フライングSS

□手管
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「大丈夫?官兵衛」
「失礼、致した」

 その客は、何の前触れも無く不意に現れた。 此度の秀吉の采配に何ぞ思う処があるのではないかと、心を痛めた女のそれは思いやりかもしれない。
 あくまでおのれの夫の為の根回しであるのかもしれないその行動も、この女特有の陽気で少々お節介の過ぎる性質を考えれば、妙な勘ぐりはせず素直に受け入れたいと思う官兵衛である。
 この女に特に可愛がられている若い将達の中には、それを素直に受け取れぬ者もいるらしいが、官兵衛は勿体ない事をすると密かに笑っていた。
 これ程美しく賢い女がおのれをいたわってくれるのだ、ありがたいと思わぬ阿呆の気がしれぬ。 もっとも、結局それが若さゆえの愚かしい戸惑いというものなのかもしれぬが…目前の女、主君秀吉が正室ねねを遠慮なく眺めながら官兵衛は口元を微かに吊り上げ、無表情な顔に笑みらしきものを浮かべて彼女の言葉を即した。

「今度の事、うちの人にはうちの人なりの考えがあってした事だと思うのよ、そこのところ腹も立つかもしれないけど、判ってやって欲しいと思って…」

 申し訳なさそうに官兵衛を見つめる黒曜石の如き黒々と濡れた瞳に、官兵衛は小さく頷いて手元の茶を彼女に勧める。 宣教師から譲り受けた異国の茶をねねは大層お気に入りで、彼女が尋ねて来る度に官兵衛は高価なそれを惜しげもなく振る舞っているのだ。
 彼女が美味しそうにそれを飲む姿を眺めつつ、官兵衛は顔に落ちる黒髪を指で払っておいて口を開いた。

「確かに、何の遺恨も無いと申さば嘘になるが…」

 嘘であった。 此度の件に官兵衛その人は何の感慨も抱いていない。 その相手は選ぶにしても、何者かの配下になると言う事は、全てを呑みこむ事であると官兵衛は思っている。 そうしておのれが選んだ者が策もなく例えば官兵衛を憎いからといった意味合いだけで何かを成す人間である等と思ったことも無い。 此度の件には複雑な策略が練り込まれているし、その結果こうなる事は必然であったと官兵衛は遠の昔、北条への和戦の使者として立った時から知っていたのだ。


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