中編

□Bitter Rose
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ベルライン邸へ向かう途中で、皇帝には『ロイ・ローゼン』 という名前がついた。勿論、ベルライン邸の従者用、もといこのままの姿で市井に出た時用の偽名だ。
箝口令が敷かれている女帝の現状、簡単には知られる訳に行かなかったから。

私はロイ。私はロイ・ローゼン。
可哀相な程、まるで病気のようにそう呟いていたマフェイドルだが―――

「着きましたよ、陛下」

ベルゼーヴァの言葉に、引き攣った声が漏れていた。





「お帰りなさいませ、ベルゼーヴァ様」

屋敷の扉を開いた所で、まずは従者のお出迎え。
何回か世話になった事のあるメイド長の姿が見えてマフェイドルがたじろいだ。

「今日は客が一緒だ。……ああ、左将軍は賄い飯で構わないだろう」
「ちょい宰相、同じもの食わせてよ」
「……と、いう訳だ。人数分用意出来るか?」
「畏まりました。……」

メイド長とマフェイドルの視線が合った。

「……準備出来次第お呼び致します」
「ああ」

しかし、それだけだった。
今は片目のこのメイド長は冒険者時代から好意的に世話を焼いてくれた人だ。もしかしたら気付かれるかも、と思っただけ、杞憂だった。
ベルゼーヴァは一人で屋敷の中へと歩いていった。

「客間にご案内致します。さ、こちらへ」

メイド長の言葉に、先頭を歩いたのはアイリーン。その後をマフェイドルが行き、そのすぐ後ろをカルラが歩く。
この屋敷の地理は大体頭に入っているマフェイドルだが、この体や服装では流石に先頭を歩く訳にもいくまい。
客間はすぐだった。三人が入った後、紅茶を淹れるとメイド長は去っていった。

「………バレずに済んだみたいだね、『ロイ』ちゃん」

足音が遠ざかるのを聞き届けた後のカルラの言葉。

「カルラ、君は本当に減俸が怖くないみたいだね」

ありったけの厭味を込めた笑顔でカルラを見る。しかしもうカルラの興味はマフェイドルには無い。無躾な程に客間の調度品を見回していた。
アイリーンは大人しくソファに座っていたのでそれに倣う。テーブルを挟んだ向かいの席。

「……すまないね、アイリーン」
「何故、陛下が謝られます?」
「カルラが言い出した事だけれど、元凶は私だからな。……ベルゼーヴァが、最近私に素っ気なくて」

アイリーンは昔の仲間だ。殆ど全ての事情を知る一人でもある。

「……雰囲気で、解ります」
「だろうね」
「……大体、……何故、そのようなお体になられたのですか」

それでも、やはり性別転換というものは不自然極まりないのだろう。取って付けた様なものではない、完全に、最初からそうあったような態度と体。
本当に、この赤髪の男はあの女帝なのか。そう思われても仕方ない程に。

「……それは、動機を聞いている?それとも、方法?」
「……動機は、既に将軍から伺いました。方法など、聞いた所で」
「そう。やっぱり、責めているんだね」

潔さは女帝には無かったもの。そんなにはっきりとは言わない女帝だった。
いつも曖昧に濁して黙って終わり。
アイリーンが、率直すぎる言葉に体を震わせた。相手の性別がどうであれ『皇帝』には変わりない。身分としては不相応な会話をしている事くらい、理解していた。

「責めて……なんて」
「いいんだ、アイリーン。責められて当たり前だ。自覚くらい、ある」

自覚していても、それだけマフェイドルには重要な問題だった。
無言でも表情が語るそれに、アイリーンが口を閉ざす。カルラは振り返りはしないものの、二人の様子を窺っているようで。
マフェイドルが溜息を吐いた。この空気――マフェイドル自身の事で何かしら居心地が悪い状態――が嫌いだ。罪悪感など感じるつもりは無かったのに。
やがて扉からノックの音が聞こえ、開かれると同時メイド長の姿が見えた。

「失礼致します」

中に入りそのメイド長が三人分の紅茶を淹れおわると、やや遠慮がちにマフェイドルに目を向けた。

「……いらっしゃるのは、初めての方……ですね?」
「え、……。」

メイド長のその片目。マフェイドルは理由を知っていた。……『あの闘い』の一番最初、矛先を向けられたのはこの屋敷の人々だった。
死者が出た。その原因は言い換えればマフェイドルにある、と―――マフェイドル自身はそう思っていた。

「お名前を伺っても、宜しいでしょうか」
「……ロイ、と言います。ロイ・ローゼン。」

自分がした事でないとはいえ、その傷痕を見るのは胸が痛い。

「ねぇ、宰相は部屋?客ほっといて何してるの?」

マフェイドルの気まずさを庇うかのようにカルラがメイド長に問い掛けた。カルラは壁に背を凭れさせて立っている。
カルラの言葉はいちいち刺がある。何も考えていないようで、本当は聡明。そんな人間の問い掛けに、メイド長は逡巡するように視線を逸らした。

「……さぁ。私共にも解らないのです」
「へ……?解らないって」
「ベルゼーヴァ様は最近、毎日書斎に篭っておいでです。書斎には仮眠室も備えてありますので……」
「書斎……?仕事?」

カルラの質問にメイド長が曖昧に言葉を濁す。恐らく、この様子だと口止めされているのだろう。
カルラが口を閉ざすとメイド長が一礼する。

「失礼致します。……食事のご用意、出来次第お呼びしますので」

相変わらず『出来た』人だ。マフェイドルが俯き、見えない所で苦笑した。
やがて扉の向こうにメイド長の姿が消える。解放されたような脱力感がマフェイドルを襲った。

「…………危ないかと思った」
「勘弁してよね陛下……」

やや疲れたようなマフェイドル。カルラがその姿を見ながら

「……ねぇ陛下」
「ん……?」
「私は気になるな。ねぇ、『どう』やったの?」
「………」
「起こしにいったら、男だった。そんな前日まで女帝に仕えてたのにね」

その言葉にはただ苦笑するだけ。その時を思い出すように瞳を細めたマフェイドルが、やがて観念したように唇をゆっくり開く。

「……私にも、よく解らない。ただ」

間違っていたとは思いたくない。間違っているとしたら、それはきっと今でも『彼』を望むこと。

「今でも、あの子は私の願いが一番らしい。全く、虚無ってのは無茶をするよね」
「……じゃあ、やっぱり」
「そうだよ。……」

いっそ彼に抱く想いごと、体のように変えられればよかった。

「全部、……やってもらったから。シャリに」







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