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□変わる、変わらない。
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 ゆっくりと探るような足取りでこちらへ近づいてくる気配がひとつ。気後れすることなんかないのに、と人生色々の空気が緩やかになる。

 待機任務は暇だ。それぞれ書物だったり煙草だったり、書類仕事だったり持ち込めるものを持ち込んでお茶を飲む。

 交代で朝食を済ませ、里が本格的に動き始める朝、湯気の昇る湯飲みを片手に足音に耳を澄ます。

 誰だろうと探りの入る中、カカシには考えるまでもなく足音の主が分かった。

 一線を退いても耳が衰えても間違えはしないだろう。なにしろ彼女はたった三人しかいないカカシの弟子だ。

 ぱらぱらと捲っていた愛読書を閉じてカカシが戸口へ視線をやったとき、入室の許可を求める控えめな声がした。

 それに応じると、彼女の気配から緊張が消えてカカシは口元を隠すマスクの下で微笑んだ。

 己の声に安堵する彼女の初々しさが可愛い。カカシの反応に誰の客か察した室内もリラックスした空気で満ちた。

「失礼します。お久しぶりです、カカシ先生。お話ししても大丈夫ですか?」

 ぐっと丁寧な口調で彼女が言った。ああ、随分と会って話しをしていなかったなと思い当たる。

 しばらく会わなかった彼女はちょっと背が伸び、髪が伸び、大人びたようにみえた。

「久しぶりだね。いいよ、なあに?」

 ここへ座りなさいと、自分の隣の席を指す。一体なんだと耳をそばだてる周りから死角になるよう己の背でサクラを隠した。

 居心地悪そうに腰を下ろしたサクラがカカシを見あげてくる。昼の光をいっぱいに取り込んだ目がきれいだなと考えているうちにサクラが口を開いた。

「先生お願いしたいことがあるんです。しばらく綱手様もシズネさんもいないんですけどどうしても読みたい本があって許可が欲しいんです……」

 書庫は出入り自由だが、持ち出しが禁じられていたり、閲覧に特別な許可が必要な物もある。下忍であれば担当上忍に許可を得るのが常だ。

 綱手の元で修行をしているサクラは綱手やシズネに許可を貰っていたが二人がいないとなれば頼るのはカカシだ。

 読書量が並みではないサクラには本が借りられないことは苦痛だろう。カカシもよく本を読むので彼女の気持ちはよく分かった。

 それと同時に申し訳なく思う。書庫の管理が厳重になった一端はカカシにあった。

 身に備わった能力で忍び込んで本を読み漁ったり、こっそり持ち出したりしていたことが露見して大目玉を食らい、暫くの出入り禁止を下され、書庫の管理もより厳しくなってしまった。

 中忍になればもう少し許されるだろうが試験はまだ先で、ほとんどの高度な技術が書かれている本の閲覧はサクラひとりでは難しい。

「それって急いでる? 俺待機中なのこれでも」

 カカシはサクラの目をみてゆっくりと喋った。ねえ、汲み取って。お前たちなら分かるでしょう? そんな気持ちを込めて発音し、交わす視線で訴えかける。

 急いでいると、言って欲しい。状況の変化のない今、待機はただの待機で終わる日々が続いている。だからちょっとリラックスさせてよ、サクラ?

