御礼企画
□その先へ
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ヘムヘムの鳴らす鐘は余韻を響かせながら、午後の始業を告げる。
食堂のおばちゃんのカチャカチャと食器を洗う音がやけに響く中、わたしはランチの焼き魚をぼんやりと見詰めていた。
「土井先生…ほれ、ほとんど箸が進んでないじゃないですか。早く食べなさいよ。」
はっと顔を上げると、わたしの正面の席でやはり遅めの昼食を食べていた山田先生が苦笑いを浮かべていた。
お茶も飲みなさいよと、わたしの湯呑みに急須を傾けられる。
「ああ…すみません。有難うございます。」
わたしは湯呑みに手を添え、八分目程に注がれたお茶を口許へ運んだ。
山田先生にこれ以上の心配を掛けてはいけないと無理矢理笑顔を作ってはみたが、やはりどこかぎこちない。
いつもは落ち着きを取り戻す切っ掛けをくれるお茶でさえも、味すら判らぬ様な状態だった。
上司とはいえ、同じ組を担当する教員同士なのにこの落ち着きの差。
やはり重ねてきた年月と経験の差なのかと…情けなさに殊更気が滅入る。
‐‐‐溢れそうになる溜め息をわたしは寸でで呑み込んだ。
「半助…、そんなに心配せんでも一両日中には皆帰って来始めますよ。」
ずぞぞっとお茶を啜り、山田先生は最後に残った沢庵をポリポリとかじる。
「おばちゃん特製の沢庵良く漬かってますな。やはりこの味はおばちゃんじゃないと中々出せないですよっ。」
「あらっ、山田先生ってばお上手なんですから。もう一枚サービスしようかしらね。」
嬉しそうにころころと笑うおばちゃんと山田先生の暢気な会話に、取り敢えずな相槌をしてしまっては、自己嫌悪に陥る。
「ほら、土井先生も沢庵お好きでしょ?皆には内緒ですよ。」
おばちゃんは口許に人差し指を添えるとふふっと優しく微笑む。その柔らかな仕草にやっとわたしの口許が緩んだ。
そうやって笑ってないと幸せが逃げていきますよっと、おばちゃんにバシンと背中を叩かれ、わたしは飲み掛けのお茶を溢しそうになってしまった。
無事だれも脱落すること無く何とか五年に進級したは組は、一週間前にそれぞれの忍務を遂行する為に各地に旅立って行った。
今回の忍務は一年から実践経験に富んだは組とはいえ、今までの実習とは明らかに一線を画している。
机上では判っているつもりにはなっていたとしても、実際にその手で遂行するとなれば、決して容易いものではないだろう―――
例え上手く忍務を遂行したとしても、今まで己を培ってきた思想総てを喪い兼ねないのだ。
しかしこの道を通らずして、忍と成る事は不可能と言っても過言ではなく、避けては通れないのも事実。
この実習を機に学園を去る者も少なくないと…判っている。
それでも、
あの子達の無邪気な瞳をもう見る事が叶わなくなると知っていても、それでも何食わぬ顔をして見送った。
あの子達にとっても、わたし自身にとっても、長い長い一週間になるであろうと、予感しながら…
今まで以上に悲鳴を上げる胃の腑をこらえ、それでも精一杯の笑顔でいってらっしゃい、無事帰って来いよと努めて明るく見送ったのだ。
無事実習をやり遂げて早く戻って来て欲しいと思う反面、あの子達の手が血塗られ、変わってしまうのではないかと…わたしは一抹の不安を消せぬまま‐‐‐
ただ待つことしか許されない現状。
たった一週間しか経って居ないにも関わらず焦燥だけが募り、息苦しさを拭うことは出来そうになかった。
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