SS.WORST ♯2
□卑怯者のバラッド
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「王手。」
「……っ…!?」
ここは俺の部屋。
テーブルを挟んで、俺はフラリと現れた拓海と対峙していた。
俺らに挟まれたテーブルには、酒の入ったグラスと空いたビール缶が数本。
そして、その真ん中には升目の盤と、幾つもの駒。
将棋。ついこの間、ここの物置で発見したものである。
ふとした事で、見つけた盤の事を思い出した俺は、
酒を持って現れた拓海を、ゲームに誘ったのだった。
俺は負けた駒をかき集めて、手で弄びながら溜め息をひとつついた。
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「拓海、お前は一体何者だ。」
「うん?…どういう意味だ?」
「無経験と言っていたが…。本当にそうなのか?将棋。」
「初めてだよ。チェスなら経験あるけれど。」
互いに関心のないように見える俺たちだが、意外と話す機会は多い。
今となっては俄然、拓海から話しかけられる回数も増えていた。
こうして自然に、飲む機会も出会った当初と比べ、だいぶ増えている。
それには理由がある。
元々、仲間内での立場が似ている、という所もあるのだが。
それ以前に、拓海はどうやら…何の酔狂か、俺の事が好きらしい。
告白されたのはひと月程前。
強請られた返事に、保留させてくれ、と申し出たのもそれ位。
…それ以来、その話を避け続けている、卑怯者の俺。
新しいボトルを開け、俺は拓海のグラスに一杯注いだ。
ゲームは、真剣味がないと面白くない。
負け一回につき、相手に一杯。
つまり、勝てば勝つほど、酒が堪能できる、というルールだ。
とはいえ、お互いかなり飲んでいる。
「もう一回だ。次は負けねぇ。」
「あはは。俺だって負けねぇよ?」
「うるせーよ。」
にやつく顔を遮り、俺は駒を並べ始めた。
パチリ。
「そういえば、蓮次。」
対戦開始間もなく、拓海が口を開いてきた。
パチリ。
「なんだ?」
返事をしながら、俺は駒を指で掴む。
「いい加減、返事くれない?」
がちゃがちゃがちゃぁーーーーっ!!!!!!
拓海の言葉を聞いた途端、俺の『歩兵』が拓海の陣を突っ切った。
「何するんだよ。駒がバラバラになってしまったじゃないか。」
「お、おおおおおお前が変な事言うからだろうが!!!」
「本当。そういう可愛い所、好きだよ。」
「っ…!!」
真っ赤になってうろたえる俺に、拓海はフッと口の端を引く。
本気なのかからかっているのか。
不透明な笑いに、こめかみ辺りの血管が沸き立つ。
しかし、ここで喚いたら奴の思うツボ。俺は懸命に怒りを抑えた。
それに、不安定な感情のままでの無茶な進軍は、敗北を招いてしまう。
あくまで冷静に。相手の戦略を見極め、その隙を狙わねば勝てないからだ。
俺は、ひと呼吸置いて持っていた駒を指し直した。
パチリ。
「で、どう?返事。」
「へっ、返事もなにも俺は…。」
パチリ。
睨みつけていた盤から目を離した拓海が、俺を見据える。
こいつから見詰められるのは苦手だ。何もかも見通されそうだから。
「俺は、何?」
「ど、どうもこうも…俺は何も出来ない。」
「何故?」
パチリ。
「お、俺は…男だ。」
「それは関係ない。俺の事を、蓮次はどう思っているのかが聞きたいだけだ。」
「か、関係ない、って…。」
拓海のまくしたてに奪われかける思考を、必死で集めて進軍に集中する。
パチリ。
「じゃあ性別抜きにしてさ…俺の何処がダメで返事を保留してるの?」
