御礼企画
□お駄賃
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※きり丸高学年設定です。
黄昏時と呼ぶにはまだ幾ばくか早い時刻。
それにも関わらず、通り沿いにある幾つかの長屋からは夕げの準備をする音と鼻腔を擽る旨そうな匂いが漂って来ていた。
おれは所々打ち水が施された湿った土を踏み締めながら、足早に家路に着く。
帰ったらさっさとアルバイトの洗濯物を取り入れて返しに行って、お駄賃お駄賃っと…
おれは懐の小銭を確認しつつ、今日の予定を反芻していた。
ただいまと暖簾をくぐり、僅かに西日が差し込み始めた室内に視線を巡らす。
もうすっかり染み付いた癖は、我ながら恥ずかしくなるくらい容易くかの人の姿を捉える。
仰向けに転がっている先生のぼさぼさの髪を優しく風が撫でつけていた。
‐‐‐寝てる。
おれはその寝顔にほんわかと暖かい気持ちを貰うと、起こさないように忍び足で土間を抜けて中庭に向かう。
取り敢えず先に洗濯物っと思ったのに、ある筈のそれはすっかり片付けられていた。
室内にもその影はなく、おれはほっと息を吐いて、おれは今日の終いにする筈だったバイトを片付けてくれたであろう、その人の枕元に膝を着いた。
右頬をひやりとした床板に張り付け、気持ち良さそうに上下する胸。
ふわりとなびく前髪の下で、意外と長い睫毛が小さく揺れていた。
唇は少しかさついているけれど、薄く開かれたそれは何とも言えないくらい色っぽくて…先生が寝ているのをいい事におれはじっとその顔を見詰めていた。
いい加減見慣れた筈のその顔はいくつ歳を重ねても、おれをドキドキさせてやまない。
夕飯の準備もしないといけないのにと、頭の片隅で冷静に考えていてもなんだか離れがたくって、
おれは先生の顔をじっと見つめたまま、ゆっくりとその唇に手を伸ばした。
血色の良い唇は、仄かに温かくて柔らかい。
下唇の輪郭をゆっくりなぞると、ピクリと動き吐息が漏れる。
おれは何だか悪いことをしているような気分になり、意味もなくキョロキョロと周りを確認してしまった。
小さく咳払いをして、それでももう少しだけと先生の顔に近づく。
間近に捉えるその睫毛…
頬に触れた時にだけ判る僅かに剃り残された薄い髭。
うっすらと残る古傷の痕。
痛んで赤茶け、所々が絡まっているぼさぼさの髪。
形のいい耳は肉厚で、ついつい耳朶に触れたくなってしまう。
ドキドキと煩く脈打つ胸の音が先生に聞こえやしないかと内心ひやひやしながら、こっそりと手を伸ばして先生の耳朶に触れ、その感触を確かめてみる。
程よい固さが心地好くて、ついつい口許が緩んでしまった。
一頻り触って満足したおれは、さあ夕げの支度をと思い立ち、そっと手を離そうとした。
が、その途端にガシリと腕を掴まれた。
「うわっ!…先…せい…っ?!」
「‐‐‐こら。人の顔で遊ぶなよ。」
おれの頬のすぐ隣にあった先生の唇が小さく動く。
瞼をうっすらと持ち上げて、三日月を描くその瞳がおれを見詰めていた。
「…お、きてたん、すか…っ、いつから?」
おれは慌てて顔を上げて先生から距離を取ろうとしたのに、いつの間にかおれの後頭部に廻された先生の左腕に動く術を奪われてしまった。
間近にその視線を捉えてしまい、おれは挙動不審気味に視線を泳がせる。
今さらと言われようが、落ち着かないものは落ち着かない。
自分で招いた事態とはいえ、余りの至近距離に身の置き所がなかった。
「ん〜。お前がただいまを言った時からかな…」
「…タチ悪いっすよ。」
自分のことは棚上げにして、おれは狸寝入りを決め込んだ先生に愚痴を溢した。
「…お前がこの先どうするのかと思って…。」
先生はおれを見上げたまま、興味があったんだよと、ふわりと微笑んだ。
「…っ、このエロ教師っ。」
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