04/10の日記

23:26
信玄の正室三条夫人について
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最近風邪ひきながら、武田関係の小説を読み漁ってました。

信玄の正室三条夫人の小説を読んでは境遇に同情しました。

歴史四方山話で取り上げたいぐらい不幸な方です。

三条夫人の子供は5人いますが、次男は生まれつき盲目(萬丸のモデルです)で出家し、三男は早死にします。

そして信玄の世継ぎとして期待をかけた長男義信は謀反の疑いをかけられ、父信玄によって幽閉され、30歳で自害します。

さらには信玄が今川を攻めたことで、武田と北条の同盟が破棄され、北条の嫡子氏政に嫁いでいた長女は北条から離縁され、翌年亡くなりました。

そして娘や息子の後を追うかのように三条夫人も亡くなります。

三条夫人は弔辞で「西方一の美人」と称されるほど美しい女性で、信玄との間に5人の子供を成したほど仲むつまじい夫人でした。

晩年の相次ぐ不幸に、彼女主人公の小説を読んで共感し、悲しくなりました。

歴史四方山話の信玄の娘たちの項で、三条夫人の次女見性院と夫穴山梅雪の勝頼への裏切りの結果悲惨な運命をたどったのは、因果応報だと書きました。

ただ三条夫人側の見性院の立場でこれらの出来事を考えると、見性院は勝頼を恨む理由はあったと思います。

三条夫人の死後、ただ1人残った次男は、武田滅亡の際に落ち延びる異母妹松姫一行を見送り、自分の子を逃がした後自害します。

結局三条夫人の子供で生を全うしたのは、次女の見性院だけでした。

唯一の救いは、次男の子孫が江戸幕府に仕え、武田の血統を遺したことでしょうか。

三条夫人は大河ドラマや一部小説の影響で歪められた人物像に誤解されがちですが、本当の彼女はとても悲しいです。

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21:21
前田利家こととっしーについて
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今日拍手の利家父親話を書きましたが、最近読んだ本で史実の利家ネタで面白い話があったので、そのパロディで書きました。

本は『殿様の通信簿』という本です。前田利常(利家の側室の子供)について知りたくて読んだのですが、面白かったです。

前田利家は正室まつとの間に11人、側室5人との間に8人の二十人近い数の子供がいて子沢山パパでした。

ただ、子沢山だっただけではなくて、長男利長の子育てについて面白い教育方針があったようです。

利家の長男利長は、晩年は大人しい人でしたが、子供の頃はやんちゃで不始末が多かったようです。

利家はそんな長男に対してただ叱らないで、親が子供のことを人前で叱ってはならない、こうしたほうがよいと教えてやったり、家臣の前で誉めて立ててやったそうです。

その成果があって、利長は立派な嫡子としての振る舞いをするようになっていったそうです。

謂わば誉めて伸ばす教育ですね。意外に利家パパは教育熱心なのでした。

側室の子供たちは晩年生まれたこともあって、そこまで構わなかったようですが、正室腹の娘達が晩年離縁したりで実家に帰ってきたのも、前田家が父利家のお陰で居心地のよい家風だったように思います。

利常についても凄い話が伝わっているので、この本は意外とオススメです。

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