捏造小説

□中編部屋
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3 逢瀬



次の週に訪れた時は肖像画が外されていた。

「私、気にしないよ?」
「や、よいのだ」

毎週、部屋に訪れたヤコに読み書きや歌やマナーなども教え自分好みに育てて行く。

「いとしい娘よ、心から貴様に接吻しよう」

「うふふ、ネウロくすぐったいよ」


世間に悪魔だと言われた男はヤコに対してすっかり好々爺に変貌したようだ。

院内には部外者に眼を光らせる監視が居るので長居はできないが2人には充分だった。


やがてネウロの日記にはヤコに関する記述が圧倒的に多くなってくる。

老人は大そう嫉妬深く、ヤコが仲間と一緒に舞踏会に行ったり、水浴びに行ったりしやしないかといつも気に病んでいた。

ハルカに娘の行き先をこっそり聞き出してやれやれと安心したりもしている。


[ヤコは今日どこの舞踏会にも決して行かないと我が輩に約束してくれた]

などと日記にまるで天下の一大事のように書いているのだからその惚気ぶりも相当なものであった。



1810年5月
芝居の招待状をオランダ王ならびに宮廷の女官に贈っている。

パリの大司教が訪問した際には即興の歌が患者達によって歌われていた。

それはネウロが病院内で多くの者から尊敬され、その文学的才能を重宝がられ、比較的のびのびと暮らしていたことがわかる。


しかしに1810年の後半から雲行きが怪しくなってきた。


警察が[派手なお祭り騒ぎが患者の精神に有害な結果をもたらす]との事実無根なでっち上げをし、紙とペンを取り上げるよう要求してきたのである。


院長の精いっぱいの抵抗も、やがて一歩一歩崩れ去る時がきた。ネウロの生活は徐々に不自由になっていった。


1812年3月31日
出版社が小説を印刷し地方に流布した。ネウロも警察の尋問を受けることになった。

不愉快はこれにとどまらない。


1812年6月9日
皇帝ナポレオンは[忌まわしき禁書の著者]の拘禁を持続させることを主張した。


1813年5月6日
反対派の意見が通され、演劇興行の全面禁止の権限を得るに至る。

芝居の上演を禁止され、病院生活が不自由になるとネウロは部屋に閉じこもって執筆に日を送るようになった。



1813年5月15日

‥カチャ
ヤコがドアを開けるとネウロはロウソク一つを灯して書斎に向かっていた。


「ネウロ‥大丈夫?根詰めてるんじゃない」


「‥そろそろ愛戯を教えてやろう。ヤコ、来い」
「あい‥ぎ?」
「そうだ」




「はぁ‥はぁふ‥ネウ‥ロ‥」

老来、男性的機能の低下により、その肉体的な接触も満足な行為ではありえなかったにちがいない。文字通りの性的遊戯のようなものだったろうか。

「‥は‥ぁ‥」

しかし、ヤコのほうもまんざらではなくこの孤独な老人に対して或る種の愛着を抱いていた。

「ヤコ‥将来ここを出たら夫人と我が輩と3人で暮らそう」

夢のような希望を語り出す。
ヤコに異存はなかった。



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