「えっ…?いや、その…お、お前は完璧だよ。か、カッコイイし…優しいし…。」
「っく…あっはっはっはっ!!!」
拓海が珍しく、声をあげて笑いだした。
それはもう、腹をも抱える勢いだ。
「な、何で笑うんだよ!!」
「あはは、ごめんごめん。」
しかし、拓海の笑いはなかなか収まらない。
よく見ると、涙を浮かべるほど笑っている。
そんな態度で謝罪も何も無いだろう。
「蓮次に誉められて、嬉しいんだよ。」
「な、何を…。」
パチリ。
「蓮次と一緒に居る度に、蓮次と話す度に、蓮次の事を考える度に。俺は、どんどん蓮次が好きになってしまうな…。」
「そ、そんな事言うな!」
「どうして?本当の事だよ?」
「っ…!!」
コイツ、恥ずかしい事ばっかり言いやがって…。
俺だって、全く考えていないわけでは無かった。
拓海に好き、と言われて。返事をずっと保留して。
拓海を何日も苦しませている自覚だってある。
だが、正直言って。俺だって分からないのだ。
拓海の事は好きだ。でも、それは拓海の「好き」とは全く違う。
拓海の横は心地いい。拓海と話すのは楽しい。
だからこそ、俺の返事ひとつで、今の関係が壊れてしまうかもしれない。
俺の、この気持ちを伝えてしまえば。
拓海がいる、今のこの日常を失くしてしまうかもしれない。
それが、怖い。
だから返事なんて、易々と出来ないんだ…。
「蓮次って、優しいよね。…『友達』の関係まで崩したくないんでしょ?」
「え…?お、お前…。」
「でもね、それはとっても残酷な選択だよ。」
パチリ。
「…っ……!?」
辛辣な一手に顔をしかめながらも、何とか駒を打ち直し危機を回避する。
「…お、俺だって…悪いな、とは…。」
「ふふ、そんな顔してくていいよ。俺は典型的な好きな子を苛めるタイプなんだ。」
「…何だそれ。」
俺は照れ隠しに、残りのロックを煽る。
…あぁ、また拓海から助けてもらった。
拓海はどんなに追い詰めても、最後の最後で俺に逃げ道をくれる。
それに甘えた事は…計り知れない。
俺はいやでも知った。
一番言いたいことほど、一番思いの深いものほど。
言葉の練成が難しいことを。
パチリ。
琥珀色の液体を一口飲み、拓海が口を開いた。
「酒の力を借りる、ってのは卑怯だったかな?」
「え…?」
「ちょっと位、蓮次が口を滑らせてくれてるかなと思ったんだけど。」
ゆらり、と。酒の水面が揺れる。
拓海は俺の言葉を聞きたいという。
俺の口を滑らせたとして、どうなるんだ。
…どっちにしろ。俺の言葉は、拓海を喜ばせるようなものとは思えない。
「…蓮次。あまり悩むと健康に悪いぞ?」
「……!?」
その言葉で、ふと気がつく。
そういえば、この酒宴は誰が始めた?
確か、こいつが大量に酒を持ち込んで…。
…あぁ、そうか。そうだったのか。
拓海は、拓海なりに。
悩み続ける俺に、決着を付けさせようとしてくれているんだ。
拓海は…分かっているのかもしれない。
この恋が不毛な事も。
成就する、という次元のモノでは無い事も。
「…卑怯じゃねぇよ。」
「ふふ、そう言って貰えると救われるよ。」
そうだ。拓海は…全然卑怯なんかじゃねぇ。
卑怯なのは。…俺だ。
「もっとシンプルに考えてくれていいんだけどな。」
「そんな事…。」
「これは蓮次の頭の中だとするだろ?」
酒の入ったグラスを、拓海が戯れに俺の前に差し出してきた。
そして、次に人差し指を立てる。
「…これは、お前の思考回路。」
俺の思考に例えた拓海の指が、
俺の頭に例えたグラスの中の氷をクルクルと回し始めた。
カラカラカラカラ。カラカラカラカラ。
琥珀色の水面に激しい渦が巻きだす。
あぁ、そんなに激しくかき回したら…。
カシャン!!
