イルゲネス
□sacrifice
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扉を開けると、鼻を突く苦い薫り。
煙草のにおいだ。
部屋の中、窓辺に腰掛けて、ジェイクが煙草を吸っている。
軍に入ってから、ジェイクは時折、煙草をたしなむようになった。
『いや、違う……』
ジェイクが煙草を吸い始めたのは、初めて人を殺してからだ。
体に染み着いた血の臭いを消すように、においの強い煙草を吸い始めた。
イルゲネスの浄化のため、“正義”の名の元に、いったいどれ程の血で手を汚してきたかわからない。だが、ジェイクは精神が昂ると、必ず煙草に火を点していた。
「ジェイク…」
名を呼ぶと、やっとジェイクはフォンの存在に気が付いて、こちらを向いた。
「何だ、帰ってたのか」
小さく笑いながら、ジェイクはまだ長い煙草をもみ消す。ジェイクは煙草嫌いのフォンの前では、絶対に煙草を吸わない。
「おかえり、フォン」
「…………ただいま」
フォンはそう言ってコートを脱ぐと、ジェイクの隣に腰掛け、自身よりも広い肩に寄り掛かる。
「……どうした?」
親友の珍しい行動に、金髪の男は首を傾げた。
その動きに合わせて、首筋を流れる金髪。初めて会った頃、太陽の光に輝いていたその髪も、今はくすんだ色をしている。それは多分、年を重ねたから、だけではない。
「フォン……?」
「ジェイク。お前、少し痩せたんじゃないか?」
「…………」
フォンの言葉に、ジェイクの表情が消える。
己の手を汚す度に、少しずつ痩せ細っていく体。バレないように着替えにも気を使い、ひた隠しにしていたのだろうが、何度も抱き合ったフォンに隠し通す事など出来る筈がない。
「……大丈夫だ。子供じゃないんだから、体重が2、3キロ落ちたくらいでどうこうなるもんじゃない」
本当はもっと痩せているのだが、わざわざ馬鹿正直に心配をかけさせる程、ジェイクも愚かではない。
「そういうお前こそ、顔色がよくないぞ」
そう言われ、頬を撫でられると、フォンは己の膝に視線を落とした。
「………最近、また少し…夢見が悪くてな」
「フォン…」
両親を……疑似親を喪った時の夢を見る事は少なくなった。
その代わり、数年前…この手で復讐を果たした時の──そして、その後知らされた真実を、また夢に見るようになった。
夢であってくれと。覚めたら消えてしまう悪夢であってくれと、何度願った事だろう。
だが、そんなのただの願望だ。真実なんてものは、いつだって残酷なものでしかない。
「無理、するなよ…」
ジェイクの腕が、フォンの肩を抱き寄せた。
そして、もう一方の腕でフォンの手を握る。
たとえ自分自身がどれほど傷付いていたとしても、ジェイクは他人を思いやれる人間だ。
それに比べて、自分は──
「ジェイク…」
フォンはジェイクのシャツを掴むと、背を伸ばし、自身の唇で親友の唇をふさぐ。
煙草の味がする、苦いくちづけだった。
「お前の、好きにしていいから…」
そう囁きながら、ジェイクの首に腕を回した。