novelle

□ありがとうを君に
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あれから何年という年月が流れたのだろう。

3年? 5年? いや7年?
けれどもその後彼女は彼の前に現れることはなかった。

それでも青年は気に留めない。

だって、最後に交わした言葉がたとえ彼女に耳に入っていないとしてもありがとうだったから……。

最後に見た彼女の表情が優しかったから。

けれど、青年は消えることはなかった。

あの時と同じまだ石の前にいる。


……何故だろう。




「聖」



ふと一瞬、彼女の声が聞こえた。

しかも自分を呼んでいる。

見えないはずなのに。

だから、聞き違いだろう、と聞き流す。




「聖! せっかく会いに来てあげたのに!」




聞き流した声がまた聞こえる。

それほど、俺はあいつが恋しいのか……?




「そうか。俺はあいつが恋しいんだ……。恋しくて恋しくて、もう一度会いたいんだ。会ってもう一度あいつの笑顔が見たいんだ……」



自問自答し、納得した青年はさっき聞こえた彼女の声らしき音など全く無視し、ひとりつぶやく。




「ちょっとひどくない!? わたしがここにいるのに違うこと考えて。“あいつ”って誰? こっち向いてよ」



またあの声が聞こえる。

ちょっとした嫉妬と一緒に。

自分は夢を見ているのか。


死んだ人間が夢を見るなど笑えるにも程がある。

青年は面倒臭そうに声のする方を向く。

しかし、そこには面倒臭いだけでは済ませない事実が待ち受けていた。

一瞬で固まり、言おうとしていた言葉が喉の奥へ戻っていく。




「え――。み、美沙……?」



そこには、愛しい、会いたいと思っていた人の姿。

だが、そんな人が今こんなところにいるわけがない。

まして、自分が見えるわけが……。

なぜならば、彼女は今もまだ生きているはずなのだから。

しかし、青年を見つめる彼女の瞳は美沙と全く同じものであった。

が、その容姿は最後に会ったときより幼い、青年が死んだときの容姿と同じものと思われる。

彼女より少女という方がしっくりくるだろう。




「美沙なのか……?」




返事の代わりに少女はにこっ、と懐かしい笑顔を見せた。

それは、予想を確信へと変える。

青年はびっくりした顔をしたかと思うと次は嬉しそうな顔、少女に負けないくらいの笑み、と百面相させているのに少女は笑いを堪えながら見ていたが、我慢できず吹き出してしまう。




「でも、なんでお前がここにいるんだよ?」




「死んだの」




唐突な答えに青年はその答えに対応できないでいる。

……死んだ? どうやって?

疑問が脳裏に浮かんだと同時に口に出していた。




「ん、寿命で。だって、聖のところ来てから50年ぐらい経ってるよ? 死んでてもおかしくないじゃん」




5年、7年どころではなかった。

その倍以上だ。

しかし、青年にはそんなに年月が経っているとは思えない。

その間の記憶がすっぽりと穴になっている。
その間、ずっと考えていたのだろうか。

最後の交わした言葉が……と。




「ちょっと、聖! わたしの話聞いてる?」



再び、深い顔をして考え込んだ青年を我に返した言葉だった。




「あ? え?」



意味がわからず慌てふためく青年に少女ははぁ、と溜息をこぼす。

しかし、久しぶりの再会に怒る気はしなかった。怒る代わりに苦笑を見せる。




「だから、“あいつ”って誰?」



青年は少し考え、思い至ったのかああと口から漏らす。




「お前だよ。美沙に会いたかったんだよ」



恥ずかしくなるような言葉を青年はさらっと言い、少女は少し顔を赤くしながら、納得する。

少女が顔を赤らめた理由はそんなことを言われたから恥ずかしい、それだけではなった。

青年が言った“あいつ”という誰だかわからない人物に嫉妬した自分が無性に恥ずかしくなったというものもあるだろう。




「バーカ」



「なんだよ。ってか、お前こそなんでここにいるんだよ? 旦那は?」



「聖に会いたかったから。旦那とはおさらば。死んだらここにくるって決めてたし、聖の方が旦那より好きだもん」



「お前の方が馬鹿だろ」



だって……、と言い訳がましく言うがそれは口だけ。

ふたりとも心の中は同じ。


ただ、お前に、君に、会いたかった。




「ありがとう」



それだけで、心は満たされる。

温かい気持ちが水のように流れ込んでくる。

そして、ふたりは笑いあいながら静かに消えていく。

それにふたりは気付かないだろう。

気付いたときは、その時は……。

幸せな二人を世界は優しく見送る。

小さな小さな幸せ。

だが、彼らには大きな大きな幸せ。

それが、彼らにはどんなにも輝かしい、喜ばしいことだった……。



あいつのことだから、姿も俺が死んだときと同じ若さにしてくれてるんだろうな。

よぼよぼのおばあさんで出てこられてもな。

そう思うと笑みが絶えない、いつまでも永遠に笑っていられるような気がした。
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