中編
□Sweet Rose
1ページ/1ページ
皇帝の登庁時間、やや早くに執務を始めるマフェイドルがいた。
それを最初に見付けたのはザギヴで、昨日の外泊にしては早い帰りに驚いていた。
「陛下?」
「あぁ、ザギヴ。お早う」
「お早うございます。……外泊されたと聞きましたが」
「………うん」
書類を捲るマフェイドルの指の動きが止まる。表情もどことなく沈んでいるようだ。
ザギヴが首を傾げる。どこに泊まったかも連絡が来ていた故に、少しくらい明るくしても良いんじゃないかと思ったが
「………今朝から話してくれないんだベルゼーヴァ」
「え、………」
「どうしよう。やっぱり焦りすぎたかなぁ……。このまま口聞いてくれないと私泣くよー」
机に突っ伏して管を巻きだすマフェイドル。外見に対して態度が女々しいので、ザギヴも呆れた顔をする。
「……何か、失敗なさったのですか?」
「………いやぁ、失敗っていうか、ね。その、なんてーか」
「ベルゼーヴァ様なら、先程登庁なさいましたよ」
「………。」
ザギヴの言葉にも、特に反応は無い。時間が時間なので、そんな事は解っているようだ。
やがて徐に身を起こしたマフェイドルが、躊躇いがちに唇を開く。
「……やっぱり私、ベルゼーヴァの事好きなんだ」
「……突然何ですか」
「でも、思う。……好きなだけじゃ駄目なんだ。幾ら好きでも、抑えないといけない時が来るんだよな……」
マフェイドルの言葉にザギヴがぎょっとした。成人してからも恋する乙女を地で行くこの皇帝が、そんな悟ったような事を言うなんて。晴れた空から雷が落ちるような衝撃に、思わずザギヴが窓の外を見た。晴れきった空だった。
「あぁぁもー、どうして私はあの時あんな事言ったんだろ。今日ベルゼーヴァに合わせる顔が無いよ本当………!」
真っ赤な顔をして頭を両手で掻きむしるマフェイドルだが、ザギヴはそれ以上追求しなかった。
その頃、将軍執務室。
カルラの元に噂の宰相が書類を手に現れた。
「……あら色男、お早い登庁ですこと」
挨拶代わりに叩いた軽口だが、今日に限ってベルゼーヴァが睨み返して来た。いつもなら受け流すベルゼーヴァだが、その反応にカルラが驚く。
すぱん、と小気味良い音をさせてカルラの机に書類が落ちた。
「何、何なの?不機嫌だね」
「………黙れ」
「てっきり今日は二人で遅出かと思ったけど、何、不発?」
その言葉が地雷だったらしい。ベルゼーヴァが殺意の篭った瞳を返し、拳を握り締め
「……君には関係無い!!」
と、怒鳴り付けて去っていった。
それから後、再び皇帝の執務室の扉が叩かれる。ザギヴは帰った後だ、誰かが日程を伝えに来たのかも知れない。
「開いている、勝手に入れ」
誰もいないのを良いことに、散々机に突っ伏してダレ続けた皇帝だが、身を起こして気の無い返事を返す。少々目に余る程積もった書類も、今のマフェイドルには興味対象外だった。
「入るわよ陛下」
入って来たのはオイフェだった。入って来るなりマフェイドルを睨みつける。
「陛下、ちょっとアレどうにかならないの」
「え」
「宰相よ宰相。一体どういうつもり?書類は良いけど部下が皆迷惑してるのよ」
「ちょっと待て、オイフェ。彼がどうかしたのかい?」
「今日ずーっと歩き回ってるのよ。部屋には居ないし見回りと称して士官の部屋歩き回ってるし、抜き打ち検査だ、とかで部下からは泣きの苦情が入っているわ」
「……………………………………。」
オイフェの苦情にマフェイドルが眉を下げる。何かしら思い至る所があるらしい。
立ち上がり、オイフェの隣を通り扉に向かう。
「オイフェ、ひとつお願いがあるんだが」
「……何?」
「医務室で、薬取ってきてくれないか」
「薬?」
「ああ、ひとつだけで良いから。持って来て欲しいのは――――」
言われた薬に、オイフェが呆れた表情を深めた。
「ベルゼーヴァ!!」
数分の後、簡単にベルゼーヴァは見付かった。部屋を出て、勘のまま政庁を歩いた結果だ。案外マフェイドルにも、ベルゼーヴァ探知の第六感はあるのかも知れない。そう考えたマフェイドルの頬が勝手に綻んだ。
