フライングSS

□手管
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 小田原城開城の立役者、北条氏政へ和談の使者として立ち、それを成した黒田官兵衛の功は主君たる秀吉に踏みにじられたと言ってよい。
 官兵衛の言葉、ひいては秀吉の誓約は全て裏切られ、領地は没収氏政氏照には死を命じ、北条氏は断絶。 おまけに官兵衛には恩賞の一つも与えられぬとくれば、黒田官兵衛の面目はなはだしく潰された、と人々の口に上がるのも仕方の無い事であったかもしれない。
 だがそれも今に始まった事ではなく、官兵衛その人においてはそういった事実もどこ吹く風、常と変りない無表情で配下の者たちも「一体おのれの主は何を考えているのか、悔しくはないのか」そんな愚痴をこぼすありさまであった。

 しかし、官兵衛にしてみれば、例えそれが酷く悔しい事柄であったとしても、おのれに何ができる、と考えれば鬱憤溜め込む事自体が馬鹿馬鹿しく思えているのだった。
 腹が立ったと意趣返しをしてみても、それだけの話。 下手を打てば逆に糾弾され首を飛ばされかねない程に主とおのれでは立場に差があるのだ。
 関八州を見事に治めていたあの北条氏を断絶に追いやった天下人たる秀吉に刃向う阿呆は、もうこの日の本にはおるまい。 あの徳川家康でさえどういう腹があるかは判らぬが、ともあれ今は待つ事に徹している。

 あの…底知れぬ器の男でさえも。

 それを考えると官兵衛の口元はゆるりと歪む。 北条への和談の使者は徳川殿が最適であると、まずは徳川の陣を尋ねた官兵衛であったのだ。 そこで初めて徳川家康なる人物を見た官兵衛はすぐにその男の大いなる力を感じた。 かつて織田信長に見た様な、そして現の主秀吉に感じた様な、それは選ばれた者の力であった。
 おのれに足らぬ物、それは世に選ばれし力。 官兵衛は常々腹の底でそう考えていた。 知略謀略のみで世は収まらぬ、それを成すのに絶対不可欠なモノがそれだと官兵衛は思うのだ。 そうして、おのれには生まれながらにしてそれがなかったと、齢を重ねた今はわかる。

――それさえあれば。 その絶対的な力さえあれば、或いは…

 自然と膝の上に置いた拳に力が入り、革の手套で覆われたそれがギリリと音を立てていた。 それに少し驚いた様に、対面に坐する女の瞳が大きく開いたのを見て、官兵衛はようやくと思案の淵からおのれを現に立ち戻らせた。


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