中編
□Bitter Rose
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あの夜の話を終えた後、カルラは呆れた顔で溜息を吐いた。アイリーンも悲痛な顔だ。
シャリのいい加減さは皆解ってる。願いの取り消しなんて出来はしない。かの女王アトレイアの視力さえ回復させたシャリだが、その最終目的は邪悪なものだったから。
「……あの虚無っ子ってば、次はディンガル自体を目茶苦茶にするつもりなのかしら?」
「……でも、私は謝らないよ。悪いとは思うけど、後悔はしてないからね」
「あーもー陛下は黙って。私謝れとか言ってないし」
頭を抱えたカルラは睨むようにマフェイドルを見る。マフェイドルが首を竦めても、反省している態度には見えなかった。
「……玉葱が、陛下が男に変わりたかったもう一つの理由聞いたらどうするだろうね」
そんな態度に腹が立ったカルラが、今一度脅しをかけるようにぽつりと口にした。わかりやすいもので、途端にマフェイドルの顔色が変わる。
「男になった後でも中庭であれだけ泣きじゃくりながら愛の告白しあっただけにねぇ。私だったら一発くらい殴るなー、陛下丁度男だし気兼ねなくガツンと」
「か、カルラ、お願い言わないで」
「じゃあ折角お膳立てしたげたんだからそのチャンス生かしなさいな。誘惑でも篭絡でもいいから今日は政庁に帰らない事。私から皆には話つけておくから―――」
カルラの脅しがキリの良い所で、扉が数回ノックされる。
「皆様、お食事の用意が出来ました。ご案内致します」
開いた扉の向こうには、メイド長と宰相の姿。三人が思い切り肩を震わせた。
「……どうした?」
問い掛けてきたベルゼーヴァの表情はいつものもので、さして変わった様子はない。
しかし先程まで話していた内容が内容だけに、マフェイドルの額に冷や汗が滲む。
「な、何でも無いわよ!ねぇ!!」
「そ、そうですね!」
カルラとアイリーンが笑ってごまかすが、マフェイドルの表情が真っ青なのでごまかしきれるか全く解らない。とはいえマフェイドルも頑張ってはぐらかそうと顔を上下に、機械的に振り続けている。
用意された夕食は、少々マフェイドルには居心地が悪いものだった。
案内された部屋に向かうと、温かな蝋燭の光や清潔な白のテーブルクロス、宰相の地位に相応しい程度の飾り付けと、磨きぬかれた銀食器。
それぞれ席についてからが食事の始まりだったのだが、三皿目が運ばれて来た辺りでマフェイドルの手が止まった。丁度メインディッシュだ。略式のフルコースのようで、それでも味に遜色は無い。
「………、ちょっと、どうしたのロイちゃん」
「え、……」
ちらりと視線をやると、給仕係の男性の姿が目に入る。当たり前だが彼は去ってくれそうにない。
話掛けてくれたカルラに、いかにも新入りな下士官の真似をして返事をした。
「……すみません、流石に緊張して。食事もとても美味しいですし、まさか私が共に卓に付けるとは」
思っても、みません、でした。……とは流石に言う自分が白々しすぎて言えなかった。続きは全て空笑いでごまかす。
「気にする必要は無い。用意させたのはこちらだ、気兼ねなく食べたまえ」
淀みなく返すベルゼーヴァに返事をしたが、内心笑いが引き攣りそうだった。睨まないようにするので精一杯だ。
おかしい。おかしすぎる。今はメインディッシュのはずだ。それが何故
「……こんなに美味しいアクウィラの料理、食べたの初めてで」
『出せない』と言い切られたはずのアクウィラが、何故綺麗に盛られているのだろうか。しかも薄くスライスしてあるものの、味が染みるまで煮込んである。
大体一皿めから可笑しかった。二皿めで更に疑問が膨らんで、三皿めで確信した。
全部『マフェイドル』の大好物だ。食べながら嫌な汗が流れるのを感じる。
「………。そーだね。ビックリだよ、まさかアクウィラがこんな感じで出るなんて」
カルラは料理の方法について驚いたように口にしたが、実際はきっとアクウィラ自体に驚いたのだろう。
