フライングSS

□表と裏
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 暗い天守の片隅で、闇よりも濃い闇がゆらりと蠢いた。
 
 天文10年7月17日、父氏綱が他界したその夜、氏康は父の遺言どおりに小田原城天守最上階へと足を向けたのだ。 父より譲り受けた北条を支える闇、その長と対面する為に――

「お初にお目にかかる、新しき北条が主どの」

 闇の奥より聞える声は氏康の背筋を蛇のように這った。 それは濃密に凝縮し手触りを持った闇そのもの感触を彷彿とさせ、豪胆で知られる氏康の肝を冷やす。

「風、魔、小太郎」

 氏康は殊更噛みしめるように闇の名を呼んだ。 新たな当主の誕生にその御前に馳せ参じる従ならいくらでもいるが、主に足を運ばせる従など聞いたことがない。 ましてや相手は地位も身分も無い、たかが忍、だ。 氏康の声には冷笑に似た物が含まれていた。
 それだけの価値のある者ならば認めよう、だがそうでなければ…氏康は手中の仕込杖を、ぎり、と音を立てて握り直す。
 
 カタリ、闇の中より酒杯を置く音がした。

「そう殺気立たれるな、我とて――」
「……なんだ」
「我とてこの名を継いだばかりの新参よ」
「ほぉ」
「くくく、何ゆえ主が従の元に足を運ぶか、主殿はそう考えておられる」
「そう、思うか」
「北条と風魔、百年に渡る主従が関係にある。 だがそれは表向き、真は…」
「北条が表、風魔が裏、主従でくくれぬ共存関係、そりゃあ親父に聞いてらぁな」
「であれば話は早い」
「ああ、だが昔の当主、つまり親父以前の奴らが風魔とどう関わり合ったかは知らねえが、俺は俺のやり方を通させて貰おうと思ってるんだがな」
「ほぉ、それはどういった、」

 つまり――と氏康は片手でくるりと手にした杖を回すと、その切っ先を闇へと向けた。 途端に室内の温度が下ったかのような冷え冷えとした殺気が両者から発せられる。


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