フライングSS

□下弦の月
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 黒田官兵衛の動きに注意せよ。 その頃から既に名の知れ渡っていた武将であった。 城攻めにその才を発揮し、またその知略謀略、羽柴秀吉でさえ心中穏やかでなく見ているというその男。 此度の戦いで半蔵が受けた命(めい)は、その男の見極めであった。
 
 秀吉が陣、近隣の豪商から借り入れた官兵衛の陣屋敷。 明日の戦に備え休んでいたのか或いはただ単に月に浮かれてそれを眺めておったのか、ともかく黒田官兵衛その人は静かに酒をすすっていた。
 元の持ち主が風流を解する者であったのか月に照らされた中庭はなかなかに風情があったが、元より半蔵にそれを解するいわれはない。 今彼の頭にあるのは、さて如何様にこの男を計るか、それのみであった。

「下弦月」

 屋敷の縁に腰を掛け色素の薄い灰青色の瞳をぼんやりと庭に向けたまま、官兵衛低い声音で呟いた。 闇の奥よりそれをじっと見つめる半蔵は小さく首を傾げる。
 今宵の月は煌々たる満月。 忍の視力を用いずとも常人のそれで庭の有り様を見る事が出来るほど明るいのだ。 それを眺めて"下弦"とは――

「笑みの形だ忍殿」

 絶妙の間であった。 まるで半蔵の疑問に答えるように官兵衛は言葉を発し、同時におのれはお前に気付いているぞと、そう言ったのである。
 一瞬殺意にも似たものを縁でくつろぐ男に感じ、だがしかしおのれの使命を即座に思い出した半蔵はわずかな逡巡の後、官兵衛の前にその身を晒した。
 月に照らされ貌の青白さの増した不気味な風貌の男の、薄い灰青の瞳がわずかに見開かれる。

「ほう、小物ではないと思うていたが、これはこれは」
「拙者をご存じか」
「徳川の影」
「お初にお目にかかる黒田官兵衛殿、拙者、服部半蔵と申す者」

 互いに表情の乏しい貌を見合わせておいて、先に小さく顎を動かしたのは官兵衛の方であった。

「徳川殿がそれがしの何を探ろうとされておるのか」
「黒田殿が器」
「たかがそれしきの事に貴公の如き大物が出てくるか」
「拙者は所詮影なれば、黒田殿が御前に出るも無礼の極み」
「なんの、それがしこそ天下も狙えぬ只の山師」

 半蔵の面隠しより覗く琥珀の瞳が微かに揺らぎ、同時に坐する官兵衛の双眸もゆらりと内なる感情を微かに示す。

「貴公の如き男が配下に徹する器、徳川殿の大きさが知れるな」
「……」
「どうされた、最早世辞にも飽かれたか」

 官兵衛の視線が此方より離れ、再びぼんやりと庭の木を眺める様を眼を細めて見つめながら、半蔵はこの男を計りかねていた。


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