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が為には濡れるのか
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 耳に馴染む雨音。古い石畳に打ち付けるその音が心地良く、だけれどそれに紛れた不協和音が暗殺者として鍛えられた彼の耳に確かに届いた。
 小さく舌打ちをして彼は音の出所を追う。普段なら絶対にせぬそんな矛盾した行動に己自身で苛つくのはきっと、殺気まみれのその場所に似合わぬ静謐とした空気があの男の放つものだと気付いてしまったからだ。

 水溜まりを避けるように石畳を歩きながらゆっくりと気配を辿れば、そいつはすぐに見付かった。
 柄の悪い男達。人数は多くない。精々十人足らずだろう。そしてその中央にはこんなイタリアの田舎町の狭い路地裏には不似合いな東洋人の若い男。
 彼はひとつ溜息をついて、右手の中指に填められた指輪を見やった。わざわざこれを使う必要のないレベルの奴等だ。いや、そもそも自分が手を貸してやる必要などない。こちらはあの男の担当なのだから。
 彼はとんっと濡れた住宅の石壁に寄り掛かり、事を傍観する事に決めた。気配は最低限。完全に隠す気は無く、彼の代名詞ともなっている夜目にも艶やかな銀髪を音をたててかきあげる。なのに彼の存在に気付いたのはひとりだけ。男達の神経はすべて取り囲んだ東洋人の男に向けられていて、その東洋人の意識は男達を通り越して彼に向けられている。
 東洋人がこちらを見て、にっと笑った。ああ、あの餓鬼の緊張感の無さときたら。と、彼は小さく息を吐き出し、コツコツと手首を指先で叩く。腕時計の文字盤を叩くようなその仕種は早くしろと言いたいらしい。
 男がこくりと頷くのと同時に、周りの男共が一斉に飛び掛かる。各々その手には刀やナイフ、大別すれば皆剣を持っていた。
 彼はそれだけで、後のすべてを見通した。あの男相手に剣で勝てる人間など、彼はたったひとりしか知らない。そのたったひとりがこうやって事を傍観しているのだから、男の勝利は確定していた。





「スクアーロ!」

 駆け寄って来る男の姿に呆れ果てる。返り血一滴浴びていない。当たり前だ。男はただひとりも殺す事なく、刀のみねですべてを片付けたのだから。
 彼はその甘っちょろい戦闘スタイルを直せと何度も、何年も言ってきた筈なのに未だ聞き入れる素振りはなく、10年経った現在、彼のほうが根負け気味だった。

「時間かけてんじゃねえぞぉ、クソガキ。
 うちのボスはああみえて時間にはうるせぇんだ」
「ははは。ザンザスって案外几帳面なんだなあ」

 雨に濡れたままの愛刀に似せて造らせた刀を肩に掛け、男は若干重くなった固めの前髪を払った。滴る雨水が鬱陶しいのだろう。
 彼は呑気に笑う、いつの間にか自分の目線を追い越した男に背を向け、さっさと帰るぞぉとだけ吐き捨てた。男の後ろで、ゆらりと幽鬼のように立ち上がった標的に気付きながらも。

「なあ、スクアーロ」
「何だぁ?」

 男が無造作に抜いた刀の柄で、襲いかかって来たターゲットの顔面をぶっ飛ばしたのを気配だけで感じ取り、彼は歩き出した。

「スクアーロって結構面倒見いいよなー」
「あ゙っ?」

 何を言い出すんだと思わず足を止めて振り返れば、男は刀を再び納めてから空いた距離を小走りにうめてきた。
 別に置いて行くつもりは無いというのに。男は彼の隣に立つと、己よりいくらかだけ低い位置にある師匠に笑いかけた。すると途端に彼の機嫌は下降する。十近く年の離れた餓鬼に見下ろされて嬉しがる奴は少ないだろう。

「何だかんだ言いながら、様子見に来てくれんじゃん」

 その台詞には流石に呆れる。以前この男を放置して帰った際、多少どころではなく部下に対し過保護なドン・ボンゴレにどれ程恨み言を言われたか、この男は知らないようだ。
 自隊のボスとは対照的に優し過ぎる…甘過ぎる青年に延々愚痴のような恨み言を繰り返されるのだ。ヴァリアーは独立独歩主義かもしれないけど、俺達は違うんだ。なんて……あれはかなり鬱陶しい。まだ自隊のボスに一発入れられる方が楽だと勘違いしそうになるくらいに。尤も、その恨み言が長引いて任務終了予定時刻を超過したため帰還後一発入れられた時には、そんな戯言忘れていたが。





 一度会話が途切れると、その後は双方無言だった。迎えの車までは少し歩かなくてはいけない。この近辺は道が狭すぎて車両の通行どころか、下手したら人が通る事すら適わぬ場所がある。そのため今回の任務は狭い場所での戦闘に向かない銃火器の使い手ではなく、内外共に名高いボンゴレの二大剣豪が指名されたのだった。

