etc

きっと僕らは世界
1ページ/2ページ

 


「雲雀、呑むぞっ!!」

 唐突にやって来た男。武骨な自身に似合わぬ細身のワインボトルを片手に、満面の笑みを称えた晴の守護者。
 存外酒に強いといういらん情報はこの10年余りで得たが、その酒豪を追い払う方法という有益な知識は生憎持ち合わせていない。

「……どうやら死にたいらしいね」

 一体その和服のどこに忍ばせていたんだという仕込みトンファーを取り出し、膝立ちになる孤高の浮雲を余所に晴の守護者は上機嫌で言い放った。

「美味い酒が手に入ったのだが、ひとりで呑むには味気無くてな。
 かといって“今の”沢田達に呑ませるわけにはいかん」

 ドンッと畳に叩き付けるように置かれたワインは、雲雀も知らぬ銘柄。基本味や価値などに拘らぬこの男の事だから、名も無い酒を持ってきたところで不思議ではないのだが雲雀の本能が違和感を告げていた。それは“ひとりで呑むには味気無い”と言ったくせに、すでに減っている深紅のそれのせいだけではないだろう。

「僕に飲み差し持ってくるなんていい度胸じゃないか」

 違和感の原因がはっきりせぬ苛立ちから、浮雲の唇は酷薄に歪む。今、目の前にいるこの男をぐちゃぐちゃにしたらこの苛立ちは治まるかと自問自答したが、その答えを出す前に、違和感の原因は本人によって早々にバラされてしまった。
 このワインはかつて己の師が呑んでみたいと、名を口にしていたものだと。
 無言のままの雲雀には見向きもせず、了平はさも愛しげにボトルを撫でる。まるで女の肌を愛撫するかのような指先を見ながら、女を喜ばせる繊細さなぞ持ち合わせていたのかと、雲雀は腰を下ろしながらぼんやりと思った。10年という期間は少年を男にするには十分な時間ではあったが、相反する男の内面を知るには短すぎたようだ。

「……あの彼女のとこに行っていたのかい?」
「うむ。始めの一杯はラルに呑ませてやらねばと思ってな」

 この男の事だ。本当に一杯だけ飲ませて、こちらにやってきたのだろう。戦士でありながら戦場で誇り高く死ぬではなく、呪いなどという酷く曖昧なもので消えた師の面影と記憶を共有する女を前にしながら、この男は慰めもしなかったのだろう。それが彼女にとって幸か不幸かは雲雀にもわからなかったが。



「む。雲雀、どうしたのだ?」

 何の脈絡も無しに、急に立ち上がった浮雲に晴の守護者は首を傾げる。そういう仕草は昔から変わらないなと思いながら、グラスを取りに行くんだと答えてやる。

「君とボトル回し飲みなんてごめんだからね」

 にかりと笑ってそうかと答える男に、細い吐息をぶつけながら浮雲は思う。“現在”を共有する男は今彼しかいないから。だから、これはほんの気紛れだと。
 まるで言い訳だと思いながら雲雀は瞳を伏せた。





「まあまあだね」
「気に入ったか!」

 一気に飲み干し、手酌で再び杯を満たす了平の傍らで雲雀はひとくちひとくち味を確かめるようにグラスを傾ける。彼はもともと大して酒好きではない。飲めなくはないし、味もわかる。しかし少しも酔えないのだ。ふわふわと本当の雲になったかのような高揚感も、地の底に墜ちたような不愉快さも、味わった事は一度もない。だから基本的に酒は飲まないのだけど、今日だけは特別だった。

「本来ならなかなか手に入らない酒らしいのだが」

 ルッスーリアがどこからか手に入れて来た。という台詞に、雲雀はほんの少しだけ――身近な者しか見分けられぬ程――眉をしかめた。しかし、身近ながら浮雲の機微などどうでもいい彼は、あっさりとスルーしてみせた。
 仮にも暗殺部隊の幹部に何をやらせているのだ。いややる方もやる方だ。あの変態は同じ属性を持つこの男に甘すぎではないのか。いや、甘いのではなく過分すぎる質の悪い愛情表現なんじゃないのか。
 などと雲雀が思考しているとは露知らず、了平はすでに三杯目に口をつけている。香りを楽しむでもなく、舌先で余韻を味わうでもなく、水でも飲むような様は情緒などかけらも持ち合わせていない了平らしい。

「で、君は結局何しに来たんだい」

 まさか本当に酒を飲むためだけではないだろうと思いそう口にすれば、了平は雲雀の考えをあっさり否定し、十年前から少しも変わらない笑みを浮かべた。
 呆れて物も言えない。隠しもせずに表情に出せば、了平は不思議そうに大きく首を傾げた後、ひとりで納得したようにおおっと声を張り上げた。
 もう後僅かしか無いボトルを雲雀のグラスに注ぐ。すまんすまん俺ばかり飲んでたな。などと明後日な事を言うものだから、思わず肺が空になるような息の塊が口をついていた。この噛み合わないやりとりも、昔から少しも変わらない。






