捏造小説

□中編部屋
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2 近くて遠い


ではここで、ネウロの境遇を説明しよう。

ネウロは好きで病院に居るのではない。囚人として収容され釈放を待つ身なのだ。

勝手に捏造された理由により逮捕された。そして裁判も何らかの法的な手続きもなしに監禁されている状態であった。


警察は[矯正不可能な狂人]とみなし釈放を許さない。

独房で長きに渡り書き綴られた毒書が事実ではないかと疑い、釈放すれば何かしら事件を起こすと信じられていた。


だが、院内では自由に過ごせる環境だったようだ。
目の敵にされていたネウロを保護した人物がここの院長だからである。

院長は寛容で思いやりのある男であり、同世代のネウロをいたく気に入っていた。

ネウロが芝居の脚本を書きだしたことを大いに喜び、娯楽施設を整え、図書室までこしらえた。


ヤコと会話を交わした後に、この病院の院長の協力を得てネウロは収容されている患者や囚人を集めて劇団を作ったのである。


「今日すごい人数集まったね、ネウロ」

最初こそちぐはぐながらも日に日に舞台は上達していく。上達と共に出演者にも生気が宿るようになってきた。喜ばしいことだ。

ヤコも入場券の配布や会場を飾るのを手伝った。

「なぁに、まだ素人芝居だ」

今や劇団の指導者として脚本を指定し、配役を決め、舞台稽古を熱心につけるネウロ監督。

彼の碧眼には何か熱っぽいものがあって、時々輝きを放ち燃えあがる。

ヤコはその眼を見つめるのが好きだった。


その半年後には更に規模が大きくなっていた。

付近の町のお偉方ばかりでなく、パリから文学者や劇団関係の知名人や、俳優、女優などを招待するようになり、共に食卓を囲むこともあった。

ネウロは人気女優には彼女を讃える四行詩をそっと差し上げるなどのジェントルマンぶりも発揮している。

若い頃からの夢であった演劇への情熱を思う存分することができてさぞかし満足だろう。

少女は時間を守ってネウロの元へ来た。この教育の時間は、何かと外面はよい彼でも本音が出せる貴重な時間だ。


当然ネウロの活動をきびしい眼でみる反対派も現れるが、院長の庇護が在る限り安泰だった。


それから4年経った
1812年11月15日

「こんにちは、ハルカ夫人」

「あら〜ネウロ監督、ますますご活躍なさってますね」

「支えてくれる人々のおかげであろう‥今日はこれをヤコへ渡して頂きたい」

麻袋はジャラと音をたててハルカの両手に収まる。

「まあ!‥これは?」
「お小遣いですよ。我が輩からだと受け取ってくれないのでね」

「そんな‥お世話になってるのはうちの方ですわ」
「我が輩の気持ちゆえ、気になさらずに」



ヤコはもうすぐ16歳になろうとしていた。今日、初めてネウロの部屋へ入る。いつもは多くの演劇関係者が出入りしていた。

レンガ造りの個室には、足の低いベットとタンス、そして書斎。本棚には250冊もの歴史の重厚な書物が整然と並べられておりネウロの著書も多く見られた。

ネウロは暖炉の前の安楽椅子に座っていた。

「この‥肖像画の人は?」
壁にかけてある古い細密画に眼が止まる。


「我が輩の亡くなった妻と息子だ」
(‥奥さん‥)
寂しそうに笑う姿にヤコの胸がチクリと痛んだ。

「あ‥そうそうネウロ、お母さんからお小遣い貰ったの。寒いでしょ?誕生日のプレゼントに兎の毛の靴下をあげるね」

ネウロは一瞬眼を見開いて
「フハハハ!!‥ゴホッ‥」
声高らかに笑った。

自分のために使えば良いものを‥まさかお礼の施しが、すぐに巡ってくるとは思わなかった。

死と隣り合わせで生きてきたこの男にも、生涯の最後にようやく無条件に愛を注ぐ無垢な魂に出逢えた。ふいに心が暖かく軽くなる。

救われるとはこのことだろうか。

「‥?」
爆笑の意味がわからずキョトンと眼を丸くする少女の頭を優しく撫でた。

「クックックッ‥可愛いことを言う」

「兎の靴下って‥子供っぽかった?」

ヤコは幼さを笑われたのだと思い少し悲しくなった。

「どうした?」

「‥なんでもないよ。ね、これからも部屋に来ていい?」

「もちろんだ。何なら肖像画は外してやる」

「あっ‥いゃ大切な人でしょ」

「今、大切なのはヤコだ」
さらりと嬉しい言葉をかけられて、

「‥うん、私もだよ」
ゆっくり抱きすくめられた。


(‥もっともっともっと早く生まれてたら、ネウロのお嫁さんになれてたかな‥)

与えられた運命に胸が苦しかった。



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