 スクアーロは微かに自分に纏わりついていた血臭が雨で洗われていくのを肌と嗅覚で感じていた。戦いを清算する鎮魂歌の雨、とはよく言ったものだと思う。その称号は後ろを歩く青年に渡した筈だが、彼がその使命をまっとう出来ているとは到底思えない。
 山本がこちらの世界に足を踏み入れて約10年。剣帝と呼ばれてしばらく経つ自分に弟子入り――当人が勝手に言ってるだけで、弟子などと思った事は一度たりともないが――してから何年経つ事か…。なのに、こいつの甘さは何故消えぬ。
 ボンゴレ内で唯一剣帝と同等の剣士であると、二大剣豪の名を冠し。ドン・ボンゴレの猟犬などという名を与えられて。人を殺した事も、一度や二度ではないくせに。
 なのに何故、この男はまだ白いままなのか。





「ボスがボスなら、その飼い犬も飼い犬って事かぁ」

 思わず口をついた悪態に、背後から、ん?と間抜けな声。どうやら耳も犬並のようだ。
 犬が何だって、飼うのか。などと抜けた事を言うものだから、彼は勢いをつけて振り返ると生身の右手で自称弟子の額に一発いれてやる。指輪が見事ヒットした。これは相当痛い。
 痛ててとこぼす男に、テメェの事だと告げればきょとんと鳩が豆鉄砲くらったような間抜け面。こいつのこういう餓鬼染みた天然な所が苛々する。

「テメェは何時まで経っても染まらねぇなつったんだぁ」

 額を撫で擦る山本を無視して、無音で歩き出せば遅れてついてくる足音。暗殺を生業として十数年経た自分とは違うためらいの無さ。アジトの外にいる時は意識せぬと足音をたてる事すらしない自分とは正反対だ。

「人を殺す事が怖いのかぁ?」

 答えがわかっていながら、スクアーロは敢えてきいた。そして返事は予想通りの否。
 彼が命を奪わない理由が恐怖などでない事は、見ていればよくわかる。基本、この男にそんな殊勝な感情は備わっていないのだ。自分と同じく。

「だって、ツナが悲しむから」

 明朗快活。澱みの無い答えだ。
 んなこったろうと思ったぜ。と返せば、へらりと崩れる表情。この剣士はボンゴレ10代目の右腕を自称するあの忠犬と同じくらいドン・ボンゴレに忠実であり、その色に染まっていた。










 山本は滴り落ちてくる雨水を拭いながら、遠くを見るように瞳を細める。振り返った道程に見えるのは後悔か希望かは定かでないが、スクアーロとは違った色をしている事だろう。
 初めて人を殺した時の事覚えてるか。突然提示された問いに、スクアーロは希望通りの答えを返せなかった。20年もの月日が流れているからではない。スクアーロにとってそれは当たり前過ぎるくらい近くにあるものだったのからだ。
 スクアーロが正直に答えを出せば、山本はそっかと呟いて頭の後ろで指を組んだ。まるで学生の頃から変わらない仕種である。

「俺も、もうあんま覚えてねーんだけどさ…」

 守るために殺した。恐怖は無かった。後悔も無かった。けれど達成感や喜びも無かった。
 初めて命を奪ったのは名も知らぬ男だった。自分の親友を……たったひとり仕えると決めた男の命を狙ったというだけの、名前も知らない男だった。今ではその顔すら思い出せない。
 薄れる昔日の中で鮮明に残るのは、雨のような雫。否、降らせるのは天ではなく、大空だった。
 ごめん、と。ごめんね、と。壊れたように雫を落とし、壊れたように謝罪を繰り返す彼を見た時、山本は自分が救われるのを感じた。この男を救った事を誇った。
 そして一生を捧げようと、神と己と己の人生に誓った。たったひとりの主人だけには誓えなかったけれど…。

「アンタだってさ、ザンザスが嫌がる事はしねーだろ?」
「してみろ。次の瞬間には消し炭だぞ」

 冗談抜きでげんなりとした表情を浮かべる剣帝に、山本は、あははと呑気に笑った。本当に有りそうだなと楽天家な山本でも簡単に予想出来る。
 綱吉とザンザス。余りにも対照的なふたりの主君に仕える、正反対なふたりの自分と彼。はてさてどちらがより悲劇なのか。

「俺はさ。ツナを泣かしたくねーんだ。壊したく、ねーんだよ……」
「……」

 マフィアのドンなんて似合わない。自分を含めて、皆がそう思っているだろう。だけどその皆が、彼以外にボンゴレ10代目が務まらぬ事も知っている。
 だからせめて、彼が選んだ道が少しでも明るいように。彼の進む未来が希望に満ちているように。
 そのためなら、この腕が血に濡れたって構わない。だけど悲しませたくもないから。

「矛盾してんのはわかってけどさ」
「テメーは殺して、生かすのかぁ?」

 何時か彼が笑って死ぬその日のために。
 恨まれてもいいから、悲しまない生き方を贈りたい。

「昔、スクアーロがザンザスのためにボンゴレを裏切ろうとしたの、今ならちょっとわかるかもしんねーや」
「けっ。甘ちゃんのテメーが俺等を語ろぉなんざ、百年早ぇ」

 ひでーの、と笑っているうちに迎えの車が見えてきた。
 雨は、いつの間にか止んでいた。





 end...
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