中編

□Sweet Rose
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鍛冶屋での物音を聞き付けた者は少なかったが、場所が場所なだけに直ぐに冒険者が駆け付けていた。
僅か五分にも満たないうちに、騒ぎは通りまで広がった。しかし、店主の姿は無く、右往左往するだけなのでどうやら事情までは言っていないようだ。
いち早く近くの宿屋の屋根まで一気に退避したザハクは、腕にマフェイドルを抱いたまま下でのやり取りを見ている。

「騒がしいな、蟻のようだ」
「親父さんだからね。ギルドの人間に何かあったら事だから……参ったな、ザハクだってあんな荒っぽくする必要は無かったろうに」

―――でも、店主に姿を見られる訳にはいかなかった。四人居る将軍のうち、一人だけ機密扱いになっている者。それこそ女帝性別転換の非では無い程、その存在を隠されている。
当たり前だ、過去の皇帝が従えた魔獣部隊よりも人の道外れた者――魔人、なのだから。

「我は我と主以外全て塵芥に過ぎぬ、そのような芸当を求める事自体間違いだとは思わぬか?」
「でも手加減はしてたんだろう?……じゃないと親父さん死んでた」

マフェイドルはザハクの体にしがみつき、落ちないように耐えている。ザハクはマフェイドルの体を支えてはいるものの、決して安定した状態とはいえない。
二人の目が合う。相手の顔が近くにある事で怯んだマフェイドルだが、頭を振って改めて向き合った。氷色の瞳が女帝を映す。

「……このまま帰るのが、一番だと解ってる。でも、帰りたくない」
「我は主の命に従うのみ」
「ベルゼーヴァと顔を合わせるのが、こんなに嫌に思うなんて考えた事も無かった」
「命には従うが、痴話喧嘩には耳を貸す気は無い」
「………冷たいねザハク。当たり前かもだけど」

マフェイドルがあまりの不安定さに体勢を変えた。ザハクによじ登り、片方の肩に腰掛ける。手はザハクの頭を添え、騎士に乗る皇帝の図が出来た。

「人気の無い所へ。……って言ったら、一箇所しか無いかな?」
「了解した、主よ。離すな、落ちるぞ」
「解ってる。っ、え……あ、え?テレポートじゃないの?走っていくの?え、ちょ、待っ」

マフェイドルが言うが早いか、ザハクが走りの構えをする。魔人の中でも反則的な強さを誇るザハクなだけに、走りも駿足な事はよく知っている。
ただ、まさか今走るなどとは思っておらず。

「ひっ、ひきゃ、っ―――――!!!」

ザハクが勢いよく屋根から屋根へ次々と飛び移る。
空気全てが風になった感覚。よろめくが、ザハクが腰だけは掴んでいた。マフェイドルの体が風に負け、後ろに倒れる。
逆米俵担ぎ状態になって二人が空を駆けた。口を両手で押さえたマフェイドルは、あまりの感覚に普段とはまた違う顔色になっていた。
世界がぐるぐる回るなんて、酒呑んだ時だけでいい。
胃に何も入っていない事がなによりの救いだと、心底思った。





どんな乗り物や動物よりも早いその移動で辿り着いたのは、エンシャント外れの墓場だった。
肩から下ろされたマフェイドルは脂汗で顔の化粧粉が斑になっている。手で拭ったそれを嫌がらせのようにザハクの衣服になすり付けた。

「………主よ」
「ザハクが悪いだろ!……あぁあ、目眩がする……」

ずるずると座り込んだマフェイドルが周囲を見渡した。本当に人がいない。落ち着いて外の空気を吸うには悪くない場所だった。……墓地というのが難点だが。
座り込んでザハクを見ると、ただ立ってマフェイドルを見るだけだ。周囲を気にしているようにも見える。

「……ザハク」
「何だ」
「私、そんなに死にそうかな」

店主に言われた言葉が胸に引っ掛かっていた。店出てすぐ、――なんて。

「我々が言う所の、『非常に不味そう』ではあるな」
「………よく解った」
「原因を呼び付ければ解決出来るものか?」
「………よく解らない」

マフェイドルがザハクの衣服を引っ張った。隣に座れと暗に言っている。
二人が同じ位置で座ると、ザハクの肩にマフェイドルが頭を置いた。
感覚は微妙。固いのだが、その感触も何と言えばいいのか解らない。筋肉があるから固いのか、そもそもこれはヒトと同じに見ていいのかとか、そんな事ばかりが浮かぶ。

「願ったのは、私。責任は私にある。誰に転嫁できる訳もない」
「だが、恐らくはそのせい――なのだろう?」
「………。ああ」

性別としての『男』を願った時から、徐々に何かがおかしくなっていった。
食べても貧血気味になる事もしばしばだった。食べなければいけないのは解っているが、食欲さえ時間とともになくなっていく。
何が起こってるのか解らない。