「む、そういえばお前の師匠がお前の心配をしていたぞ」
「誰が師匠さ…」

 この男がそう呼ぶ男に心当たりはあるが、はっきり言ってあの男を師匠などと思った事は一度たりともない。その事は常々公言している筈だが、了平だけは了解してないらしい。雲雀の言など一切無視を決め込んでいるのか、はたまた自分と自分の師匠の関係を重ねているのかは定かではないが。

「しばらく会っていないそうだな」
「そのうち嫌でも会う事になるだろうけどね」

 ボンゴレが潰滅状態の現状だ。事が大きくなるにしろ、終焉を迎えるにしろ、同盟ファミリーの長であるあの男とは会わねばならなくなるだろう。けれど整えられた屋敷の談話室なぞより、死地で顔を合わせる確率の方が余程高いだろうなと頭の片隅で思った。

「十年前の沢田達が現れた件で、何やら複雑そうな顔をしていたぞ」
「だろうね」

 跳ね馬の名を冠するあの男とは短くはなく、また浅くはない関係だ。師弟などという生温い繋がりではないが、感情の起伏くらいは了解している。
 一度は失った弟分。それが帰ってきたのだ。帰ってきた彼のその姿は違えど、死者の再生などという奇蹟が現実に起きてしまったのだ。それは複雑だろう。
 しかし、その奇蹟とて終わりのある夢に過ぎない。儚く消えてしまう希望だ。

「彼等はこの時代の人間じゃないからね…」

 何時か――それはきっとこの戦いが終わった後だろう――彼等は帰っていくのだ。命のやりとりが隣にあって、だけどまだまだ優しく温かった世界に帰っていくのだ。
 大人になった――血に塗れた自分達を置いて。

「沢田や京子達は、帰れるだろうか…」
「…珍しく頼りないね。らしくないよ」

 ついに空となったグラスを置き、雲雀は呆れたように腕を組んだ。この鈍感はやっと事の重大さに気付いたらしい。

「帰れる筈さ。じゃないと歴史が変わってしまう。
 いや、もう変わってしまったのかもね……」

 すでに運命の歯車は噛み合わず、歴史は矛盾し始めている。
 過去からやって来た少年達。もし彼等がこの争いで死に、過去に帰れなければ“現在”の彼等の存在は消えてしまう。
 けれど、もし“過去”からやって来た彼等が10年前に戻れたとするならば、彼等は未来を知りながら同じ過ちを犯した事になる。
 ボンゴレリングを破壊し、ミルフィオーレを野放しにする。などという事を、いくらあの争い嫌いのドン・ボンゴレがするだろうか。仮にボスである彼が許したとして、側近のあのふたり。ドン・ボンゴレの猟犬の異名を持つ獄寺隼人と山本武が許すだろうか。
 有り得ないと、雲雀は心の内で断言する。自らの命より主の命令を、主の命令より命をとる彼等が、主君の命が失われる事態を見過ごすわけがないのだ。
 それはつまり――

「歴史は矛盾してる。仮に彼等が元の時代に戻れたとしても、彼等の歩む道はきっと今の僕達には繋がってない」

 パラレルワールドってやつさ。と雲雀が呟けば、おそらくSF小説等読んだ事もないだろう了平が、何だそれはと返す。けれど雲雀は説明するのも面倒だとばかりに目を伏せてしまう。この浮雲が存外ものぐさだという事実を知っている了平は、それきりあっさり追及をやめ、グラスを置いた。

「雲雀」
「何?」
「お前、少し酔っているか?」
「……」

 いつもより饒舌だと言えば、そうかもね。と短く返された。

「酔う……ああ、そうだね。酔ってるよ、僕は」

 僕は…僕達は、もう戻れない所まで来てしまった、この夢のような非現実な世界に、僕は酔っているんだ。
 目覚めぬ悪夢に、酔っているのだ。

「“現在”の沢田綱吉は死んだ。今僕達の前にいるのは“過去”の沢田綱吉。
 彼はまた、僕達の世界から消えてしまうんだろうね」

 いつからか、近くにいるのが当たり前になっていた。側にいなくても、彼は自分達の近くにいた。そういう存在で、いつの頃か噛み殺す事も忘れて……温かった。

「雲雀。沢田がいなくて淋しいなら泣いたらどうだ?」

 突然の台詞。雲雀は了平を見やった。

「何だい、それ。淋しい? 泣く?」

 不機嫌…というより、幼児が初めて知った言葉を繰り返すかのように、雲雀は口の中で何度も何度も、無感情に淋しいと泣くを繰り返した。

「俺は、師匠が死んだと聞いた時とても淋しかったぞ」

 誰にも見付からぬように泣く程。そう告げる了平の瞳はらしくもなく凪いでいた。

「泣いてもいいんだぞ、雲雀。
 俺達はまだ世界のこちら側にいて、師匠達は向こう側にいってしまったのだから」

 別れに泣くのは恥ではないぞ。そう言ってから、了平は一度だけ瞼を伏せて、もう一度だけ言った。

「泣いていいのだぞ、雲雀」





 end...
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