フライングSS

□手管
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「その遺恨、あたしにぶつけてくれればいいから」

 官兵衛の言葉に瞳を涙でうるませて、床に着くほどに頭を下げるねねの姿を彼は満足気に見降ろしていた。 そうしておいて、おもむろに彼女の白い肩に手を掛ける。

「奥方様が頭を下げる事では…どうかお顔を…」

 細い肩をしっかりと掴んでねねの躯を起こし、悲しみに戦慄く小さな顔を目前に眺める。 無表情な官兵衛の顔から彼女は何の感情も読みとれず、困惑した表情を浮かべていた。
 しばらくねねの顔を間近で眺めておいてから、官兵衛は少し眉をしかめて見せた。 それはそれなりに苦悩を表す表情となっているに違いない。 ねねは途端に慈母の如き表情を浮かべ、おのれの肩を掴む官兵衛の背中をおずおずとなだめるように両の手で撫でさすった。

「ごめんね、これからも頑張ってうちの人の為に尽くしてやってね、あんたの策をうちの人も本当に信頼しているんだから」
「奥方様のお言葉なれば」

 まんまと彼女を胸の内に取り込めておいて、官兵衛は内心ほくそ笑んでいた。 これ程の美しく賢い女の労わりを素直に受けぬ者の気がしれぬ、と。
 ありがとうありがとうとおのれを抱きかかえ言い募る罪の無い女の朽葉色の髪の香りを堪能すると、ある意味これが何よりの恩賞であろうと官兵衛は思う。
 誰もが恐れ敬遠するおのれの様な男にも、わけ隔てなく慈しみの心を持って接してくれる、まさに天女の様な女。 知略知謀の日々の中で、この女だけが、裏表の無い心もこの世にはあるのだと教えてくれる。

 官兵衛にはそれが何より心地良い贈り物だった。

 で、あるならば、少々他より多めにそれを頂きたいと思うのもまた真情。 そうやって少しずつねねに構われる様に振る舞っている内に、彼はとても不憫で不幸で、それを日々耐えている男、という印象が彼女の中に出来あがってしまったのだが、それもまた好都合と官兵衛は思っている。

――おのが主の奥方を奪うなどと大それた事は考えもせぬが…

 この女と日々を共に過ごしながら天下を狙う大望を抱き続けていられた秀吉という男の器は、確かにおのれではその足元に及ぶべくもない。
 やはりまた其処へ考えを飛ばすおのれに気付いて、官兵衛は呆れたように小さく笑った。


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⇒end

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