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□おいてけぼりで、まちぼうけ
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慣れない、と思いながらサクラは刻みを火皿に詰め込んだ。
これまでに煙草を吸ったこともなく、この先もないものだ、と思っていた。
ここに来てはじめて煙管の使い方を習い煙草の味を知る。
特に良いものじゃない、と思った。頭がくらくらした。
任務とはいえまさか自分が遊郭に潜入するはめになるとは考えもしなかった。
あれ? これって色任務なのかしら? と首を捻りながら任に付き情報収集兼囮役をしている。
サクラはただ一人の客しか取らない。そのように取り計らわれていたが張り見世には並んだ。
遊郭へ通う客を見るためだ。その中にターゲットがいるかもしれない。
ゆっくり、熱いスープをスプーンで啜るような心持ちで、吸い口から煙を吸い込んで肺まで回さず吐き出すが喉が渇いて仕方がない。
美しく結い上げた髪は十数本の簪で飾り立てられ頭は重いし、浴衣しか着たことのない身には着物は窮屈で歩けば裾を踏むし前帯は邪魔くさい。
絢爛豪華な、きっと手にすることはない衣装や飾りはうれしいものであったけれどこの世界ではこれらは枷で商売道具なのだろう。
サクラが座っているのは客が遊女を選ぶ格子の中だった。手前から奥へ向かうほど遊女の格が上になる。
もっとも奥まった場所に座る同い年くらいの娘と並びサクラは彼女のこれまでの道のりとこれからの道行きを思い、想像も予想もつかず、果てもないと感じた。
考えることはいくらでもあって、格子の内側から行き交う人々を観察しながらついついぼんやりとしてしまい、煙草が燃え尽きた。
煙草盆に灰を落とし、サクラは再び刻み煙草を丸めて火皿に詰めた。
「上手くなったね」
「そう? 随分慣れたけど、自分じゃぎこちない気がするのよ」
「ああ。馴染んだ動きではないものね。でも迷う感じがなくなってる」
ここに来て一週間。簡単にどう振舞えば良いのか習い後は見よう見真似だった。とにかくこの場にいる限り己は遊女なのだ。
大きくはないこの見世は木の葉隠れの息のかかった場所だった。
閉鎖的な遊郭での情報収集や、色仕事に関するあれこれの詰まった場所でサクラにも誰がそであるのか分からなかったが忍も数人紛れているらしい。
火を灯し煙草をそっと吸い込んでいると、彼女がおっとりとした口調で言ってサクラに笑いかけた。
「ああ。来なさった。桜花、お客様だよ?」
ふと上げた、視線の先に男が居た。
癖のある銀色の髪、濃紺の瞳と色白の肌。すらりと背は高く、左目を眼帯で隠している。
からかうように吸い付け煙草を差し出す格子の遊女たちに向かい、俺には桜花がいるって知ってるでしょう、と苦笑を浮かべた。
カカシ先生、と呼びかけそうになってサクラは飲み込んだ。
私服だ。ベストがない。マスクがない。額当てもない。
確かにはたけカカシであるのにそうではないような、不思議な感覚に捕らわれて深く深く煙草を吸い込んだ。くらり、と目眩がする。
そうだ私は、煙草に酔っているのだ、と。
思い直してふらりとサクラは立ち上がり格子の向こう、まっすぐにカカシを見据えて煙管の吸い口をカカシに向けて手を伸ばした。
「今まで、こんなにも貴方が待ち遠しかったことなんてなかった」
純粋に怒りも何もなく、その姿を待ちわびた。
会いたいだなんて思うような相手ではないはずなのにと自分で驚いてしまう。きっとこの場所がそうさせているのだ。
煙管を受け取ったカカシが煙を吸い込んだ。
そういえば煙草を吸うところなんかみたことがない。知っているのに、知らないひとだった。
返された煙管に口を付け、サクラは目を細めて立ち上がる。煙が目に染みたのではない。カカシを直視出来ないそんな心持ちになって目を見て「登楼って」とは言えなかった。
サクラは部屋持ちの遊女として見世に迎えられた。
整えられた調度品はどれも一級のものであったが、その場限りの為に箪笥の中身などはスカスカだった。
迎える客は定時報告の為にやってくるカカシ一人なので何の問題もなかったがサクラにとっては暮らし難い事この上なかった。