「フェ、……………陛下」
士官達の執務室が並ぶ廊下、その向こうにベルゼーヴァがいた。ベルゼーヴァはマフェイドルの姿を認めるや否や
「………な、何の御用でしょうか」
顔を僅かに赤らめ、かと思いきや一気に青くなり、ゆっくり後退りしていた。お付きの士官も、ベルゼーヴァの反応に目を丸くしている。
何だ何だと士官達が二人の様子を部屋から覗き見ている。この辺りの士官には、マフェイドルが男になっていると知られているから楽である。
「話がある。今すぐ私の執務室まで来い」
「……し、しかし」
「良いな?命令だ。逆らうなベルゼーヴァ」
有無を言わせない強い口調。女性らしさを感じさせない頭から押さえ付ける物言いに、ベルゼーヴァが反抗的な瞳を一瞬だけ向けた。
しかし、それも一瞬のこと。返事を返さずベルゼーヴァが頭を垂れた。満足そうに頷いたマフェイドルが軽く微笑み、背中を向ける。そのまま歩き出すと、足音がふたつついて来た。
「私に言いたい事があるなら昨日のうちに全て聞いたのに」
「……陛下の手を煩わせる訳には」
「ばーか」
「ば、っ……!?」
背後の足音が止まる。マフェイドルも足を止める。マフェイドルが振り向くと、ベルゼーヴァがお付きの士官を下げさせている所だった。
まだ見世物状態には変わらなかったが、話をまるまる側で聞かれるよりはマシだ。
「……嫌だったならそう言ってくれれば良かったんだ」
「………。」
「私の為に後悔して欲しかった。けど、それで周りに迷惑かけるなら全部私に言って欲しかった。……今、相当辛いんだろう?」
「っ………」
また歩き始める。向かうのは当然皇帝執務室だ、たまに振り返るが宰相はついて来ていた。幾つか角を曲がった所で、野次馬は皆振り払えたようだ。
少しばかり執務室までは遠いが、慣れた道故に早く辿り着ける。扉を開けた頃にもう一度振り返ると、ベルゼーヴァも相当暗い顔をしていた。
部屋に入る。鍵をかけて、誰も入れないようにした。敢えて座るように言わないで机の側まで向かう。
「……ごめんな、ベルゼーヴァ」
「………。」
「女でも男でも、私はいつも迷惑かけてばっかりだったのにさ。今日は私だけ平気じゃないか」
「言うな」
「………やっぱり辛いんだろ。否定しなかった」
机の上にはオイフェに言付けた小さな円柱型の薬があった。手に取ってベルゼーヴァに投げる。
最初は何か解らなかったベルゼーヴァだが、薬を見てギョっとした。
何を隠そう、薬にしっかり書いてある。――――『痔専用』。
「フェル!!」
ベルゼーヴァが真っ赤になって怒鳴った。マフェイドルが耳を塞いで笑う。
「ごめんごめん。だってお互いソッチ『初めて』だったじゃないか。出血してたし、絶対今日痔になってるって思ってたら、案の定今日歩き回ってるって聞いたし。痛くて座れないんだっけ?確か」
「き、君は本当にっ……!!」
薬を投げ返そうとしたが、できないらしい。握ったままの指が薬を離そうとしない。
愛しい男の狼狽する姿が面白いらしく、悪戯心で言葉を重ねる。
「……いやでもしかし、……気持ちよかったなぁ案外。一回めからあんなにイイって男は得だよなー」
「だ、黙れ!思い出すな!!」
「もっと上手くなってこんな薬要らないようにするからさ、私を捨てたりしないでねー?」
「だからそれ以上言うな!!」
けたけた笑うマフェイドル。小悪魔通り越して魔物のような悪質さだ。
ベルゼーヴァの顔色は赤のまま冷める様子が無い。
「そりゃー最初はベルゼーヴァってば全力で嫌がってたけどベルゼーヴァ可愛かったし、貰える筈のないハジメテ貰えたし、うわ何すっ、」
「黙らないならその口を塞ぐだけだ!今日は猿ぐつわのまま仕事をしろ!!」
「えー、ベルゼーヴァがずーっとその口で塞いでくれるならまだしも」
「慎みを持て!!貞淑な君はどこに置き去りにされた!!」
怒声と笑い声と物音が混ざり合い、扉外では将軍三人が心配して見に来ていた。
しかし扉前で番をするようにザハクが立っていて
「痴話喧嘩中だ、入るな」
と、制していたのだった。
続