中編

□Sweet Rose
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ふわりと香る薔薇の香り。
意識が覚醒しきれない中で、その甘い香りに瞼が開いた。
喉が痛い。咳込むと、横たわる体の下で音を立てず何かが弾んだ。

「っ、………あ」

ぎゅり、と頭が締め付けられるような痛み。眉間に皺を寄せて耐えると次第に痛みは引いていく。
吐き出す息から果物の香りがするが、同時に抜け切らないアルコール臭もする。
癖で手が側を探る。私室の寝台では、探った場所に水差しが置いてあるから。
しかし手は空振る。ここがどこかも解っていなかった。

「目が覚めましたか?」

掛かった声に、一気に記憶が蘇る。
倒れるその瞬間まで視界に捉えていた漆黒の声だった。

「う、うひゃああぁぁ!!?」

また、やった。
酒での失態はこれで何度目だ。引き攣った叫びをあげて体を起こそうとしたが、力が入らない。体を支えようとした腕も不様に滑ってまた横にならざるを得なかった。

「まだ寝ていらして結構です。……全く、無茶な飲み方をされるからです」
「……ごめん。カルラ達は?」
「もう、帰りました」

合わない焦点に気合いを入れると、なんとか影だけ見えた。蝋燭一本の明かりに照らされている姿は、どうやらこの寝台に腰掛けて肩越しに視線を向けている。
寝台。そう思ってマフェイドルが周囲を見渡す。見覚えのある部屋だった。

「……ここは」
「覚えていらっしゃいますか?……昔、貴女が泊まりの時に使用していた部屋です」
「覚えてる……。……あの時のまま、なんだね」

家具も、壁掛けの絵も、窓に置いてある花瓶と花も。花はいつも切り花で、なのにいつも鮮やかな花が飾られていた。
今日は一輪きりの薔薇の花だ。色は茶に近い赤。大振りで、それだけで存在感がある。

「今回は薔薇かい?……別に、すぐお暇するんだから気を遣わなくても」
「……いいえ」

心遣いに嬉しくなったマフェイドルが微笑むも、ベルゼーヴァが少し暗い表情でそれを制する。暗いのは、蝋燭の影でそう見えるからじゃない。

「花を活けるのは、女従長の日課です」
「………」
「この部屋のみは、彼女の管轄になっています。彼女は休日さえも、この部屋にやって来て、掃除をして花を活ける」
「どうして」
「……貴方を妻に出来た時には、この部屋が貴方のものになるからです」

じじ、と蝋燭の芯が音を立てる。揺らめく火は小さく、けれど精一杯二人を照らし出した。

「彼女は、私の妻になった貴方を、毎日起こして、他愛もない話をしながら部屋に花を活け、貴方の着替えを手伝い、『朝食が出来ています』と伝えたかったそうです」
「………。」
「叶わぬ今、彼女は花を活けるしか出来ない。……私がいつか貴方と結ばれる日を待ちながら、永遠にその日が来ないと気づいていて」

ベルゼーヴァが苦笑する。本当は伝える気もなかったのだろう。けれど性分で、聞かれたら必ず答える。
嘘が吐けない。今更改めて気付くその性格にマフェイドルも苦笑した。

「……謝らないよ」
「結構です」
「でも、ちょっとだけ惜しい気もするね。……女性の体も」
「……何故ですか?」

ベッドが揺れる。マフェイドルが上体を起こした。
伸ばした腕を、ベルゼーヴァの肩に沿える。両肩に掌を置いて、ゆっくりと背中に密着した。

「……今、誘えないだろう?」
「――――。」
「抱いて、なんて言えない。誘惑できない。愛してる、なんて言って口付けさえもできない。」
「陛下、それは――」
「最近ずっとベルゼーヴァが冷たかったのは、私が男になったからだろう?貴方には男色の気なんて無いからね」

呑んで、しかも二人きりの今しか言えそうになかった。
愛情を疑うなんて、もう出来ない。けれど言わないなんて事も出来ない。

「……ベルゼーヴァ、一緒に墜ちてくれない?」
「………フェル」
「嫌なら良い。……けど、勝手だけどそれなら『そこまで』。他にいい人見付けて、貴方だけ幸せにな、っ――――」

ベッドが軋んだ。
マフェイドルが背中から寝台に倒れ込む。見上げればそこにあるのは、ベルゼーヴァの顔。

「……君は卑怯だ。私がどれだけ抑えていたかも知らないで」
「……」
「それを引き合いに出されたら、どうしようもなくなる。君を畜生の道に叩き落としてでも、君が欲しくなる」
「卑怯で、いいよ。詰ってくれて構わない」

両手を握り込まれ、その頬に触れる事すら叶わない。

「もっと、名前呼んで……。一緒に墜ちよう?ベルゼーヴァと一緒なら、もう空なんて要らない」
「……君は、勝手過ぎる」

顔が徐々に下りてくる。先に額が重なった。
頭が熱くて、痛くて、でも今は何も知覚したくない。してしまえば戻りたいと思うかも知れない。



「もっと、私を欲しがって。……望むだけ、貴方にあげるから……」



戻った世界に、最愛の人は居ないとしても。



「……全て、だ。君が知り得る君の全てでは足りなさ過ぎる。君の知らない全てさえ……私が貰い受ける」



声が重なった。



「………愛してる」



重なったのは、声だけじゃない。
薔薇の花びらが一枚、シーツに散った。







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