イルゲネス U
□V
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とある日の夕刻。フォンの病室を訪れたひとりの女性――フォンにとっては、養父の次に長い時を過ごした、母代わりの人……アイネスだった。
「こんばんは、フォン」
昔と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべるアイネスの来訪に、フォンは――
人払いを頼んだ。少しの間だけでいいからふたりきりにしてほしいというアイネスの言葉に、病院のスタッフ達は頷いた。
「こうして、向かい合って話をするのはどれくらいぶりかしら……」
「…………何しに、来たのですか?」
フォンの声は固かった。
警戒している事がありありとわかる声音に、アイネスは困ったように微笑む。
「貴方に会いたかった……会って、話がしたかったの」
「俺には話したい事なんてありません。何も」
かつて、自分の都合のいいようにアンジェ――オフィーリアを造らせ、この国から彼女達を追い出したのはフォンである。
いったい、今更何を話せばいい。彼女や他のプログラムマスター達にとって自分は、質の悪い失敗作でしかない筈だ。
なのに、アイネスは優しく微笑む。まるで本当の母のように。
「貴方が私達にした事を責めるつもりはないわ……。貴方は貴方の正義に基づいて“浄化”を行ったのだから」
「…………」
「苦しかったわね……」
悪役を演じ、彼が救おうとした全てから罵倒され、石を投げられたのだ。
どれ程の覚悟を持って挑んだとしても、到底耐えられるものではない。
彼をそんなめに遭わせたのは、他でもない……アイネス達だ。
「謝って、許してもらえる事ではないけど、でも――」
俯くアイネスの耳に響いたのは、低く、強い声だった。
「俺は、貴方達の決めたレールを歩んできたつもりはありません。
俺は自分の意志でここまで来ました。人造体と天然体が手を取り合う事の出来る楽園――それを欲したのは俺自身です」
フォンは一度言葉を切ると、血の気が失せる程強く握りしめられた“母”の手に自分の手をそっと重ねた。
「だから、貴女が謝る事はないのですよ。アイネス……」
「フォン……」
顔を上げた先にいたのは、昔と変わらぬフォンだった。
かつて、彼女や養父を敬愛していたフォンだった。
「ごめんなさい……!
貴方ひとりに全てを背負わせてしまって……何も、理解してあげられなくて……!」
アイネスは両手で顔を覆うと、嗚咽を噛み殺して泣いた。
そんな彼女の背中を、フォンはゆっくりと何度も撫でさする。
その掌は、アイネスや他の天然体と何ら変わらぬ、温かいものだった。