小説

□【木目↓心い・機】
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人間は平等では無い。産まれた時既に差が他を隔て、越えられ無い程の差をつける。
私の前には二十歳程度の若者達が席に座って私の話を聞いている。無論、この中にも秀でた者、劣る者がいる。
「ではこれが解ける者」
「はい」
私の言葉に栗色の髪をした女が手を挙げる。
周りの者達の視線が彼女に集まった。注目を浴びた女は微かに顔を赤くし、僅かにその手が下がる。
彼女は前者。秀でた者だ。
「では西崎小夜子。解いてみろ」
私が手招きすると、彼女は席を立ち、ゆっくりと私に近づいてくる。
皆の視線は常にその後を追う。
彼女──西崎小夜子は赤くなった顔を伏せながら、その細い足を交互に前に出して身体を運ぶ。
私の前で立ち止まり、礼をする。
畏まったその仕草は可愛らしく、栗色の長い髪からは香水では無い純粋な彼女の香りが私の鼻に届いた。
胸元から取り出したハンカチ越しにチョークを手に取り、黒板に当てる。
「──……初期条件y(0)=a.y´(0……──」
西崎小夜子に対し、嫉妬する者はいない。優しく、素直で、誰からも親しまれる彼女は、成績優秀にして容姿端麗。
友人と呼べるかはわからないが、彼女を取り巻く生徒達は多い。
講師ですら彼女に見取れる者もいる。私も、その一人だ。
「あ、あの……」
「ん……?」
ずっと彼女に見取れていた私は、視線が重なって我に返った。
見上げると、黒板には私の出した問題に対し美しい数式で的確な回答が書かれていた。
「正解だ。さすがだな、西崎」
瞬間、教室を「お〜」という多人数の声が上がる。
生徒達はその回答が正解である事より、彼女を称えている。
毎日私の講義を聞き、復習していれば解けない筈は無い。
「静かに。お前達も西崎を見習って勉学に励むように」
私の言葉が終わると同時に西崎が席に座る。
「では次。教科書241p……」
私が次の問題に取りかかろうとしたその時、講義終了の鐘が鳴る。
私は軽く舌打ちすると、額に浮かんだ汗を拭いて教科書をカバンにしまう。
「今日はここまで。西崎を見習って復習するように」
告げて、私は教室を去った。
◆◆◆◆◆

