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此の地に災厄来たりて
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「なのにテメーは、テメーの守護者も上役のジジイどもの意見も無視しようとしている。だが」

 怖いのだろう。そう尋ねられて、綱吉はそうだ、と正直に頷いた。怖い・恐ろしい・辛いのだと、獄寺や山本にすら告げていなかった己の本音を口に登らせる。後ろに控えていた彼等は、己等の主人に触れたいと…かたくなった背中を撫でてやりたい、力のこもった肩を叩いてやりたいと思ったが、実行に移しはしなかった。それが綱吉の望みではないと、そんな事をしても喜ばない事を――顔だけは笑ってみせるだろうが――重々に承知していたからだ。

「テメーの周りは、テメーに甘い奴ばかりだ。誰もテメーの意見を否定しねー」

 ザンザスのその言葉と同時に向けられた視線に、二匹の猟犬は身をかたくした。綱吉の意見は何時だって正しい。優しい。だけれど、それだけで渡って行ける世界ではない。そんな事はわかっているけれど、獄寺と山本を含めた彼の部下達皆が皆、その正しくて優しいものを否定する事が出来ないのだ。

「テメーに、10代目の気持ちがっ。10代目がこの選択をするのに、どれだけ苦しんだかっ!」
「獄寺、よせって」

 拳を震わせる獄寺と、それを宥める山本。だけれどザンザスはひとこと、そんなもん俺の知った事かと吐き捨てて綱吉が置いた大空の指輪を手に取った。左の掌で転がしながら、ガーネットのような瞳を細める。
 王の証であるそれに、紅の瞳は何を思うのか。かつて、八年の孤独から目覚め、絶対的な力と父親から総てを奪う事を願った……そんな幼子染みた願いを求めた男は、その願いを打ち砕き、己の代わりに王の証を手に入れた青年に何を思うのか。
 ただひとつ確かな事は――

「俺がこいつを奪って、再びボンゴレに喧嘩を売ったら、テメーどうする気だ?」

 圧倒的な力を抱く拳に握られてしまった小さな指輪。綱吉の後ろに控えていた二人の身がかたくなる。まるで冗談のようにあっさりと発せられたその言葉の重みが恐ろしい。ここ数年、ザンザスが父である9代目や10代目に就任した綱吉に牙を向ける事は無かったが、それが永遠と思える程達観はしていなかった。ただひとり、綱吉を除いて。

「今のザンザスはそんな事しないでしょ?」

 この部屋に入って、綱吉は始めて笑った。つまらない冗談に呆れるように。ザンザスがその台詞に混ぜた心情を読み取るように。

「はっ、おめでたい奴だな」
「ははは。二年くらい前なら本気にしたけど、今そんな事言ってもさ…」
「お得意の直感か?」
「直感はお互い様でしょ?」

 ほんの一瞬だけ、空気が緩んだ。緊張していた空気が解けて、綱吉が何年もかけて築いてきた優しいものが顔を覗かせる。
 けれど、それもすぐに霧散する。ザンザスが投げ付けてきた大空の指輪を受け取る事で。

「テメーの好きにすりゃいい。どちらにしろ、今の俺には指輪破壊についてどうこう言う権限は無いんだからよ」

 わかってて来やがったんだろ、と問われ、苦く笑いながら頷いた。結局の所、綱吉は誰かに自分の話を聞いてもらいたかっただけなんだと納得する。
 9代目や父・家光は、自分の事を理解してくれた上で、頷いてくれるだろう。獄寺や山本は、自分に総てを預けてくれている。だけど、ザンザスだけは――

「ザンザス。俺、本当は……」
「失いたくねーんなら、自力でなんとかしろ」

 やっぱり、気付いてくれたのだと、綱吉は泣きたくなった。他の誰も気付いてくれなかった不安を、ザンザスだけが気付いてくれた。

「10代目…」
「ツナ」

「ごめん、二人とも。俺、本当は」

 堪え切れず、重力に従って落ちる涙を拭いながら綱吉は振り返り、柔らかく微笑んだ。
 その顔は、ぐちゃぐちゃで、綱吉は情けないなと心の内で己を笑いながら、それでもやっぱり微笑んだ。

「俺、怖かったんだ。ボンゴレリングを破壊する事が、じゃなくて……」

 リングを無くす事で、皆を危険に晒す事が。力を失った皆を、己の手で守り切れるかと不安だったのだ。
 覚悟はある。皆のために命を賭ける覚悟。守るために非情になれる覚悟。皆を悲しませないために、自分を守り通す覚悟。





“だけど、それで守れなかったら?”





