戦ラバキャラと対談&歴史四方山話

□信長は娘に甘いパパ!?ー四方山話
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信長の子供は男子十人以上、女子は存在がわかっているだけで五人います。信長は息子は信忠や信雄、信孝などをスパルタ教育をして厳しく育てたようですが、意外と娘には甘い父親だったようです。

ここでは信長と三人の娘についてその父親ぶりについて紹介します。

長女…徳姫。五徳とも書かれる。信忠、信雄とは同腹の兄弟。

長女の徳姫は同盟国の三河の家康の長男、信康に政略結婚で嫁ぎます。二人の女子が生まれますが、男子がなかなか生まれず、夫婦仲は次第に夫が側室をおいたりして険悪になったようです。

そして信康は徳姫の父親信長の不興を買い、(一説には徳姫が父信長に夫の悪口を書いた手紙が発端になったという説も)信長が家康に敵の武田家との内通や謀反の疑いをかけて、信康の母築山殿共々自害させました。

徳姫は夫の死後、娘たちを残して兄信忠を頼り実家に戻ったようです。再婚はしなかったようですが、自分が原因で不仲になった夫を自害に追い込んでしまった自責の念があったかはわかりません。ちなみに徳姫の二人の娘はそれぞれ家康の家臣の家に嫁ぎ、そのうちの一人は秀忠の娘千姫の姑になりました。

次女…冬姫。母は不詳。蒲生氏郷の正室。一番信長の娘の中でも美貌の娘だったらしい女性。夫氏郷の死後女盛りだった彼女に秀吉が言い寄るが拒絶し、尼になったために蒲生家が国替えになったという話も伝わる。

次女の冬姫は信長の元に人質に来ていた夫氏郷の器量を見込んで嫁がせたと言われています。

氏郷は後に秀吉の元で頭角を表して百万石の領地を治めますが、残念なことにわずか四十で亡くなります。
この時冬姫は三十過ぎの女盛りで、秀吉が言い寄ったのを拒絶したそうです。

蒲生家はそれから斜陽で、氏郷の跡を継いだ息子も早死にし、孫の代で断絶してしまいます。


四女…永姫。母は不詳。夫は前田利家の長男利長。父信長が亡くなった時新婚だった。子供がなく(最近一人女子が生まれて幼い頃に亡くなったことが判明)、前田家は夫の弟が継ぐ。

信長は自分の生前に結婚させた娘の夫は、永姫の夫利長のように自分に忠実で実直な家臣の息子を選んだようです。

利長は父利家や弟利常に比べると地味な存在ですが、家庭においては旧主君の娘であったとは言え、妻は永姫だけを大切に守り、永姫に跡継ぎの子供が生まれなくとも側室を置きませんでした。

父親の利家でさえも側室が数人いたのに、この実直さが生前の信長の目にかなったのかもしれません。

わたしは前田利長という人物を結構買っていて、派手さはないものの、加賀百万石を守り抜いた器量を高く評価しています。また、婚家から出戻ってきた妹達にも優しい兄でありました。永姫も父親にこの利長のような夫を選んでもらい、大切にしてもらえたことは幸せだったのではないでしょうか?

三人の娘達の父親としての信長を見ると、長女徳姫の政略結婚は失敗しましたが、以後は反省か後悔したのか、娘を大切にしてくれそうな家臣の息子に嫁がせています。特に永姫の夫利長は先見の明があったのではないかと思います。

反対に家康の娘は徹底的に政略結婚に利用され、再婚した娘が多いです。その点から考えても、信長という人は娘の幸せを祈る平凡な父親だったのではと思うと、親しみがわいてきます。

初ちゃんの元ネタは娘には甘い信長パパを参考にしました。

機会があれば家康の娘についても書いてみたいです。

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