中編

□Bitter Rose
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「あ、」

その日も皇帝の一言で問題が始まった。

「どうしました陛下」
「う、うん……。忘れてたんだけど」

声に応えたのも、決まりきったように宰相だった。

「私、今剣一本しかないんだよな。……ファルビィティス折れちゃったから」

場所は変わらず皇帝執務室。今日は真面目に執務に取り掛かる皇帝だが、書類は小高い山になっている。机をはみ出し床にまで。
髪を荒く掻く皇帝は、髪を軽く縛り上級士官の服を着ていた。皇帝仕様の衣装は製作まであと数日かかるらしい。

ファルビィティス、というのは先日ベルゼーヴァとの手合わせで真っ二つに折れた皇帝マフェイドルの愛剣だ。冒険者時代からの持ち物で、年数を考えれば確かに限界だったろう。
『あの闘い』からさえ持ち主を守った剣だ。役目の終了を悟ったのかも知れない。

「……陛下が力任せに振るうからです。」
「う」

それを言われては元も子もない。

「しかし陛下、武具の新調とはいえ……御自分の政務を放棄されては我々が困ります」
「解ってる!解ってるから!!……ちくちくちくちく人を怠け者みたいに言わないでくれないか」
「必要でしたら鍛冶師を呼び付けますが」

それはベルゼーヴァの言葉だが、マフェイドルが表情を曇らせた。

「……なんか、嫌だ。」
「……?」
「衣装や装飾品は呼び付ければいいかも知れないけど、武器だけは直接出向きたい」

皇帝の我が儘は今に始まった事ではないが、些か庶民的で困る。直接出向く、なんて無用心な。

「暮れ時でしたら私にも時間はありますが」
「……え」

ベルゼーヴァが目を細めて懐中時計に目をやった。使い込まれたようなその時計は銀色で上品で、帝国宰相の雰囲気にぴったりで。

「それまで、せめて半分――間に合いますか?」

ある意味、その言葉は挑戦だった。……女帝から皇帝になって、絶対、ナメてる。
女帝の時は書類仕事なんて軽くこなしていた。書類に判を押してサインする仕事なんて、リッチ三連続と比べれば!

「間に合うさ!!」

いいように闘争心に火をつけた宰相が、笑いながら部屋を出ていく。今でもやはりその掌の上で踊らされているのだと

どこか間の抜けた皇帝は気付いていなかった。







その書類群はリッチ三連続とは比較にならなかった。比べるだけリッチに失礼だ。

「……流石」

例え聞き手の側面がインクで真っ黒になろうが、皇帝の座所に座るようになってから何年も机仕事ばかりだった皇帝の敵ではない。
山になっていた書類は、僅か二積みを残すのみまで片付いていた。

「どうだベルゼーヴァ!!」

多少よれた皇帝の姿は、子供のような輝かしい笑顔でそこにある。しかし

「最初から何故本気を出さないのですか」
「ぐ」

大人目線で言われてしまえばそれまでだ。

「……刻限まで間に合いましたね」
「間に合わせたからね」
「今から出るなら、直帰の方が良さそうだ」

嬉しさに浮ついたマフェイドルの気持ちも、ベルゼーヴァの言葉で徐々に沈んでいく。
直帰。……帰る事、今考えなくても。今言わなくても。
どうしてこうも乙女心を解らないのか、と怨みがましい瞳を向けた。そもそも体は男だが。

「行きましょうか、陛下」
「………うん」

だってこれは『デート』になるのに。

「あ」
「今度は何ですか」

扉に向かおうとしたマフェイドルが足を止める。

「服。この格好、思い切り幹部の服だよ。下士官の服でいいから調達できない?」
「……………………。」

そんな今更な事に気が付くあたり、やはり抜けているのである。










「わー」

下士官の服を着込んだマフェイドルと、いつもの服のベルゼーヴァ。
門を出る頃にはマフェイドルの気分が完全に醒めていた。

「私って当たり前な事にも気付かなかったみたい」

下士官の服とはいえ、中身は帝国皇帝だ。そしてその供は帝国宰相。
当たり前な事に、お付きが二人付いてきた。しかも一人は

「…………陛下が男に……。陛下が………」

そうブツブツ繰り返すのは、昔からの友人であるアイリーン・エルメスだった。
お付きのもう片方は

「まぁまぁアイリーン。気にすんじゃないよ。ん?」

アイリーンの直属上司、カルラ。
呑気な顔でアイリーンの肩を抱く、そのカルラの肩をマフェイドルが思い切り引っ張って遠ざかる。

「カルラ、ちょっとは気を利かせたらどうなんだい。ん?」
「あれ、おかしいなぁ。普通は『この忠義者!』って褒められるんじゃないのこの行動」
「折角ベルゼーヴァが私を誘ってくれたんだ!私なら下士官の制服だし、ベルゼーヴァいるし、最悪ザハク来るし、お付きなんて要らないよ!!」
「あぁ、そう。陛下はあの玉葱とヤれるかヤれないかの瀬戸際だもんね」
「ヤ、っ………!!?」

一瞬にしてマフェイドルの顔が赤く染まる。

「でもね陛下。アンタ、皇帝なんだよ」
「………!!」
「事故でも暗殺でもなんでもあってみなさいな。あたし達、色恋にかまけて死んだ皇帝に仕えてた……なんて考えただけで死にたくなるわ」

正論で切り捨てるカルラの言葉は、正しい。向こうの二人が気にかけないうちに、とカルラは戻った。
マフェイドルは暫く黙り込んで俯いて、呼びかけがあるまで戻れなかった。







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