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□二兎追うものは一兎をも得ず
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季節はずれの雪がチラリと視界を横切る
冷えた体、冷たい氷のようになった手
白い手袋を外せば、まるで血の通わない死人のように白い手
その手の甲にくっきりと浮かび上がる、それは契約の証…。





「セバスチャン」



「っ」



ビクリと肩を揺らし、ハッとし顔あげる。
今自分がいるのはファントムハイヴ家の屋敷の庭…
既に眠りについている筈の、自分の主…シエルが目の前に立っていた。
こんなに近づいていたというのに、何故気付かなかった?

そっと差し伸べられた手は小さく、セバスチャンからしてみればとても儚いものだった。
いつの間にか屈み込んでいたせいで、いつもならば見下ろす位置にいる筈のシエルが上にいる。
頬に触れた手は冷えていたが、それでもセバスチャンの体温に比べると温かかった。



「なん…」


「すっかり負抜けになっているな、それでも僕の執事か?」



言葉とは裏腹に、触れる手はどこまでも優しくて
何故こうも普通に接する事が出来るのだろうか
知っている筈だ、誰が誰を想い、誰を蔑ろにしているかなど
偽善でも、なんでもない…
何故そんなふうに、愛を持って触れられるのだろう…。
人間のくせに、短命のくせに…いつかその魂を食らうのを知っているくせに



「全く、仕方のない奴だな」


「坊ちゃ―…」



温かい小さな懐に抱き込まれ、言葉はそれ以上続けられなかった。
【彼】の温もりは望んでも手に入らないのに、違う温もりは望みもしないのにこうして与えられる。
それがどれ程甘美なものなのか、震える身体が歓喜を覚える。




「なあ、セバスチャン」


「…はい」


「お前は僕のモノで、僕はお前のモノだろう?」



抱きしめる力を緩め、片手の親指で目尻を撫でられる。
そこで漸く自分が涙を流しているという事に気づき、驚くしか出来ない。
何故泣いているというのか、泣く必要がどこにあった?
【彼】が手に入らない事くらい理解していた事で、それが互いにとってお遊びでしかなかった事など覚悟していた事だ。
なのに何故?



「お前は馬鹿だな」


それは嘲るものではなく、どこか呆れて…それでいて優しい声色。
涙を拭い、覗き込むその表情もやはり優しいもので…



「僕はお前以外はいらない」



ああ、まさにこれは



「お前が愛しい」



悪魔がよく使う



「人間くさい悪魔なお前を、僕は悲しませない」



弱りきった獲物を、求める言葉を持ってして



「いい加減、僕のモノになれ…その想いも」



堕とす、手段―…




「セバスチャン、僕の愛しい悪魔」



ただそれが、悪魔と違い
本心からの言葉で、甘くて極上なものだという事。
じわりじわりと侵食される感覚に、目の前の小さな身体に縋る憐れな自分。
欲しかった言葉、欲しかった温もり
求めるばかりで、返す事をしない浅ましい自分。
そんな悪魔を愛した愚かな人間…それでも




「ぼっちゃ…」


縋りつく私は、弱い生き物に成り下がった。
恋などと、愛などと…と嘲笑っていた昔の自分が懐かしい。
ああ、堕ちるのだと悟った

この小さな人間に、小さな主に
縋った今、決してこの手を離そうとはしないのだと理解出来るから。
泣きつかれ安心して眠るなど、人間くさいの前になんと子供な事か…









「おやすみセバスチャン、明日からは忙しいぞ」



腕の中の愛しい悪魔に、シエルはただ笑いかける。
弱りきった所を漬け込む狡賢さは、今まで生きていく中で悟り身につけた。
悪魔に教えられた事で、その悪魔を手に入れられた事が嬉しくて仕方がない。
手放すつもりはないし、逃がすつもりも無い。

愚かなのは誰か…


受身で待ち縛りつけようと必死になる、あの人間か。
想われていながら、人間も気にしているあの悪魔か。
想っていながら、想われていながら行動に出来ず、躓いたこの悪魔か…

弱りきり、限界まできた所を手に入れる己か…



何にしろ…



「お前が手に入るなら、どうでもいい」


甘やかしてやろう、溶けるほど
愛を囁いてやろう、耳を犯すほど
そうして離れられなくして、逃げられなくなった悪魔は
ただただ、自分だけの愛しい悪魔になるのだから…。



「クロード・フォースタス…『二兎追うものは一兎をも得ず』という言葉が、ある事を理解するべきだったな」


どちらも手放せないのなら、そんな男にコイツはやれない。
やるつもりもない…が

腕の中で眠っているセバスチャンに、シエルはただ微笑む。
シエルの望むのは、セバスチャンただ一人だけ。
それをいうのならば、あの人間…アロイスと名乗る者も、また一途だったな…と
どうでもいい事を考えた。









END
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