「あ…っ。」
激しい音を立てて、将棋盤に遠心力に負けた氷がグラスから飛び散った。
「こうなるぞ。」
当の拓海はニコリと笑って、濡れた盤を丁寧に拭き、散った氷をグラスに放った。
観れば、拓海の王将駒にも水滴が飛び散っていて。
俺にはそれが、何だか泣いているように映った。
「蓮次。千日手、って知っているか…?」
拓海の言葉に、ボンヤリとくすんでいた思考を引き戻される。
「あ、ああ。自分が不利になる一手を指せないから堂々巡りして…ってお前将棋初めてじゃ…!!」
「チェスにも似たようなのがあるんだよ。パーペチュアルチェックって聞いた事ないか?」
「?…あの引き分けの手か?」
「そうそう。」
パーペチュアルチェックに、千日手。
何回も同じ局面を迎えて手詰まりになってしまう事。
自分が不利になってしまう。
その恐れが、結果そのゲームを破滅…敗北へと導いてしまう禁じ手。
まさに、…今の俺だ。
パチリ。
手駒の『歩兵』を『金』にする。
ゲームはいよいよ大詰めへと加速していく。
パチリ。
そんな中、ヒヤリとする升に拓海の駒が指された。
「っ…!?」
「将棋だと、千日手は仕掛けている側が手を変えないと反則、だよな?」
「…そ、そうだよ。」
パチリ。回避。
「俺を傷つけてもいいよ。蓮次を悩ませるよりマシだ。」
「…簡単に言うな。」
「そうか?じゃ、一言オーケーって言えばいい。リピートアフターミー?」
「続けねぇよ。馬鹿。」
むくれる俺に拓海はくすくすと笑みを零す。
この話題になったとき、いつも険しくなる俺の表情を、
…拓海は、こうしていつも和らげてくれる。
拓海は、いつもそうなんだ。
居心地いい場所を絶妙なタイミングで提供してきてくれる。
パチリ。
「…好きだよ蓮次。」
「っ…!?」
突然。サラリと言われた告白に、頭が一瞬ショートする。
パチリ。
「王手。」
「なに!?」
慌てて盤に意識を戻すと、いつのまにか俺の『王将』に狙いを定めた、拓海の『歩兵』。
そのピンチを、『銀』を指してなんとか逃げる。
パチリ。
「おい…もしかして、この会話ってテメェの戦略の一種じゃないだろうな?」
「何て事を言うんだ?俺の純粋なコイゴコロを。」
「…そんな白々しい笑顔で言われてもピンとこねーよ。」
「はは、違いないな。」
拓海の不透明な笑みに、俺は肩を落とす。
パチリ。
軽い音をたてて、拓海の手が終わる。
俺は再び局面を睨んだ。
こちらから手を変えないと…か。
「…拓海。」
「ん?」
「俺は…その、何つーか…。」
言葉をもごもごと濁し始めた俺に、拓海の顔がスッと真面目に引き締まった。
あぁ。どんな表情でも、拓海の顔は相変わらず綺麗なままだ。
「俺の、今、拓海へ思っている事は…変わらねぇと思う。」
拓海の表情からは、感情が読み取れない。
いや、本人が故意にそうしているのだろう。
俺が、言葉を引き出しやすいように。
拓海は穏やかな顔で、ジッと黙って、動かなかった。
「拓海には悪いけど…伝えようが、伝えまいか。俺は結局どっちでもいいんじゃねーかと…思っている。」
「拓海の気持ちに応えようが応えまいが…俺が拓海の側に居る事に変わりはねぇからよ。」
俺は、「えっ?」と、きょとんと呆けた拓海から目線を逸らすと、
人差し指を中指で抓んだ駒を、俺は目的の升に指した。
パチリ。
「蓮次それって、…あっ!」
「…逆転、だ。」
拓海の王将、逃れる術なし。ゲーム終局。
長時間の頭脳戦を終えた俺は、椅子の背に凭れて天井を仰いだ。
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「あーあ…最後のは油断したな。」
俺の空いたグラスに、拓海が笑いながら新たに酒を注いでくれる。
それを拓海のグラスと鳴らせて乾杯し、その勝利の美酒に咽喉を潤した。
「お前…やっぱり将棋経験あるだろ。」
「あれ?いつのまにバレてた?」
「指していれば分かる。嫌な手ばっかり仕掛けやがって。」
「あはは、流石だね蓮次。」
狡い拓海。狡くて…卑怯者の俺。
でも、俺は。……俺は…。
「あのさ、拓海…。」
「うん?」
膝の上で拳を握って。俺はひとつ、深呼吸する。
そして、禁じ手ループを壊すべく。最初の言葉を噛み締めたのだった。
END