拍手連載 先生と流川くん

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昼休みの社会科準備室。

そこは決して生徒が昼寝をする様な場所では無い。

だが、この日は違っていた。


「珍しいのが来てるのね」


給湯室に珈琲を入れに行っていた田中先生が戻ってきた。

田中先生は同じく社会科教師で、世界史を受け持っている。

歳は私よりも3つ上で、何かと頼りになる独身の女教師だ。

その田中先生が言う「珍しいの」とはもちろんコイツ。


流川楓。


彼は我が物顔で、部屋の隅に置かれたソファーに横になって眠っている。


「そうなんです」


「で?何で寝てるの??」


「さあ…」


まだ比較的若い為か、生徒の視点から物事を考える田中先生は生徒に理解がある。

だからここで流川くんが寝ていようが、起こすつもりはなさそうだ。

その証拠に田中先生は珈琲を片手に流川くんの顔を覗き込むだけ。


「よく寝るとは聞いてたけど、まさかこんな所でも寝るとはね」


流川くんの寝顔を見つめながら呆れ顔の田中先生の呟きを聞きながら、私は数分前の出来事を思い出していた。



昼休みに入りお弁当を済ませ、次の時間の支度をしていると部屋の扉が開いた。

田中先生がもう戻ったのかと入り口を見ると、そこに立っていたのは田中先生ではなかった。


「あら、流川くん」


今日は呼び出した記憶もなければ、他の先生が呼び出したという話も聞いていない。


何しに来たのかしら?


「何か用?」


ぼーっと入り口に突っ立ったままの流川くんに声をかけると、流川くんは目を擦りながら答えた。


「眠い…」


「は?」


何を言ってるんだ、この男は…?

とは思ったものの、最近は流川くんにも慣れてきたせいか、以前の様に突っ込む事も無くなった。


「教室で寝て来たらいいじゃない」


「うるさくて眠れねー」


大の男が目をパシパシとしばたかせる姿は、何とも言えない可愛げがある。


「何でまた」


こぼれ落ちそうになる笑みを堪えて聞くと、流川くんは部屋の隅にあるソファーにどっかりと座った。


「さあ?ゼッケンが何とか…」


ふぁ〜っと大きな欠伸をする流川くんは余程眠いらしい。

そんな流川くんとは裏腹に、私は若い頃を思い出しテンションが上がっていた。


「ああ!まだあったんだ!!」


「?」


大きな声を上げる私に、不思議そうな顔をした流川くん。

見た所、流川くんは何も知らないらしい。


体育祭のゼッケン。


それは湘北高校に昔からある伝統だった。


「体育祭のイベントよ」


「イベント?」


私は簡単に説明した。


「男子が体育祭の時に、ゼッケンを好きな子に縫ってもらうっていうイベントなの。貰った女子も相手を好きなら手縫いで番号を縫い付けて、嫌いならマジックで書くってヤツ」


いま考えると、ただの強制告白イベント。

だが、そのイベントのおかげで、体育祭前は異様な盛り上がりを見せる。

男子は女子を意識して、女子はお目当ての男子の動向を探るのに必死だ。

本来ならば男子が女子に告白するイベントのはずなのに、昔から積極的な人間は女子の方が多い。

おかげで、私の時代では女子からゼッケンを貰いに行く事が当たり前だった。

それが今も変わらないとすると、流川くん程の人気のある男子なら、狙っている女子の数も一人や二人ではないのだろう。


「くだらねー」


案の定、流川くんは全く興味がないみたいだ。


「まだあったんだ〜」


私が懐かしんでいると、流川くんが興味深そうにこっちを見ているのに気づいた。


「センセーも誰かの縫ったの?」


意外な質問だった。

流川くんはあまり他人と深く関わらないような雰囲気だったし、他人に興味もなさそうだ。

だから私も普段ならプライベートな質問には答えないのに、この時は珍しくてつい答えてしまった。


「ないない!昔からモテないのよね〜」


「ふーん」


はっ!!