「でも、あれからシャリは来てくれないから。理由も聞けないし―――」
「待て、主」
「………ザハク?」

ザハクがマフェイドルを制した。急に周囲を窺うようになり、表すのは僅かな殺気。

「ヒトの気配だ。数は一、……女のようだ」
「人……?一人なら気にするな、墓参りだろう」
「主よ、忠告しておこう。主はそれで足元を掬われる事が多い。これまで幾度その油断で諸々が被害を被った?」
「あーあーあー、もー、お願いだから止めてくれ頭痛い」

今度はマフェイドルがザハクの言葉を遮った。

「その人が帰るまで少し消えてて。呼ぶまで出たら駄目だよ」
「……気配に気付かぬ主に命令されるとはな。まぁ良い、呼ばれるまでの辛抱だ」

ザハクが立ち上がる。次の瞬間には消えていた。それを見届けた後、座ったまま俯いた。
足音が何処へ向かうか知らない。けれど、墓場で気安く声を掛ける人間なんて――――。

「……自分がそうだったな」

馬鹿らしい昔の行動を、ふと思い出した。若い頃の無知というか何というか。村から出て来たばかりの無知だから出来たのだろう、今では柵ばかりが増えてしまった。



「………マフェイドル様………?」



「!!?」

それこそ心臓が止まる程の驚きだった。
呼ばれた衝撃に顔を勢いよく上げる。

「マフェイドル様、何故こちらへ……!?」

――――運命神ファナティックは、本当に私の事が大好きみたいだ畜生。
マフェイドルが頭でそんな悪態をつき、跳ねるように立ち上がる。足元を見事に掬われ、もんどり打って倒れる。正しくそんな感じ。
声をかけてきたのは、ベルライン邸のメイド長だった。黒い服に身を包み、白い百合を手にしている。墓参りなのは間違いないだろう。

「……そうか、ベルゼーヴァから聞いていたんだよね私の体の事」
「申し訳ありません、ですが」
「………参ったな、色々運が悪いみたいだ」
「マフェイドル様、護衛の方はどちらに?顔色が良くありませんわ、……おまけに化粧が斑ではありませんか」
「あー、斑顔は気にして欲しくないなぁ心は乙女なんだよこれでも」
「………………………。マフェイドル様、お一人で出歩くなど無用心すぎますわ」
「無視したね?今無視したよね?……それより、貴女こそ何故ここへ?」
「私は、……その」

どうしても話を逸らしたかったマフェイドルは、メイド長の事について尋ねた。隻眼の彼女が、これまた一人というのは危険な話だった。

「……姪の墓へ」
「姪御さん?……そうか」

深くは聞かないつもりだったマフェイドルだが、メイド長の唇が震えていた。

「……私の目を、失ったあの日に……」
「………え」
「奉公に出れる年齢ながら、淋しがり屋だったんですよ。……月に一度は訪れているのです」

それだけで解る、例の事件の話だ。
あの闘いの始まりに、闇が牙を剥いたベルライン邸。
マフェイドルの胸に刺が刺さる。鉄線で縛り付けられるような痛み。胸を押さえてメイド長を見た。

「貴女は、私を責めないね」
「あら……、充分悔いてらっしゃると伺いましたが、違うのですか?」

それは冷たい声色で響いた。マフェイドルがメイド長を見ると、貴婦人然とした笑顔も消えている。
息を飲む。居心地の悪さは尋常じゃない。何も言わないマフェイドルを横目に、数歩分離れた墓へとメイド長が向かう。

「……冗談です。年寄りの洒落だと思って笑い飛ばして下されば良いでしょうに」
「……そんな事出来ないよ。どれだけ私は貴女にお世話になっていると思ってるんだい」
「積もる話はおありでしょうが、このような所で話などしては死者の眠りを妨げますわ?……宜しければ屋敷まで。馬車を待たせてありますし、ベルゼーヴァ様は本日帰られないと仰っていましたので」
「え、……そっか、私が仕事放棄してるようなもの、だからか……」

彼が居ない屋敷に足を運ぶのは初めてだった。主が帰らないとあれば安心も出来る、まさかこのメイド長が宰相と組んでる訳は無い、そう思って、心底油断と安心をして、メイド長の背中を追うために一歩を踏み出した。


景色が斜めから反転していく。
踏み出した筈の足、その膝から力が抜けて崩れ落ちた。

自分が倒れる音がする。
メイド長は背中を向けていた。
指だけ動く。腕は動かない。

安心の代償のようなものだ、不調にはずっと気付いていた。
地面に伏した時、最初に無くなるのは視界だということを思い知る。それから聴覚。嗅覚は、目立った香りが無いから最初から解らない。

自分の指が冷たいのかすら解らない。
ふつ、と意識が途切れる。その瞬間さえ、知覚できるものではなかった。







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