本編1

□妖花
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万物には命がある。
 意思の疎通が出来るか出来ないか、それだけの違いだ。
―――そんな言葉を目にしたのはいつだったか……





「今年も見事に咲いたな…」
 暗部の任務が少なかった為、久々に早めに帰ってきたナルトは、風呂上りに冷たいお茶を飲みながら、庭に続く縁側に腰を掛けていた。
 そこから見える一本の桜の大木を見て穏やかに微笑む。
「シカ、早く帰って来ないかな。せっかくだし、夜桜を二人で楽しみたいな……」
 今宵は満月。
 美しい曲線を描く月から淡い光が発せられ、スポットライトのように桜を照らし出している。
それが、人工的には成し得ぬ美しさを醸し出し、幻想的な光景を作り出していた。
 ナルトはそれを一人で見るのは勿体無いと思い、ついシカマルの名を口にしていたのだ。
 当のシカマルは三日前から四、五日程の長期任務で家にはいない。
普通ならば、暗部総副隊長である彼が行くほどの任務ではなかったのだが、うちは一族滅亡事件をきっかけに、先頃行われた大掛かりな上層部総入替えの事後処理に関わる件だったらしく、どうしても出向かねばならないと言って、引き受けてしまったのだ。
 現在木の葉にいるのは、アカデミー生として、表の顔の為に残されたシカマルの影分身。
シカマルであってシカマルではない存在。
 彼のことを思い出せば思い出すほど今まで我慢してきた寂しさがだんだん強くなり、ナルトは深い溜息を吐いた。
『我が君、せっかくの月夜に溜息とはどうされたえ?』
 不意に聞こえた柔らかな女の声。
それは音ではなく直接のうに響き、ナルトに語りかける。
ナルトは驚くこともなく、正面の桜を見据えて苦笑した。
「別に大したことではないよ。気にしなくて良い。…それより久しぶりだな、氷艶華(ひえんか)。姿を見せて」
 そう言いながら差し出された手に、ふわりと桜の花弁が舞い、白い手が静かに重ねられた。
『お久しゅう、我が君。お元気そうでなによりじゃ』
 現れたのは薄紅色の瞳に桜色の長い髪をした美しい女性。
「ありがとう。お前も元気そうでよかった」
 ナルトは重ねた手をそのままに腰を折って敬愛の礼をする氷艶華に慈愛の瞳を向けた。
氷艶華はそれを心地良さそうに受け止め、ナルトの足元に座る。
彼女のナルトを見つめる瞳にあるのは敬愛。
 人とは思えぬほどの美しい微笑みを浮かべて一心にナルトだけを見つめていた。
『それにしても、大したことはないなどと……妾を誤魔化すのは無意味ぞえ?』
 氷艶華の言葉に再び苦笑したナルトは参ったな、と呟いた。
「シカが長期任務でいないんだよ。今一人だから少し寂しくなっただけ」
 そう軽く返すナルトに氷艶華が首を傾げた。
『一人? 主様がお目覚めあそばしたと風に聞いておりますえ。起きてあらしゃるなら主様が我が君を一人にはなさいますまい?』
 不思議そうに訊ねる氷艶華にナルトは事情を話した。
「確かに神金緋は目が覚めたんだけどね。まだ完全ではないみたいだから、時々数日眠りにつくことがあるんだ。で、今は眠っているんだよ」
『左様でございましたか。主様も背の君もいらっしゃらないのであれば、妾が暫し我が君のお傍に侍りましょうぞ』
 ナルトの説明に納得した氷艶華は、シカマルが帰るまでの手慰みにと、傍にいることを申し出る。
その言葉にナルトも嬉しそうに頷いた。
「…氷艶華をここに連れて来てもう三年か。早いものだね」
 沈黙の中、暫し桜が舞い落ちるのを堪能していたナルトは、ふと思い出したのか感慨深げに話しかける。
 氷艶華もその時のことを懐かしみながら同意した。
『あの日、我が君にお会いすることが叶わなければ、今妾はここにはおりますまい。人を恨みながら修羅の妖と化して我を失っていたはずじゃ。我が君には感謝してもし尽くせぬ恩がありまする』
「恩などと…そんなことを思う必要などないよ。この土地の妖が修羅にならぬよう見守り助けるのも、九尾の神子たる俺の役目。お前が今幸せならいいんだ」
 ナルトの言葉に氷艶華はお優しい方、と心の中で呟く。
 氷艶華の本性は桜。
桜花精という種の妖で、ここではなく別の森で生まれた。
 初めは土地神・九尾の恩恵で、穏やかに暮らしていたのだ。
しかし、人間達の愚かな行為のせいで命が削られ、氷艶華の生活は一変した。
 命を補い生きていく為に傍を通った人間の命を奪うという浅ましい日々。
その悔恨と人間への憎悪で修羅と化しつつあった所に、暗部の任務帰りのナルトに出会った。
 初めは神子であるナルトのことも信じられず、襲って彼の命を自分の力に変えようとしていた愚かな自分。
 それを笑って許し、受け入れてくれたナルトを我が君と慕うのは当然のこと。
 今はナルトの事情を全て知っているが、知らなかったとはいえ、あの時の自分は蒼光の姿をしたナルトに無神経な言葉を突きつけた。
その時のことは今も忘れられない。
 氷艶華は辛そうな表情で、その時の光景を思い浮かべた。
ナルトがそれを心配そうに見ているなどとは露ほどにも思わずに。