 もし指輪が無かったせいで、皆が傷ついたら。悲しいめにあってしまったら。失ってしまったら――
 考えるだけで気が狂いそうになる。

「俺は憶病者なんだ」

 各ファミリー間で指輪の奪い合いが表面化しだした近年。未だボンゴレに喧嘩を売る身の程知らずな馬鹿者などいないが、絶対ではない。
 遠からぬ未来、ボンゴレリングを標的とする者達も現れるだろう。
 けれど綱吉にとって一番大切なのは、いつくるかわからない未来ではなく、愛しい者達のいる現在なのだ。






「ボンゴレリングは破壊する。戦いの火種になるくらいなら、こんなものいらない」

「さすがです、10代目っ!」
「ツナらしいのな」

「ありがと。獄寺くん、山本。
 ありがと、ザンザス」

 感謝の意とともに顔を向ければ、紅の瞳の男は頬杖をついたまま、用が済んだなら出てけと言い放った。とんだ茶番につきあわされたとでも思っているのだろう。
 けれど、その機嫌がさほど悪くは無いという事は、後ろに控えた男の唇が弧を描いている事でわかる。この男も随分と優しくなったもんだ、という視線を投げ掛けられ、小さく頷いて返した。
 優しい男。言葉に出さなくとも、態度に出さなくとも、ザンザスは一歩離れた所から綱吉を…ドン・ボンゴレを見ている。何時から、この男はこんなに優しくなったのか。
 それが自分の与えた変化だと、与えた温もりだと、綱吉が気付く事は一生ないのだろうけど。

「何笑ってやがんだ、カス鮫」
「何でもねえぜぇ」

 かつてなら有り得ない程穏やかな上司と部下のやりとりに、綱吉は気付かれないよう口許に手をやって笑う。
 目敏いザンザスには結局バレてしまったけれど。










「じゃあ、この書類にあるファミリーの監視と調査を頼むね」

 理想と予想と現実は違うから。ボンゴレリングを破棄する事でボンゴレファミリーに仇なす可能性のあるファミリーの名が記されたそれを綱吉はザンザスに渡した。ザンザスはざっと目を通しただけで、それをスクアーロに押し付ける。

「ごめん、ザンザス。俺、頼りっぱなしで…」
「自覚があんなら、いい加減テメーで何とかする事を覚えろ」

 冷たく言い放つも、渡された書類を突っ返される事は無くて、綱吉はありがとうと告げて立ち上がった。

「またそのうち来るよ。何かお土産持って」
「来んな。当分テメーの顔なんざ見たくもねえ」

 そっぽを向きながら、似てきやがったなと苦々しく呟く様に、綱吉はくすくす笑って尋ねた。

「似てるって、誰に?
 父さん? 9代目? それともまさかリボーン?」
「……全部だ」
「仕方ないよ。皆俺から見たら見習うべき人だから」
「そうかよ…」
「勿論、ザンザス。お前も」

 無言のザンザスに、今度こそ出て行けとばかりに手で追っ払われ、綱吉は獄寺と山本を促して立ち上がる。
 未だ兎のように赤い瞳をそのままに、綱吉は扉の前に立つと、腰を深く折り曲げて頭を下げた。





「さ、帰ろう」

 綱吉がザンザスに頭を下げた事に慌てる獄寺と、微笑ましげに見守る山本。
 ザンザスは無言のまま、気配が遠のいて行くのを見送った。

「……いいのかぁ、ボス」
「あ゙? 何の事だ、カス」

「……まあ、あんたがあいつを信じるってんなら、俺も、他の奴等も文句なんかねえけどなぁ」
「わけわかんねえ事言ってんじゃねえよ」















 ねぇ、神様。
 俺は皆を守りたい。
 そのためなら、俺はどれだけ犠牲になったって構わない。

 だから、ねぇ、神様。

 俺にあと僅かな時間を。










「死ね、ボンゴレ10代目!」
 火を放つ銃。
 弾丸は痛みではなく熱として俺の体を襲う。





 神様。お願いだ。
 俺に皆を守らせて。

 それが、あの日の俺の誓いだから――





 end...
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