novelle

□花の悪魔
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悪魔




ふと、脳裏に親友の顔が浮かんだ――。



「はなせ! はなして! 殺してえええええ」


彼女が豹変していくのをリリーは見てきた。

それでも、決して自分の口からは弱音を吐かない彼女。

リリーが大丈夫か、と訊いても答えなかった。

なんでもないよ、と笑顔を向ける彼女が痛々しくて見ていられなかった。

リリー以外の友だちは彼女の口が死を望む言葉を発するのを知らないだろう。

――わたしだけが知っている。

彼女の恋人のシラを除いては、リリーしか彼女の死の間際を見ていない。


「放してよ! もうこんな世界勘弁だわ! ほら、誰もいないところへ行くの!」


「マカ……」


この屋敷の侍女や執事、警備兵たち十人弱がやっとの思いで、リビングで調理包丁を泣き叫びながら振り回す彼女――マカを取り押さえる。

そのいきさつは、……いわなくてもいいだろう。

ただ、リリーは傍観することしかできない。

ようやく、静かになった彼女に駆け寄る。

そして、強く抱きしめた。


「マカ、大丈夫。わたしがいるから。それに、ここの執事さんや、あなた付きのカペアもいるわ。あなたが愛するシラもいるのよ。たくさんの人があなたを見守ってる。みんな、あなたの両親みたいに遠くにいるわけじゃないのよ。会いたければいつでも会える」


リリーはいつものように彼女を諭す。

腕の中のマカはぐったりしている。

マカの身体にはいくつもの自傷の跡が忌々しく残花する。

彼女の心はもうずたずたであった。

彼女の両親は世界中を飛び回る、大手会社の社長と秘書。

帰宅するのも年に一度あるかないかだ。

帰宅したとしても優しい言葉は一言も掛けられない。

いつも彼らの口から出てくるのは、報告結果の返事とあなたは会社のために――だ。

よく頑張ったわね、という言葉と付いてくる笑顔も彼女の嬉しいにはつながらない。

その言葉のあとにはいつも、でもここはこうしたほうがもっといい結果が出たでしょうに、のような上書き。

そして、笑顔も感情がのっていない。

ただ頬の筋肉を動かしただけに過ぎない。

しかし、その笑顔には感謝している、と以前マカが言っていた。

その動作のおかげで笑えるようになった、と。

あの嘲笑が今でも忘れられない。

腕の中のマカが一言リリーに向けた。


「ありがとう」


そのまま、彼女を自身の部屋に送りとどけ、リリーは豪邸を後にした。










マカは、親の愛情を知らずに、今の今まで育ってきた。

幼いころはただ寂しかっただけだった。

いつからだろうか、こんなにも死を望むようになったのは。

今まで、たくさんの死を望み、臨んだ。

薬の多重服用、リストカット、飛び降り、毒、刺傷……。

以前まではここまで頻繁ではなかった。

学校も楽しく過ごしていたし、まだ制御ができていた。

行動したときは必ず誰かが助けてくれた。

甘えていたのだ。

彼女のまわりが愛にあふれているのは彼女自身が一番良く知っている。

その愛の中に苦しみが混じっているのも知っている。

だから、もう、その苦しみから解放してあげようと思った。

――苦しむのはわたし一人で十分だ、と。

それなので、マカは恋人に別れを告げた。

彼は苦虫を噛み潰すような顔でマカの話に耳を傾けた。

彼女が一度決めたことはやりぬくことを知っているからだ。


「ああ、わかった。でも僕はいつでも君を愛してる」


その言葉に涙腺が緩みそうになるのを必死で堪えた。

彼に別れのキスをして、その場を立った。

後ろは、振り向きたくなかった……。

リリーには、学校を出る際、とびきりの笑顔を見せた。

両親のような偽りの笑顔ではなく、本心からの笑顔を。

笑顔を見せた刹那、リリーの顔がはっ、としたのが答えだろうか。

彼女もとびきりの笑顔でおくってくれた。

そして、ある思い出の場所へきた。

唯一、もう思い出せない小さな頃、両親と来た思い出の場所。

マカはその地へ仰向けに寝転がる。

芝生の絨毯は柔らかく、周りを囲む花々は陽に照らされていた。

こんな思い出の場所を自身というもので汚したくはなかったが、思い出とともに旅立ちたかった。

かばんの中から鋭くとがった一本のナイフを取り出し首元にあてがう。

そして、勢いよく、裂いた。

リリーの願いどおり深く裂けた。

傷口からどくどくと朱が流れ出る。

痛みなど……ない。

――ああ、これで……。

刹那彼女の頭に今までの人生が蘇ってきた。

使用人たちと過ごした日々、リリーに抱きしめられたあのとき、シラの笑顔。

数々の思い出が血とともに流れていく。

涙があふれた。

そして、最後はリリーの笑顔。

眼をゆっくり閉じる。

かさ、と音が耳に届いた。

まぶたを開くが、もう視界が霞んでいた。

端のほうに二つの小さな黒い影が確認できた。

火が付いたような熱い喉から最後の言葉を搾り出す。


「迎えに、来て、くれた・・・・・・の? …………ありがとう」


最後のほうは声にならず、かすれた。

迎えが来たのだ。

それは決して天使ではなく、黒い羽根の付いた卑しい悪魔。

そう、わたしが行くべきところは天国などではない。

地獄だ。

一筋の涙があふれた。



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