【軌跡】

□創成期E中2春→中2秋
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2002年 シベリアーズ誕生の年


新2年生に進級

主将が 2年1組

ユージが 2年3組

コージが 2年5組

naokiが 2年6組

そして、

かんとく・IGA・ケンタが 2年4組。

泣く子も笑う 2年4組。

*2,3年は同じクラス

この2年間でIGA&ケンタという名コンビが誕生した。



さて、新2年。

部活組の3人、naoki かんとく 主将は 格段にうまくなていた。

やはり基礎体力を向上させるだけで、実力は何倍にもなる。

これを教えてくれた、くまっきーーー、

ありがとう・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・(゜o゜)


しかし、くまっきーはもう居ない。

転勤してしまった。

あんないい指導者を飛ばすなんて、教育委員会は何考えてんだ。

そして替わりに教師2年目野球経験0の新米教師Nが野球部の顧問に。

これがそもそもの始まり。

この頃には同期の数が増えていた。

当初は10人だったのに、今は16人くらいいた。

新1年生も入って野球部は50人以上の大所帯だ。



大人数をまとめるというのは大変だ。

まとめる人間には器の大きさだとかリーダーシップとか

求められるものが人の数に比例しておおきくなるからね。



さて、この頃、実力をつけたものの、まだまだ試合には出れない面々。

だけど自分の力を試したくなっていた。

試合がしたい・・・・

試合がしたい・・・・・・・・

相手・・・相手・・・・・

いるわけがない。

でも試合はしたい 

どうすっぺ・・・・・・・・



ひらめいた



暇そうな奴18人集めて試合しよう!

幸い同期でレギュラーなんてほとんどいなかったから、いくらでも集められる。

かんとく「よしっメンバーを集めよう」


声を掛けて回る監督。

これがシベリアーズの前身。


そして結集したこっちサイド9名

かんとく 主将 naoki IGA ケンタ
ぐっちー I藤 K藤 A間

なんて濃い面子だ


相手は部活の先輩やあっくんを含む9名

はっきりいって俺らより格上だ。

あいつらを抑えるには優秀な投手が必要だ。

さて、誰がやる・・・・・

??「俺投げたい!!」

??「俺も投げたい!!」

当時、マウンドで投げること、すなわちエースを主張していた2人組。

もちろん、IGA&ケンタ

しかしまぁ色々あって初代エースはK藤ということになた。

naokiはサード 主将はレフトかファースト
かんとくはキャッチャーだった







こんな感じで何気なくたまに試合しながら野球していた2年生の前半。

しかし、7月。3年生、引退。

部活の中心は俺らの代に。




そして、激動の時代へと移りゆく………


(次項に続く)
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