文伊祭り
□一日千秋
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「ほぁ〜、いつの間にか秋だねぇ」
医務室前の庭には、保健専用の井戸がある。
包帯の洗濯で曲がった腰を伸ばしていた伊作は、
空がだいぶ高くなりつつあることに気づいた。
「ほんとですねー」
洗濯のお手伝いをしてくれた乱太郎も、おんなじ格好で腰を伸ばしている。
「まだまだ昼は暑いけどね」
涼しくなったからといって、水分も取らずに、長時間太陽の 下にいてはいけないよ。
これからサッカーだという乱太郎に、いつもの調子で熱中症の注意をする。
「はぁい」
「それから、汗をかいたらそのままにしないこと。季節の変わり目は風邪を呼び込みやすいからね」
くどくど申し付ける伊作に、駆けながら乱太郎はよいこのお返事をして去って行く。
保健委員会の干し棚に、包帯をかけながら、伊作は秋の楽しみについて考える。
「今年はいつぐらいに山が色付くかな〜。栗が豊作だといいなー。焼栗たべたいなー。あ、落ち葉焚き。焼芋もいいよねぇ。大木先生、今年も持ってきてくれるかなー。里芋もいいなー。炊いて……、いや。里芋ご飯もいいな。非常食でなきゃ、ずいきの味噌汁もけっこうイケるんだよね〜」
考えれば考えるほど、秋の味覚ばかり出てくる。
「お前、食うことばっかかよ」
「あ、文次郎」
いつの間にか後ろに、呆れ顔の文次郎が立っていた。
「だって、味覚の秋だよ!」
委員会の帰りかと問えば、そうだと答える。
「男がだって、と言うな。
秋と言えば、鍛練の秋だろう」
涼しくなって、山も駆けやすい。
「文次郎は一年中鍛練じゃない」
「忍者に季節なんぞあるか!」
鍛練あるのみ!と拳を突き上げる文次郎は、今夜も出掛けるのだろう。
「文次郎は毎日たのしそうだねぇ」
「まーなァ」
くっくっ、と凶悪な顔で笑う。
昼食を取りながら、子平太・長次と今夜のコースについて、わいわいと話し合っていた。
その横で留三郎がコースを確認しながら、
仙蔵と聞こえよがしに仕掛け罠の相談をして、
文次郎とガチンコ勝負に雪崩れこもうとしていたが、
昼休みが終わってしまい流れたのだ。
おそらく今夜の罠は、いつもよりえげつないだろう。
「いいなー」
「なんだ。お前も来るか?」
「ううん。せっかく留三郎が渾身の罠をしかけたのに、全部ぼくが引っ掛かったら申し訳ないもの」
「だな」
予想するまでもなく、むしろ必然の定理である。
「今夜は長屋の方に居るから」
怪我したら部屋に来てね。
にっこり笑うと、それを受けた文次郎が、にやりと笑う。
「成果を見せてやれってか」
残念ながら、今夜のは組は安眠できそうだな。
食満の野郎の仕掛けなんざ足止めにもならねぇ。と鼻息も荒く言い切る。
「その台詞、確かかな」
留三郎の罠はすごいよー。
同室者を支持して、伊作もむふーと鼻を膨らます。
「それに仙蔵もノリノリだったからね」
切り傷・打ち身・捻挫……。
指折り数えて、ああ楽しみ。
「ぬかせ」
夜更かしは成長の敵だぜ。
お前の背丈が伸びるように、
ぐっすり高いびきをかかせてやらぁ。
「あ、カチンときましたよ」
「そりゃ失礼」
「ぜったい罠に掛からないって断言できるんだね」
「当然だ」
見くびるなよ。
胸を反らす文次郎に、「じゃ、」と指を突きつける。
「絶体に罠にかからないとおっしゃる文次郎さん。」
もし、万が一に引っ掛かってしまったら、どうするのかなぁ。
つんつん。
心の臓のあたりをつつく。
「あ?まあ絶っっ対にありえんが」
そこまで言うならそうだな。
「一度でも罠にかかって、怪我をしたらだ」
一日、保健委員会の雑用を引き受けてやらぁ。
「あ、予算じゃないんだ」
「ばかたれィ。個人の賭けで、学園の資金を動かせるか」
「ですヨネー」
そんな所が好きなんだけど。
そう言うと、文次郎はすこし口を尖らせて、
それから伊作の頭をがしがし撫で回した。
「ばっかたれ」
「うふふ」
「俺はもう行くからな」
「うん。今夜お待ちしています」
「行かねぇよ」
大股で去る文次郎を見送る。
「お待ちしてます。だなんて大胆なことを言っちゃったなー」
まあ、実際は留三郎も居るので、誘い文句にも何にもならないのだが。
乾いた包帯を取り入れて、軽くたたんで籠に入れる。
巻くのは今夜の作業にしよう。
「忍んできてくれないかなー」
雲ひとつ無い青空は、
いつの間にかその縁を藍色に染め替えはじめていた。
了