中編

□Sweet Rose
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誓った『永遠』を破棄される事を願った日もあった。
けれど、その辛さを考えた日は無かったかも知れない。
無い、と言い切れる訳ではない。
けれど、この胸を引き裂く痛みは今まで経験した苦痛よりも激しいもので。

初めて、夢を見た自分の慟哭で目が覚めた。

生きていてくれるだけで、なんて何故言えた。
片羽を引き剥がす痛みは死にも勝ると知らないままで。





女帝重病の噂は政庁上層部にまで広がった。
宰相も重い口を閉ざすばかり、女帝自身殆どの面会を断っている。
将軍の一人であるザハクも姿を現さない。恐らくは女帝に付いているのだろうが、その事について宰相は何も言わない。
女帝の食事は毎回、持って行ったものとおよそ同量のものがそのまま返ってくる。
『やはり呪いか』――上層部にも、そのような空気が流れ出していた。

性別反転などの術は、数ある文献を幾らさらっても出て来たりはしない。
それを成した女帝は、神の怒りに触れたのだと。神から与えられたものを良いように変えるなど、冒涜でしかないのだと。





「……ノトゥーン神もお怒りだよな」

閉めきった寝室、昼だというのに薄暗いその場所に二人がいた。
女帝はまだ男の体で、寝台に横になっている。顔色は相変わらず悪く、青白い。
もう一人はザハク。寝台側の壁に背を凭れさせ立っている。女帝を心配するでもなく、けれど嘲笑うでもなく、ただ見ていた。

「我の前でその名を口にするか?そのようなもの、今更ヒトに手を出す事は無い」
「忘れたかい?私は元々ノトゥーン神官の娘だよ。……まぁ、人も知らない小さな村だったけれど」
「心をなくすものに滅ぼされた村だろう。……昔話は止めるがいい、主よ。主は死ぬまでヒトの皇帝だ、皇帝に過去など要らぬ」
「……それは先達のご忠告?『暴君』ザハク様」

二人には他愛もない話だった。けれど、マフェイドルはなんとなく話していたかった。
無気力だった。けれど全て無為と言うには、マフェイドルには過去ばかり輝かしく見える。自分のしてきた事に後悔は無い。ただ、胸だけ痛い。

「我は言っている、全て徒労だと。恋情など何れは風化するだけ。現に、主が今縋るはあの者ではなくあの者との過去だ」
「……そう、かも知れないね」
「ヒトの生を生きられぬ半神が、人間崩れを愛するなど悲劇にも喜劇にもなりきれぬ。捻りは幾らだ?その捻りの為に演じる舞台なら、些か割に合わぬな」
「その分基本給が良かったからね。愛されてるって実感は、金じゃ買えないよ……ザハク」

皇帝である限り、離れる事はないと信じた日もある。それを疑ったからこそ、終わりが来た。
マフェイドルが腕で体を起こす。体力が無い分時間はかかったが、邪魔をする者などもう居ない。ザハクはただ見ているだけ、もとよりザハクにしてみれば、マフェイドルが早くに死んだ方が望みが叶う。

「ザハク、頼みがある。聞いてくれるかい?」
「聞くだけならば出来よう。それ以上は『命令』するが良い」
「じゃあ命令だ。……私を城下へ連れ出せ。出来るなら、指定する場所まで送れ」

不遜な物言いに、ザハクが唇だけで笑みを象る。

「この区域、空になるが良いのか」
「構うものか。今のベルゼーヴァが私を探すなんて思えない。ベルゼーヴァ以外の追っ手なら逃げおおせるのも簡単だ」
「ならば良い。―――主よ、場所は何処だ?」

死ぬまで変わりそうにない。不遜な態度も、揺るがぬ想いも。
そうでなければ奪う楽しみが無い。ザハクは嘲りの笑みに全てを隠し、マフェイドルが起き上がるのを手伝った。





マフェイドルが指定した場所は、数日前訪れた鍛冶屋だった。

「此処で構わぬか」
「ああ。……助かったよ、ザハク」

マフェイドルを連れ転送の呪文を唱え、近くの路地裏に到着した。マフェイドルはといえば、下士官の服に先日貰った剣といった無難な格好。意地なのか、顔には化粧粉をはたき、通常の顔色になるよう調整している。
深呼吸をした。荒い吐息が耳につく。

「我も行くか?」
「来ても良いよ。姿を見せないならね」

やがて意を決したように、マフェイドルが一歩踏み出した。人の間を擦り抜けて鍛冶屋へ。
扉を開ける為力を込めた。が、扉が異様に重く感じられて顔を顰める。途端、呆気なく開いた扉にマフェイドルがよろめいた。恐らくザハクが力を貸したのだろう。