今、私は都立の大学で講師をしている。元々は警察特務機関『蒼き森──ブルーフォレスト』の研究施設で研究員として働いていたのだが、定期更新審査によって人格破綻者と見なされ、追い出されてしまった。
実に不愉快だ。
人間は数多い。多数派によって成り立つ社会において、少数派は迫害を受ける。例えるなら、道端で老人が倒れているとして、その際にどう判断するか。この程度の選択肢ですら少数派と多数派に別れる。
助けるか否か。
私は後者だ。
人間が行動するには理由がある。老人を助けた事により私に利益は無い。無論、ここで否と答えはしない。答える人間もいるかもしれないが、それは一般論から外れ、迫害される少数派の中でも極僅かな人間しかいないだろう。
それが少数派が社会で生きる為の手段だからだ。ただそれだけの違いで、私は国家公務員に変わりなくとも、研究員から講師に格下げされた。
「にしても数学の竹原うぜえんだよ」
不意に、廊下を歩いていた私の耳に若者の声が聞こえる。今は放課後だ。窓の外から聞こえた声の主へ視線を向けると、今日私の講義を受けた生徒達が下校中だった。
「西崎西崎ってさ。気安く口にし過ぎだっての。あのハゲ」
「だいたいあんな問題解ける訳ないじゃん!何であんなの授業でポンと出すかな」
「西崎さんに答えさせる為でしょ」
人間には差がある。私は秀でてはいるが、人に好かれるタイプでは無い。自覚している。こういった陰口はよく耳にしているので聞き慣れた。
「何それ何それ」
「知らねえの?数学の竹原さ。西崎の事ずっと見てんだぜ。今日だって西崎が答えてる間ずっと西崎の足やら顔やら眺めてたぜ?」
「やだそれヘンタ〜イ。キモ」
ああいう笑顔の方が余程醜いが、ここから反論した所で火に油を注ぐだけ。
私は踵を返し、帰る為に歩き出した。そんな私に、
「あの、竹原先生」
教室の窓から頭だけを出して、西崎は私に声をかけて来た。
「……ど、どうかしたか?」
突然の事に私は驚きを隠せず、動揺しながら胸を張って彼女に問いかけた。
「これが……ちょっと」
「どれどれ」
彼女のノートを手に取り、問題文に眼を通す。
……そこに書かれていたのは問題などでは無かった。光の屈折の際に物質を視認出来なくする為の光量、またその視認遮断に展開する光学パターンとその濃度。そしてその際に用いられる制御システムの安定性……か。
驚いた。これは昔私が開発していた光学迷彩理論の失敗作だ。
「……何をしてるんだ?」
「蒼き森の研究員になりたくて、募集を見たら開発資料とか色々いるみたいなんです」
確かに。推薦で無ければ、一般入隊には色々面倒な募集要項がある。
戦闘員であれば、自衛隊所属期間二年。または武術、剣術における技能。
諜報員であれば、サバイバル技術やスパイ活動。情報処理やネットワークにおけるクラック、またはハッキング技術。
そして研究員ならば、開発における科学理論や技術力が求められる。
「屈折や光の濃度もなんですけど、特に安定性が……」
光学迷彩は昼夜、そして風や他の空間遮断から全ての環境が変わる度に必要な光学パターンが異なる。私もかつてここで行き詰まった訳だが、既に光学迷彩理論は完成し、蒼き森には完成型の防護服も配備された。勿論、私の研究成果だが。
「確かに。このままではせいぜい密室空間で作用するかしないかだな」
「ですよね。どうにかなりませんか?」
……一応、私は数学の講師なのだがね。
「助言するなら、光学パターンの幅や物質の移動速度、または微動計算を改めるべき……かな」
「……え、えと……。聞いておいて何ですけど、わかるんですか?」
全くもってその通りだが、気持ちはわかる。私もこれには悩まされ、知人に相談したいくらいだったからな。
「私はこれでも、蒼き森の元研究員だからな」
私はため息を吐いてノートを返す。
彼女は確かに優れている。
二十歳でここまでの理論を構築するなど並外れていると言うべきだろう。
「ホントですか!?じゃあこの理論も……」
「知っている。私が完成させた理論だからな」
眼を見開いてノートを受け取る彼女に言い放つ。すると彼女は席から立ち上がり、何やら嬉しそうな顔をした。
「教えて下さい!どうしたらいいんですか!?」
彼女がいきなり顔を近づけたので、私は慌てて後退する。
何がそんなに嬉しいのか。
「それは君の為にならんな。教えるのは簡単だが、それは君が完成させて蒼き森に提出すべきだと思うが」
「そ、そうですよね」
残念そうに呟いて、彼女はノートと向き合う。
……やれやれ。
「理論は教えないが……。他要素における遮断などの演算方法は……構わないぞ」
「ホントですか!?」
再び立ち上がって顔を近づける西崎。その唇に眼を向けながら、私は頷いた。
「嬉しい!ありがとうございます!」
「構わん。その資料を探しておくから、また今度にしよう」
言って、私は立ち去ろうとするが、彼女は再びノートに眼を向けていた。
勉強熱心だ。
「ああ、そうだ。西崎」
「はい?」
去ろうとした私は振り返り、
「……私はその……何だ。ハゲてるように見えるか?」
そう問う。これでも私はまだ三十歳過ぎだ。ハゲと言われればさすがに心外だ。
「いえ。と、とても……。とても素敵なオールバックだと思いますけど……」
俯きながら小さな声で彼女は言う。
「……そうか。早く帰れよ」
「はい」
私は今度こそその場を後にした。
◆◆◆◆◆

夜中、帰路に就いた私は人混みの中で空を見上げた。
鬱陶しい。
何故人間はこんなにも増えている。
今や星の数より人間の方が多いんじゃないかと思えてしまう。
─……もう少し減れば……。
そんな事を考えた矢先、星空を黒い翼を持つ化け物が翔た。
「ムウマか」
私が光学迷彩を完成させたのは、何年か前に現れるようになった怪物──ムウマに対抗する為だ。
ムウマとは黒い身体に紅い眼をした怪物で、人を襲い、喰らう謎の生命体だ。
主に闇夜に現れ、光がある場所にはあまり近づかない。
以来、どこの街も電気や街灯が常に明かりを放っている。
─……ムウマが人を喰らえば、人口は減るな。
くだらない考えを思い浮かべた私は、苦笑して歩き出す。
……その時だった。
前方より人混みが騒ぎ出したのは。
「何だ?」
瞬間、私の視界に現れる黒髪の女。
紅い瞳は空を見上げ、駆ける先は先程見たムウマが飛び去った方角。
雪のような蒼白いデニムの上着が、恐ろしく速い彼女の背中で靡いては、私の横を通り過ぎた。
「……何だ?」
気にはなるが、関係は無い。ここは私も周りの多数派と共に首を傾げて歩き去る選択を取るとしよう。

◆◆◆◆◆

家の前に着く。私が住んでいるのは地味なマンションの三階。
鍵を解いて扉を開け、他の靴が無い玄関に靴を脱ぎ捨て、私はリビングに足を運んだ。
冷蔵庫からビールを取り出し、カバンを投げ捨てて空いた手で栓を開ける。
吹き出てくる泡をコボさぬように口に運ぶ。
数回喉を鳴らし、一息吐いた。
「ただいま、小夜子」
そして私は、冷蔵庫の扉一面に貼り付けた写真に告げた。
「今日も綺麗だよ、私の小夜子」
私は少数派。
誰も知らない私の人格。
そんな私は、彼女を愛している。

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