情一つ変えない流川くんの顔を見て、私は平静さを取り戻した。


生徒に何言ってるんだ私!?


「流川くんも好きな子がいるなら頼んだら?」


照れ隠しもあって、どうでもいい質問をしてみると、流川くんは即答する。


「いねー」


やっぱりね。


他の女子から噂は聞いていたものの、流川くんはモテるわりには女の噂が皆無らしい。

一説にはホモ疑惑も浮上しているというから、この返答は安易に予想が出来た。


「じゃあ、お母さんにお願いするの?」


「…それは嫌だ」


私がクスクス笑いながら聞くと、流川くんは顔をしかめた。


「いいじゃない。喜ぶわよ〜」


流川くんが嫌がる顔が面白くて、ついつい調子に乗っていたのがいけなかったのかもしれない。

流川くんは突然、とんでもない事を言い始めた。


「…センセーがやれば?」


「は…?」


一瞬何を言われたのか分からなかったが、その言葉の意味を理解して私は当然否定した。


「嫌よ!!」


「何で?」


何でって……。


「アンタ、自分の立場わかってんの??そんな事したら親衛隊に殺されるじゃない!」


言っておいてなんだが、何て的外れな言葉だろう。

その前に先生とか生徒とかあっただろうに、と今更ながら言った言葉を後悔した。


「そんなヤツら知らねー」


知らねーって、何て贅沢な!

世の中にはモテない人間もたくさんいるのに、学校中のモテない男子を敵に回すわよ!?

なーんてこれ以上、大人げない台詞を言えるはずもなく、今度こそはと教師らしい言葉を選ぶ。


何か流川くんが相手だと、ペースが崩れるんだよな…。


「だったら自分で縫いなさい」


「無理…」


そりゃそうだろうな…。

裁縫どころか糸の通し方も知らないだろうな。


「だったら親に頼めば?」


「今度持って来る」


「こら!縫わないからね!!」


そこから先は私を無視。


「眠い…。もう寝る……」


それだけ言って、流川くんは眠りについた。



そして現在に至る。


そんないきさつを田中先生に言えるはずもなく、流川くんを覗き込む田中先生を苦笑いしながら見ていた。


「これで人気はたいしたものだからね。寝顔の写メでも撮ったら女子が喜ぶわよ〜」


「高く売れるでしょうね」


冗談を言う田中先生の言葉にも、流川くんの人気の高さが窺えた。


確かに顔は綺麗なんだけどね。


田中先生越しに見た流川の顔は人形の様で、見飽きる事のない程に整っていた。


田中先生の入れてくれた珈琲を飲みながら、準備をしていると昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り響いた。


「予鈴か。お〜い、流川〜。起きろよ〜〜」


田中先生が声をかけるが、全く流川くんに動きはない。


「流川くん起こすの手こずるんですよね」


いつぞやに、寝ぼけて大変な事になったのを思い出す。

田中先生も流川くんの寝起きの悪さは知っているらしく、長い物差しを手に流川くんに近づいた。


「こら!流川!!」


物差しでパシパシッと頭を叩かれて、ようやく流川くんは身体を起こした。


「??」


辺りをキョロキョロ見回している所から、ここがどこだか分からないらしい。


「さっさと授業行きな」


ぼーっとする流川くんに田中先生が笑いながら促すと、流川くんは頭を掻きながら私の方を見た。


「次の授業は寝ないのよ」


私も笑って声をかけると、コクリと頷いて入り口に向かった。


「あ…」


そのまま出ていくと思っていたら、入り口の前で流川くんが立ち止まる。


「どうしたの?忘れ物でもした?」


すると流川は真っ直ぐに私に目を向けて、相変わらずの低い声で呟いた。


「忘れんなよ」


「ちょっと…私、やんないから!」


流川くんはそんな私を見ると、少し表情を和らげた後に、クルッと背を向けて準備室を出て行った。


もしかして、今、笑ってた??


この日、私は初めて流川くんの笑顔?を見た。



〜第5話につづく〜




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