本は読めるが流石に薬の調合は出来ない。激しく身体を動かすような鍛錬も、もちろん出来なかった。
「先生、もういい? 泊まって行くんでしょ?」
カカシを部屋へ案内するなりサクラは簪のひとつに手をかけて尋ねた。
「何が?」
「頭が重いの。引っ張られてる感じがするし。梳いていい?」
「いいけどおまえねぇ、女の子が泊まって行くんでしょとか当然のように言わないの」
「だってここはそういう場所だし、本当にそうじゃない」
カカシが来れば、客を取っている振りをする。見世は事情を知っているが中には事情を知らされていない者もいたのでカモフラージュだ。
サクラはカカシと自分がどうにかなるとも思っていないし、散々同じ部屋で眠ってきたし、夜営もした。
ナルトやサスケが離れ、七班が活動をしていない今だってサクラの中ではなにひとつ変わってはいない。
大仰に飾られた簪を髪から外そうとした手首をカカシの腕が掴んだ。
「せっかく綺麗なのに。もう少し見せて」
くすぐったい。
サクラはそう思った。綺麗だと言われたことなんて誰からもなかった。
「化粧しているのはじめてみた」
「任務のときにはしないもの。私だって先生が忍服じゃないのなんてはじめてだわ」
プライベートの付き合いはまったくないのだから当然だろう。
そうだね、とカカシは笑って二人どこかぎこちなく腰を下ろした。
報告が終わってしまえば話すことは何もない。
父親以外の男に初めて酒を注いだり、兵法書から話題の新刊まで本の話しで散々盛り上がり気付けばすっかり日が落ちていた。
「結局梳かなかったね、サクラ」
島田に結われた髪を指してカカシが目を細める。
「この髪を、帯を解くのはわっちじゃござんせん。……本当なら先生と私の心次第だわ。残念ながら私にはそんな気は無いし先生も私なんかに流されるひとじゃない。かなり中途半端な色任務の適正判断テストよねこれ?」
「あー、ばれてた。分かっちゃってたよね。やっぱり」
「分かってたも何も先生が一番やる気ないんじゃない? 大体私のテストに先生をつける時点で誰もやる気ない気がする」
「ご名答。かたちだけだからね、今はもう」
「じゃあ、帰ってもいいのかしら」
立ち上がり、簪を引き抜いて髪を梳くサクラの腕をカカシが取る。
「なあに先生?」
「綺麗だって言ったのは嘘なんかじゃないよ」
夜空の色をした目がサクラをじっとみている。
「いい匂いがする」
「鬢付け油の匂いでしょ……」
「サクラ小さいねぇ」
そう言って腕が、背に回った。肩口に顔を埋めてぎゅっと擦り寄ってくるカカシの体温が高い。
「先生が大きいの。私は普通。ねぇ先生大丈夫? もしかしてお酒弱い?」
「大丈夫。ごめんね」
身体を放し、どこか辛そうにカカシが笑う。
もしかして寂しいのかしら? と思い当たりサクラはカカシを見あげた。
初めての自分で選んだ弟子2名に去られ、一方は自ら帰って来ることはない。そういえば家族の話しも聞いたことがない。
あるいはまだ色任務の試験は続いているのかもしれなかった。
「先生。私は何処にも行かないわ。死ぬまで木の葉の忍として生きるし、ずっと先生の弟子よ?」
「お前、ほんっと強いね」
呆れたように、諦めたようにカカシが溜息を吐いた。
「先生なんかに流されるわけないじゃない。帰っていいなら着替えるから出て行って?」
帯に手をかけ今にも脱ぎます、と態度で示し顎で襖を指し示す。
「それ、変化じゃないんだ」
意外そうにカカシは言ったが、鬢付け油の匂いがすると言ったのは当のカカシだ。
「当たり前じゃない。本気で任務に……試験に臨むなら、ね。これは先生の為だけの仕度よ」
サクラが意地悪く微笑みカカシが頭を掻きながら部屋を出て行く。
「あーやだやだ。くノ一って恐ろしくてかなわないな」
襖の向こうへ消えたカカシの独り言のような言葉ににサクラは笑って声をかける。
「先生にも私にも色の仕事は向かないわ」
「そりゃね。俺は戦忍だし、サクラは戦忍として育てたんだから」
「ねぇ先生、私取り戻したいの。取り戻せると思ってる」
「うん。分かるよ」
「無理でも無茶でも私たちはやるわ」
きっとそうだろう。
思ったがカカシはもう何も言葉にしなかった。
かわりにサスケに飛び掛るナルトが自然と思い浮かび、その情景を懐かしく感じることに苦く笑った。