「いらっしゃい」

声が掛かる。背中を向けたままの店主だ。武器を打っている最中らしい。

「……あの」
「ん?……ああ、えーと、………ロイ、だったか?悪いな、少し待っててくれ」

体力勝負なのは親父さんも、冒険者である客も、使いの士官も同じだった。椅子など飾り程度の埃が積もったものしかない。けれど、座る訳にいかない。皇帝としての矜持だった。
金属を打ち付ける音。規則的なそれを聞くしか無かった。他に見るような珍しいものも無い、ザハクは消えたまま姿を現さない。

「待たせたな、昨日のうちに引取にくるかと思ったのに」
「あ、はい、その」

作業をキリの良い所で中断したらしい店主が声を掛けて来た。轟々と燃える炉を背に汗を拭いている。

「なんてな、女帝が危険だとか聞いた。城内はそれでてんやわんやだってな」
「……そ、それは」
「お前さんが思うより、情報規制ってのはザルだぜ?……しかし、男になってたとかってのは知らなかったがな」
「………!!」

やはり、バレていた。どこでバレたのか、マフェイドルは頭に巡らせていた。

「………どうして解ったんですか」

幾ら考えても解らない。それが解っているからこそ、ただ聞き返した。
その言葉が返ってくる事が解っているからか、店主が肩を揺らして笑う。

「そりゃあ、陛下。宰相閣下が自分の剣ぶら下げながら、お付きの筈の下士官が丸腰なんて有り得ないからよ。あとは―――」
「あとは……?」
「気付いてないのか?お前さんにやった剣、良く見てみろよ」
「………?」

腰に下げた剣を手にする。鞘にも柄にも何も変な所は無い。
よくよく柄を見れば鍛冶師の名前が入っている。その鍛冶師は店主として、その下にも名前があった。
その名前は―――――

「っ、ひ!!?」
「気付いてなかったのか……。まぁ無理は無いがな」

『ロイ・ミイス』

「これ、兄さんの型を使って……!?」
「流石兄妹だとは思ったな。陛下が女な時はあんまり似てないとは思ったが、二人して同じような武器を扱うと筋肉の付き方も似るようだ。馴染んだって言ったろ?」
「……そんなに、似ているかな。私としてはそんなに思わなかったんだけれど……」
「ほら。今の言い方なんてそのままじゃねぇか」
「………………………。」

否定は出来なかった。口をつくのは兄と同じような語彙ばかり。ちゃんと髪は赤いのに、まさかこれは兄の体なんじゃないかと不安になったりもした。

「……深くは聞かないが、戻れるのか?」

そして店主が奥へ向かう。引っ張り出して来たのは愛刀であるファルビィティス。
店主がその場で抜いてみせた。割れた跡など見えない、綺麗な刀身だった。

「人の体は鉄みてぇに溶かして鋳型に流し込むなんて出来ない。何が原因か知らんが……あんまりいい気のしない連中がまた煩いだろうよ」
「解っているよ、親父さん。……戻れるかは私にも解らない。だから危篤ってな事にした方が、私も楽に動けるから」
「嘘つけ。顔と首の色が違うぞ、血の気が無ぇじゃねえかよ」
「……どうしてそんな洞察力は凄いんだい誰も彼も」

マフェイドルの傍に歩み寄った店主がファルビィティスを渡す。両手を伸ばすマフェイドルだが、その重さに顔を顰める。腰に下げた剣よりずしりと重い、その愛刀が今は主の腕に帰る事を拒んでいるようで。
それを見て店主が剣を取り上げた。まさかそこまで女帝が良くないとは思っていなかったようだ。

「……迎えを呼ぶか?」
「いや、いい。止めてくれ」
「フラフラじゃねぇか、立ってるのがやっとだろ。剣も振れない剣聖皇帝なんて有り得ない話だ」
「心配要らない。ファルビィティス、渡してくれないか」
「駄目だ。店出てすぐに死なれちゃ寝覚めが悪い。あんまり利かん坊続けるなら宰相閣下呼ぶぞ」
「!!」

その光景を思い浮かべて、ぞっとした。
迎えに来てくれはするだろう。けど、その時のマフェイドルを見る彼の瞳は?
白昼夢のように見えたその景色。彼の瞳は―――つめたい。

「ザハク、ファルビィティスを奪え!!」

マフェイドルの低い声が命令する。その一瞬で店主が壁に向かい突き飛ばされた。
ザハクのやった事は手荒だったが、店主はすぐさま体勢を変えてマフェイドルの方向を見た。

「な、――――」

扉が開いた気配は無い。しかし、もう誰も居ない。
マフェイドルが居たはずの場所に、金が入っているらしい革袋が落ちて、否、『置いて』あった。







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