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□夢だとばかり、思ってた
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しゃがめば姿を隠せる背の高い葦の原で、気配を殺し息を潜めて。
自分の呼吸が耳につくほどの長時間、じっとそこで時が経つのを待っていた。
真夏の太陽は眩しく鋭く、あたしは薄手の長袖パーカーのフードを被って目を閉じた。
瞼の裏に焼きつく光。闇のはずなのに見える白い日の影。
一人で居るのは苦にならない。本を持ってくれば良かったけれどこんな日差しの中では紙の白が目を刺すから向かない。
じわりと滲んだ汗が髪の間を滑り、こめかみから頬へと落ちる。袖で拭ってあたしは空を見上げた。
目眩がするほど、吸い込まれそうに青かった。
あたしは帰りたいと思ったけれど、何処に帰りたいのかはちっとも分からなかった。
「みーつけた。何やってんの。干からびちゃうでしょうよ」
「きゃあ!?」
音も気配も何もなかった。
突然背後から至近距離で聞こえた声にあたしは驚いて振り返って悲鳴をあげた。
そのままちょっと後ろに下がる。
葦の原でしゃがむあたしに合わせてか、犬みたいに足をそろえて座ってその人は笑った。
癖のある柔らかそうな銀色の髪が葦と一緒に風に揺れている。
さっきまで風なんか通らなかったのに不思議だ。
悲鳴をあげたのは驚いたからであたしは全然怖くなかった。
その人の左目を隠すのは木の葉の忍の額宛で、晴れた夜空の濃紺の瞳が優しかったからだ。
「里に帰ろう。みんな探してるから」
別に帰りたくないわけじゃない。皆なんて嘘よなんて駄々をこねる気もない。
だけどあたしは返事をしなかった。
ああ、また迷惑をかけたのだと思う。また、責められる。まただ。怖くて怖くて隠れていただけなのにまた怒られる原因を自分で作った。
ばかだ。あたしはばかだ。皆と一緒に遊べばそれで良かったんだ。からかわれても、転んでも、泣きたくなっても。
そう思ったら涙がでた。下の瞼でも、睫毛でも支えきれなくなってぼろぼろ零れ落ちていく。
目の前の男の人がものすごく慌てて言葉を探して、手ぬぐいを探してあたしの目元を拭いてくれるので余計に涙が止まらない。
「ごめんなさい」
「次ははぐれないようにしたらいいんだから。ね、お願い、泣かないでよ」
違う、違うの。そうじゃないの。あなたを困らせてごめんなさいって言いたいのよ。
ごめんなさい。
しゃくりあげながら、あたしはその人を見つめた。
足につけている苦無のホルダーに一瞬指を入れ、いつかみた手品よりずっと不思議で鮮やかに素早く指を組んで柔らかな土に手をついた。
ぼふん、と煙を巻き上げて現れたのはあたしでも抱っこ出来そうな犬だった。
あたしはまた驚いて一歩下がる。ふわり、と被っていたフードが落ちた。
犬はあたしを見て、その人を振り返り、「カカシ、また女泣かせているのか」と、言った。
「人聞きの悪い冗談はよして、パックン、手伝ってよ」
「何をだ?」
「しゃべってる」
あたしの呟きに一人と一匹はこちらをみた。
「里の子か。忍犬をみるのは初めてか」
こくこくと頷くと犬は得意げに素性を話し出した。
どうやら可愛いとか、わんちゃんなんて、呼んだらダメらしい。
「わんちゃん、かわいいねぇ」
「言ったそばから呼ぶな、小娘」
怒られても怖くない。パーツが中央に寄せられたような愛嬌たっぷりの顔立ちはとても可愛いし、眠たそうな目はその人によく似ていた。
「じゃあ、パックン。格好いいわね!」
あたしはそう言って笑う。パックンは胸を反らした。だけどあたしはその人の名前を知らない。
「あたしはサクラって言うのよ。おにいさんはなんて言うの」
「カカシだよ。サクラはしっかりしてるね。格好いいくらいだ」
「ほんとう?! あたし格好いいなんて言われたのは初めて。お母さんとお父さんは可愛いって言ってくれるけど」
ああ、そうだ。お父さんもお母さんも心配する。きっとあたし以上に誰かに謝ったりするんだ。ちっとも悪くなんかないのに。
パックンに手を伸ばし、そっと撫ぜる。
「すまんな。カカシは子供と遊ぶのが上手くない」
首を振る。涙も全部、飛んでいってしまえばいい。
「サクラ、水飲む?」
「うん」
渡された水筒の水は冷たくはないけれどじんわり浸み込んでいくようで少し甘い。
「かくれんぼもいいけど、こんな日はちゃんと水分取らないと具合悪くなるからね、それからこれも食べて」
コロンと、手のひらに乗せられたのは塩味のキャンディー。
ここからずっと遠い、海の方のお土産。
「おにいちゃん、海へ行ったの?」
「うん」
「どんなだったの?」
「そうだねえ……サクラがもう少し大きくなったらきっと見にいけるよ。だけど」
抱っこしてもいい? とカカシが言うので、あたしはうん、と頷いた。
でもそれは、抱っこじゃなくって肩車でざわざわと連なって風に吹かれ、葉を擦り合わせる葦の葉の大きな波がみえる。
「こんな感じ、かな」
上からみると景色がまったく違ってみえた。
茂る葦に隠れて狭かった空は広く、吹き抜ける風が嫌な気分を一緒に持っていってくれるみたい。
「サクラ、暗くなる前に里へ帰ろう」
「……あたしが悪いって知ってるの。だけど謝らなきゃいけないのはあたしじゃないの。でもあたしが謝らないと他のひとが謝るの」
「なんでサクラが悪いの?」
「怖いの、一緒に遊びたいけどみんな、あたしをからかうわ。隠れて逃げたらこんなふうに誰かを困らせてもっと嫌なことになっちゃうのに」
「ちゃんと知ってるじゃないサクラ? だったら帰った方がいいって分かるよね?」
「うん」
「大丈夫。今日初めて会った俺にだってサクラの気持ちが分かるんだ。お父さんもお母さんも話せばちゃんと分かってくれる。二人が謝るのはサクラが大事でサクラを守りたいからだよ」
「うん。お父さんもお母さんもあたしがこんなふうでも怒ったりしないの」
「怒られた方がいいの、サクラは?」
「そうじゃないけど、あたしが悪いんだもん」
「悪くないよ。悪くないから怒らないんだ。いい子だね、サクラ」
「いい子じゃないもん」
「いい子だよ」
「違うの」
カカシがやさしいかたあたしはまた泣きそうになってしまう。パックンがやれやれって呆れた顔でカカシを見上げている。
パックン、カカシは悪くないないよ。
あたしを励まそうとしてくれているんだもの。
「カカシ?」
「なあにサクラ?」
「ありがとう、あたしカカシに会えて良かったわ」
そう言ってそっとカカシの旋毛にキスをしたら、するりと器用に伸びてきたカカシの手があたしの髪を撫でる。
泣きながら笑ったりも出来るんだってこの日あたしは初めて知って、カカシも器用だねぇ、と言って笑った。
「あたし、帰る」
「うん。帰ろう」
カカシは肩車のまま送ってくれて、落ち込んで驚いて泣いて笑ったあたしは疲れて眠ってしまった。
だから私は、この邂逅を夢のように忘れた。
ある日共寝の午睡から目覚め、うたかたのように消えた夢の断片に涙が出た。
傍らに眠る銀色の髪の想い人の深く柔らかな愛情が私の全てを満たすようで……
おしまい