「はい。どうしても。そうじゃなかったら綱手様かシズネさんを待ちました」

 サクラの口角が上がるのをカカシはみた。楽しそうに、共犯のいたずらを隠すように笑っている。

 ああまだ、通じているのか。この子がずっと俺の弟子なようにこの子にとって俺がずっと師だ。

 会話はここにいる全員に聞こえている。弟子を持つ上忍もいるし、何度となく子供をアカデミーに返してきたカカシが初めて合格を出した下忍だということも誰もが知っていた。

 カカシが尋ねる前に「行って来れば?」と声がかかる。書庫まで行って書類一枚、時間のかかることでもない。

 ありがとう。ちょっと行ってくるとカカシは待機所からサクラを連れて抜ける。

 建物を出て、しばらくこらえきれないとばかりにサクラが笑い出す。

「なあに?」

「先生が、退屈って思うことあるんだなって思ったの」

 サクラの口調が元に戻った。待機所にいるせいで畏まっていたのかもしれない。あるいは今の出来事でほっとしたのかもしれない。

 サスケが里を抜け、ナルトが修行に出てサクラとカカシは里に残され、活動の出来なくなった七班は解体はされなかったがサクラも医療忍術習得のため綱手に就くことになった。

 カカシも上忍として多くの任務を負ったり待機所に詰めたり弟子がいる以前の生活をするようになった。

 下忍を連れての任務とは難度がまったく違うが子供がいた賑やかさと彼らの面倒を引き受ける忙しさとはまた違う。

 懐かしく思い出すことが多くなって、三人の弟子がどれだけ身近で大事であったのかをカカシは知った。

 戻らないということもよく知っている。

 いつまで経っても己の不器用さは変わらず、誰かの手はいつも離れていく。

 耐え忍んで生きることしか出来ない人生を、先人の背を思って突き進む。それしかどうにも出来そうにない。

「退屈じゃないよ。暇だとは思っていたけど」

「同じことだと思いますけど?」

「あはは。来てくれてうれしいよ」

「私、いいときに来ましたね」

「うん。ほんとうに」

 手放したくらいに思ったのに、サクラはまだ手の内にいた。触れられる距離で、桜色の髪が風に揺れている。

 小さくて細くて弱くてただの子供だったのに、彼女はもう忍だ。今度の中忍試験ではきっと合格することだろう。

「ねぇ先生。書庫の管理って昔からこんなに厳しかったの? 持ち出し禁止の閲覧にも許可が必要って困るんだけど」

「身の丈に合わない術の行使や複雑な調合の許可なんて出来ないでしょ? 知れば試したくもなる。外部へ情報が漏れる危険だってあるし、いたずら好きが多いからねぇ」

 そう言ったカカシをサクラがはっとして見あげる。ばちっと目があってカカシが気まずそうに逸らした。

「せんせー、忍び込んだのね! ばれたんでしょ? だから余計厳しくなった! もう、後先考えてください」

「だってあれ宝の宝庫よ? 知識の泉よ? 読みたいでしょう?」

「ええ、読みたいです。もう少し気軽に読みたかったですけどね」

 そう言ってサクラが苦笑した。おもったより怒らない。沸点が低くなった、というよりカカシのしたことを面白がっているふうだ。

 慣れた道を下り書庫へ至る。扉を潜ると古い本の匂いがした。

 迷うことなくサクラは書類の挟まれたボードを手に取り入室時間や名前、目的を記入していく。

 字の書き方が変わったように思う。柔らかく余分な力が抜けたようだ。俯いて、ボードに零れた髪を煩わしそうにサクラは払いのけた。あの、大事にしていた髪を。

 髪を耳にかけたことで見えた頬とあごのラインが少し痩せた、いや引き締まったというべきか。どんどん子供らしさが抜けてサクラはカカシの知らない女性になっていく。

 寂しいのか、うれしいのかカカシはよく分からなくなった。変わらないものと、変わっていくもの、その具現が目の前にある。

「先生。ここにサインください」

 記入を終えたサクラがボードを差し出し、カカシをみあげている。

「うん」

 ボードを受け取り記名する間、サクラがじっとカカシをみている。

「なあに?」

「何にも。先生は変わらないなって」

「そうだねぇ。俺はもうずっとこのままかな」

「ずっとですか? それも難しそうだけど、先生は本当にそのままでいそうですね」

 なんだか安心する、とサクラが言った。めまぐるしくいろんなものが変化していくから、変わらない何かは目印のようだと。

「寂しい?」

「え……」

 問いかけに、驚いた目がカカシをみた。サクラとはあまり会っていないせいもあるが、あの日の話は深くしていない。

「たぶん」

 戸惑う曖昧な作り笑い。サクラは色々な顔をするようになった。

「だけど、先生がいるからきっと平気です。私が強くならないと!」

「サクラは肝心なときにいつも強いよ」

 髪を撫でても、頭に触れても、サクラは不快ではないだろうか? 伸ばしかけたカカシの手は誰にも気付かれないままボードを支えていた。

 触れることに迷うほどサクラが大人になってしまった。

「俺も、寂しく思っているよ、サクラ」

 名を声に出して呼ぶ。その感覚の懐かしさ。言葉に驚いたサクラのみせた表情は新しいものだった。

 もっと、みていたいな、とカカシは思った。もっと知りたい。出来れば触れたい。

 ああ、これはまるで恋じゃないか。

 カカシは目を細めて笑う。音に、声にしてみたいと思った。まだ少し黙っていようとも思った。


 好きだよ。


 声に出したら、君に伝えたら。

 ねぇ、どうするのサクラ?





おしまい。次ページあとがき。
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