文伊祭り

□時雨心地
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目の端で、隣を見た。
泥に汚れた顔は、眼前から逸らされない。

引き結んだ唇に、泥で固まった髪の毛が張り付いている。

それを、払ってやることなど、しない。

互いに息を潜めたまま、二刻。

こことていずれは見つかる。

潜むに合わせていた呼気が、ずらされた。

矢羽根が飛んでくる。

入り込む前に打ち合わせていた策は、すべて出尽くした。
ここから先は、速戦即決の即興だ。

南側を、行くという。

ならば、こちらは東側を行こう。

す、と。
これまた泥にまみれた手に握られて、苦無があがる。
こちらも袋槍を握り直し、持ち上げる。

キィン……

ほんのわずか。かすかに空気を震わす鋼同士の打ち音。

無言で左右に散った。

ごめんとは、一言も言われなかった。

ただ、くっと口を引き結び、全身に神経を張り巡らせた。
いくつか仕掛けを置いてきたと、その場所を教えられた。
落ち合う場所は、城を見渡せる、あの場所だと。

目的を遂行すると決めているその眼は、今まで見た何よりも静謐で、険しく研ぎ澄まされている。

あれを、この世でもっとも美しいものだと思っている。

誰にも征服されない。

ひたすらに、見つめる先に結ばれる、硬質な透明さ。

突き抜けるようなその眼を、横からそっと見るときに、湧きあがって溢れそうになるものは、
何だろうか。


「っったく、あの野郎。不運にもほどがあるってんだよ」
もう減点は確実だ。

帰ってきたら、必ずごめんと連呼させてやるからな。

巻き込まれる方はたまったもんじゃない。

だが、あの顔を見られるのは良いと、
南側からあがる、謎の煙や悲鳴をを背に、文次郎はとっとと実習地を抜けた。

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