『神子と言えど元は人間。貴方様に妾の気持ちなどわかりますまい! 妾の苦しみ! 恨み! 貴方様にはどれだけ深いかわかりますまい!』
 九尾の力の欠片を纏っていたことから神子であると気づきながらも蒼光を襲い、あっけなく失敗した氷艶華は、蒼光に事情を聞かれて睨みながらも語って聞かせた。
 全てを聞き、それに対して蒼光から返された言葉に氷艶華の目の前は怒りで真っ赤になる。蒼光が言ったのは、お前は間違っている≠スだそれだけ。
 取り乱したように叫ぶ氷艶華に、蒼光は動じず、逆に微笑みを浮かべる。
予想外の表情に、不意を突かれた氷艶華は固まり、蒼光を凝視した。
「……わからぬわけでもない。俺の環境は特殊だからな。俺も、人を憎まなかったといえば嘘になる。だが、だからと言って憎しみを返して何になる? 復讐して何になると言うんだ。虚しくなるだけだぞ。失ったもの、過ぎたことは元に戻せないのだから」
『……』
 蒼光の微笑みは悲しみの色が混じり、桜花精である氷艶華よりも儚く感じられ、氷艶華は言葉に詰まる。
 彼の言葉で冷静になった氷艶華は今まで自ら行ってきたことが、憎んできた人間と同じ行動であったことに気付き、恥じ入った。
 そして意を決した表情で蒼光を見ると静かに口を開く。
『…妾を殺してたもれ。もうよい、妾も目が覚めた。これ以上憎き人間共同じような浅ましい思いに心を染めとうない。神子の手にかかるのであれば、妾も心静かに逝くことができよう』
 導き出した答えに、蒼光は微笑から一転、殺気混じりの怒りの表情に変わる。
そのまま氷艶華に言葉を叩き付けた。
「俺はそのような答えが聞きたいのではない。お前の本音が知りたいんだ。お前は、ただ復讐の為だけではなく、生きる為に人間の命を奪っていたのではないのか」
『……』
 蒼光の怒りは力となって氷艶華に襲い掛かる。
氷艶華はその力に耐えながら縋るように蒼光を見た。
 それに気付いて蒼光はようやく怒りを抑え、無表情になると、氷艶華に再度問い掛ける。
「俺はお前の本音が聞きたい。生きたいか?」
 偽りを許さない、静かで重みのある言葉。
 その中には様々な思いが含まれていて、氷艶華は思わず心の底からの本音を口にしていた。
『……生きたい。妾とて死にとうない! 出来得るなら生きていたいのじゃ』
「良いだろう。俺が生かしてやる」
『神子……』
 驚く氷艶華をよそに蒼光は指先に力を集める。
それはチャクラではなく神力。
蒼光は集めた神力をそのまま留め、氷艶華に告げた。
「お前の源に近い枝はどれだ」
 その言葉に氷艶華は戸惑いながらも、一つの枝を指し示す。
蒼光はその枝を、神力を留めた指で触れ、枝が神力を覆うのを確認してから手折った。
『―――っ、何をっ』
 氷艶華は驚いて手を伸ばしたが、蒼光にその手を掴まれ抱き寄せられた。
「生きたいのだろう? だったら俺の元で暮らせ。ここでは俺の力も行き届かない」
『神子の元で……』
 見上げた蒼光の顔はとても真剣で。
偽りではないことを悟った氷艶華は蒼光の首に抱きつき、嬉しそうに微笑んだ。
『神子……いいえ、我が君と主様のお傍に侍ることができるのは妖として誉れなこと。ありがたき幸せでございまする』
 蒼光は氷艶華が自分を我が君≠ニ呼んだことにぴくりと眉を動かしたが、それ以上何も言わず、氷艶華を抱き上げ、桜の枝を手に持ったまま、禁域の森の自宅へと帰途についた。
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