アイリーンは黙々と食事を続けていた。下手な事を言うより黙っていた方が得策だと思ったのだろう。
「……それよりさ、宰相。コレって全部陛下の好物じゃん」
がっちゃん。
マフェイドルが手を滑らせてシルバーを取り落とした。慌ててシルバーを拾い上げるが、カルラが苦笑しながらマフェイドルを見る。
「ロイちゃん、どうしたの」
「あ、え、いや、その、あの……」
「陛下の単語が出て来ただけで焦りすぎだよ」
シルバーを安全な所に避けて、気を取り直す為に水を口に運んだ。しかし
「私が覚えている限り、今日は別のメニューだった。どうやら突然の来客で変更したようだ」
「っ、げ、げほっ!!げほげほ!」
飲み込み間違えてマフェイドルが噎せる。
ベルゼーヴァが言った言葉に心臓が落ち着かない。
「ロイ、君は落ち着きが足りないな」
「っ、す、……スミマセン」
じゃあ慌てさせるような事を言うなよ、なんて言える筈もなく。
「………けれど宰相。つまり、は……」
恐る恐る、核心に触れず問い掛ける。
つまりは。メニューを変更して、こんな『マフェイドル』の大好物ばかり出す意味は。
「……女従長には聞かれたから答えただけだ。だからメニューを変えたのだろう」
「え」
「気付いていたのだ、口止めはしてある。隠す必要は彼女には無かった」
「え、え、えぇぇぇえええ!!?」
叫んだのはカルラだった。マフェイドルといえば、椅子の上で眩暈がしたらしくテーブルにうなだれていた。
「来客の小さな仕種はすぐに記憶出来る特技がある。……それが私が妻にと望んだ女性なら尚更だと言っていた」
「…………」
「彼女もまた、私が独身である事を残念がっている一人だからな。……尤も、見合い話全て彼女が断ってくれているが」
「……え」
マフェイドルが起き上がる。流石に聞かない振りは出来なかった。
「……見合い話、あったのですか」
「……君はこういった話以外にかじりつくものはあるだろう」
「宰相」
ちくり、胸が痛む。マフェイドルにはそれが堪らなく不快だった。諦められればいい、なんて自分で言った癖に。だから余計に、聞かないなんて出来ない。
「君も知っているだろう?―――私の『最愛の人』は一人しかいないと。……君が、よく。」
ベルゼーヴァの瞳が真っ直ぐマフェイドルを見据えた。その漆黒は逸らす事を許さない。
「どのように姿を変えても、落ちぶれても、その心が……魂が変わらない限り、私は陛下に誓った永遠を覆す事は無い。」
何を話しているのか解らないような給仕が別の料理を運んでいく。マフェイドルとベルゼーヴァの料理が残っているのにカルラが気付き、二人の皿は下げないように言い付けた。
「……陛下は、誰とも契らないと言っていたじゃないですか。……それなのに」
「それでも、待っていたくなるのだよ。……結ばれずとも良し、愛せれば尚良し。彼女が他の者に現を抜かさぬ限り、忠を尽くすつもりでいる」
「………。」
酷い喉の渇きを覚える。緊張も最高潮、心臓の音は相変わらず下手な鼓のようだ。
マフェイドルがテーブルを見ないまま手を伸ばす。触れたグラスを手に取り、息を止めてそれを呷る。
「っ、ロイ、それは違うわ!!」
アイリーンの叫びが響いた。アイリーンはそれと同じものを先に呑んでいたらしい。
やがてグラスの中身、薄い桃色の液体が一滴残らずマフェイドルの口に流れ込んだ。
「―――――う゛、」
――――昔は酒に弱かった。
それが成人してからというもの、飲まされる宴席の酒に嫌でも慣らされていた。
今では人並み以下とはいえ、それなりに飲めるようになったのに。
これも変更されたメニューのひとつだった。
ドワーフ王国から輸入した、度数の強い果実酒。
マフェイドルが椅子から転げ落ちる。グラスが割れる音がした。
「な、っ……マフェイドル!!」
名前を呼び駆け付けるベルゼーヴァ。
「私、メイド長さんを呼んで来ます!!」
アイリーンが走り出した。
「あーもー、面倒ばかり引き起こさないでよね馬鹿陛下ー!!!」
カルラはただ叫んだ。
取り残された給仕係は、状況把握に混乱していた。
続