イルゲネス

幸福論
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 イルゲネスの片隅。
 クローズの札が掛けられた小さな酒場に、ふたりの男。
 その酒場──たったひとりのため……たったひとりを待つためだけに開かれたその店──は、五年の歳月を経てやっと、その役目を終えようとしていた。





 差し出されたグラスには、芳しい琥珀色の液体。
 ひとくち含めば、口いっぱいに独特の薫りが広がる。

「美味い……」

 小さな呟きだったが、ジェイクにはそれで十分だった。

「気に入ったんなら良かったよ。お前の収入を考えると、安酒だからな」

 カウンターに置かれた小皿から行儀悪く素手でつまみを口に運びながら、ジェイクは苦笑混じりに言う。
 この店一番の酒も、目の前の親友からすれば二流品だろう。何しろふたりの年収は、ゼロがふたつ程違うのだから。

「どんな高い酒だって、楽しく飲めなければ、それはただのアルコールだ」
 ホレイシオ最後の客であるフォンにそう教えたのは、他の誰でも無く店主のジェイクだ。

「この五年で、随分と酒は飲んだが……これが一番美味い」
「……フォン」

 元首に就任してからは、一級品の……それこそ幻の、なんて大層な言葉のつく酒を飲んできた。
 だけど。親しい友人等と飲むのではない酒なんて、皆変わらない。
 どれもこれも、全て同じ味だった。
 だけど、今は違う。

 カウンターに置かれたジェイクの左手に自分の手を重ね、フォンは微笑む。
 作り物の笑顔でも、斜に構えた皮肉な笑みでもない。

「ありがとう、ジェイク」

 天使のように純真無垢で──でも、艶を放つ美しい笑みだ。



「…………」

 その美麗な表情に誘われるようにジェイクは腰を屈めると、新雪のように真っ白で、陶器のようになめらかな頬にくちづける。
 頬から目尻へと上り、鼻先に下りて、形の良い唇にたどりつく。
 フォンは黙ってそのくちづけを受け止めた。
 ほくろのある目尻を、うっすら紅色に染めながらも、唇をなめられた時は、おずおずと唇を開いて、舌の侵入を許した。

 きっと、親友が自分のために用意してくれた美酒のせいだろう。
 フォンの体は今まで感じた事が無い程に甘く──そして熱く、疼いている。
 だから、ジェイクに寝室に行こう。と、囁かれた時も、ほとんど無意識の内にこくりと頷いてた。


 
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