞬間には料理らしき良い香りがしたのを感じる。食欲らしい食欲は湧かないが、一口くらいは食べてみたいとは思った。

「……勝手ながら、麦粥を作って参りました。一口だけでも召し上がって下さい」

声の主はメイド長だ。ゆっくり体を起こすが、あまり力が入らない。
身を起こすと、メイド長が盆を運んでくる。温かい粥は湯気を出していて、なけなしの食欲をそそった。

「……美味しそう、だね」

スプーンを差し込んで、粥を救う。口に運んで咀嚼し、飲み込んだ。
……美味しい。しかし、喉奥を通る感覚が砂利のようで、少しだけ咳込んだ。勿論、そのような感覚は実際にある訳は無い。

「マフェイドル様!?」

咳込んだ後、水を渡された。水さえ三口くらいで盆に置く。

「………大丈夫。咳込んだだけだよ」
「……お医者様には、お見せになったのですか?」
「いや、医者なんて呼んでない。……見せられないだろう?……ああ、いや、それより」

食べない事をごまかすように、そっと盆を除けて問い掛ける。
食欲は、ない。困った事に、口にした粥がそのまま胃に溜まるような感覚さえ覚える。

「貴女がここまで運んでくれたのかい?―――ベルライン邸まで。」

既に見慣れた筈の景色。一瞬で気づけなかったのは不覚だが、意識が覚醒した今、この場所には懐かしさを感じている。
問い掛けたのはある意味『そうだ』という返事を期待しての事だったが、返ってきた返事は意外なものだった。

「………いいえ、私では……」
「え、……そうか、馬車を待たせていると言ったね、じゃあ御者か、付きのものがいたのか、」
「違います……正確には。確かに馬車から貴女様を運んだのは御者ではありますが、あの場所から貴女様を運んだのは、見知らぬ……」
「……それって」

メイド長の歯切れの悪さに、思い至るのは一人だった。出て来るなと言った者、なによりも煩わしい事を嫌う男。
それ以上の問い掛けは止めた。きっと『良からぬもの』の気配には気付いているはずだ、余計な心配をかける必要は無い。心配なら、マフェイドル自身の事だけで充分の筈だ。

「……そうか、心配かけたね。粥まで作ってもらって」
「本来ならば、将軍の方に伝えるべきなのでしょうけど……。街で、政庁の方々が数を集めて貴女様を探していらっしゃいますわ」

メイド長の言葉に肩を揺らした。思わず肩が恐怖に震えた。
探されてる。気づかれてしまった。ベルゼーヴァはどう思っているだろう、また呆れているのだろうか?

「お願い、言わないで。ベルゼーヴァには」
「……。」
「お願い、お願いお願いお願い!あの人には、知られたくない……これ以上、あの人の拒絶を聞きたくない!!」

彼に触れられないのは、苦しい。拒絶はもっと苦しい。
愛されないくらいなら死んだほうがマシだ。けれど、彼はそれすらも許してはくれないだろう。
隻眼の瞳が心配するようにマフェイドルを見る。

「マフェイドル様」
「お願い………、ベルゼーヴァには、言わないで……」
「………マフェイドル様」

惨めだった。
男の姿で尚、女の心を持ち、男に今でも縋り付く。端から見れば気持ち悪いのかも知れない。
縋り付いた彼はもう、マフェイドルを見ないかも知れないのに。

「……マフェイドル様、本当は、言うなと言われておりましたが……」

涙に濡れるマフェイドルの姿を見兼ねたのか、メイド長が唇を開いた。もとより、メイド長はマフェイドルには別格の扱いをしている。それこそ扱い自体は屋敷夫人と同等な程だ。

「ベルゼーヴァ様が、ここ暫く執務とは別の作業をしていらっしゃるのはお知りですか?」
「……ベルゼーヴァが……?」
「早くに帰宅されたり、かと思えば今日は帰宅されなかったり。視察の合間に、別の場所に向かわれたり……」
「……そんな事、してた、の?……だって、ベルゼーヴァは私に何も」
「言われる筈はありません。……今の世では、許されざる行為です」
「……って」

メイド長が口を開く内容に、思わずマフェイドルが首を振った。
それはきっと、彼が一番嫌だと感じているであろう内容。

「……今や廃城に遺された、妖術宰相ゾフォルの文献を調べる為に」

彼の義父嫌いは知っていた。どれだけ嫌悪しているか聞いた事もある。けれど、その実力は認めているのだと知っていた。
その実力を、今借りねばならないなど。

「貴女の性別転換の方法と、原因不明の衰えの正体を」

しかも、国を追われ世界に闇に落とそうとした男の、昔に禁じられた文献を。

「ゾフォルが研究していたものとは趣旨が違いますが、蔵書には何か手掛かりになるものが遺されているのではないか、と……。最近はあまりお休みになられていないようで」
「……う、そ。だって、ベルゼーヴァは、私のこと忘れるって」
「………。一日二日で簡単に諦められるような人を、あの方が何年も思い続けられると思っていらっしゃるのですか?あらあらもう、ベルゼーヴァ様はそんな事を仰ったのですか?全く、相変わらず朴念仁ですわね」

マフェイドルが鼻を啜ると、メイド長がハンカチでその頬を拭った。

「あの方は思った事を思った以上に厳しく言う方です。昔はそれを気にも留めない方でしたが、今ではたまに気にしてしまうのですよ」
「…………。」
「丸く、なりました。あの方は、貴女を知って。それが良いことかは私には解りかねますが、あの方はそれで幸せそうです」

そのハンカチをマフェイドルに渡すと、メイド長は背中を向けた。
「紅茶を持って参ります」と、それだけ告げて。



「………私は、口止めをした筈だが?」

メイド長が外に出ると、ベルゼーヴァが壁に背をつけて腕を組んでいた。
それさえ見透かしていたのか、ころころとメイド長が笑う。

「先日こちらが盗み聞きした事を御忘れですの、ベルゼーヴァ様?これで清算、ですわ」
「あんな戯言、聞きたくて聞いたのではない。……全く、言うと今の陛下は調子付く。もう少し慎みを取り戻して欲しかった……が」

ベルゼーヴァが視線を床に落とした。

「………あれ程まで、辛い思いをさせていたとはな」
「男冥利に尽きるのではありませんか?ベルゼーヴァ様はいつだって、待たされる側でしたものね」

そんなベルゼーヴァに敢えて構わず、メイド長は気分が良さそうに廊下を歩きだした。まるで、彼女の主はマフェイドルであるかのように。
ベルゼーヴァは苦笑し、暫くその場から動かなかった。壁越しに感じるその命を想うかのように。







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