山土

□指と心拍
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入れ。

許可を得たので山崎は、その障子戸を滑らせた。
隙間からにじり入る。

「山崎退、帰還いたしました」
「おう」

ご苦労だった。
労いを受けた頭を起こすと、報告をしようとして山崎は眉を寄せる。
目の前には散乱した書類と、文机に向かう土方。
それはいつもの事なので、顔をしかめるにはあたらない。

ぽたり

問題は、その土方より机に落ちる滴である。
うっとおしそうに弾くのだから、きちんと拭けば良いのに。
ため息は心中だけにして立ち上がり、山崎は押し入れに向かう。

「山崎?」

報告はといぶかしむ土方に応えず、勝手知ったる押し入れの行李からタオルを取り出す。

そのまま無言で土方の後ろへ回る。

「?」

単の衿を触ると、しめって冷たい。

不快だろうに、この人は。

「土方さん、ちゃんと乾かさないと風邪ひきますよ」

衿にフェイスタオルを挟み込んでやる。
それからバスタオルで、頭髪の水気を拭う。

「あー、悪い」

土方はすこしバツが悪そうにして、それでも当然のように身を委ねてくる。

「もちっと自分の体の事も考えてくれませんかね」

仕事が一番ってことはもう、土方さんのアイデンティティでいいとして。

毛先の水気をトントン叩いて、挟んだタオルに吸い取らせる。

体を壊しては大好きな仕事もままなりませんよ、と言うと、くくと低く笑われた。

「使い捨てだ」

どうせ、とついた前置きに山崎はかすかに苛立ちを覚える。

諦めが悪いくせに、妙に命汚いくせに、正義感と熱血の持ち主のくせに、


なんでなにも自分の手に残らないと思っているのかこの人は。


「」


「報告は?」


「」


山崎は、タオルからはみ出た髪の毛の、水分を確かめる。

「不忍池に浮かんだ男は、浪士とは関係ありませんでした。
一年ほど前からあの周辺に住み着いた浮浪者で、露店や日雇いなどで口を凌いでいたようです。
繋ぎに使われただけと考えられます。

……ただ、どれだけ調べても身元が判明しません。」

山崎の中では、膨大な言葉が渦を巻く。
口の先まで顔を出すのに、飛び出すことはできずに、肝心なその言葉は追いやられ、再び山崎の中の渦に巻き戻される。

報告という名目をもった言の葉は、理路整然と明確に形を成すというのに。

伝わって欲しい。
染み込んでいって欲しい。

そう願う言葉はどこへも行かない。


「ふ、ん。身元が割れない、ねぇ」
まあ、事情持ちはどこにでも居るよな。

そう嘯く土方の、頭髪を指ですく。
しっとりとした髪は冷たく心地よいが、毛先だけすこしごわついている。

そろそろ土方にとって、邪魔になる長さだ。
おそらく無意識にうっとおしいと思っているはず。

「今回の事件とは関係ないだろうが、すこしきな臭い」

継続して調べてみてくれ。

「そうですね。10分ぐらいで」

「おう。10分ぐらい。ん?」

「毛先だけですし、10分もかかりませんよ」

「ちょっと待て。なんだ毛先って」

話きいてたのかお前。

「身元でしょ。解ってます」

でもその前にこの痛んだ毛先をね。
なんとかしないと。

「ふざけてんのか」

「この山崎、いつでも真剣です」

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