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此の地に災厄来たりて
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 その日、ドン・ボンゴレを評する大空が毒々しい紅色に染まる頃、ボンゴレ10代目がヴァリアー本部を訪れた。
 伴った部下は運転手を含めてたったのニ名。
 ドン・ボンゴレの猟犬と呼ばれる嵐と雨の守護者二名だ。
 しかし、出迎えに出た下っ端はその護衛の人数を少ないとは思わなかった。
 むしろその顔触れに、背筋を震わせた。
 先代と同等、或いはそれ以上に温厚な人物として知られた現ボスが、それだけの柔な男ではないという事実を知らない者はいない。そんな男だったならば、彼は百年というけして短くはない歴史を持つこのファミリーの10代目などという地位に就く事は叶わなかっただろう。最低でもこの城の主は許さなかった筈だ。
 そして、その大空に付き従う彼等もまた、一度主君から命が下されればボンゴレ最強を謳うヴァリアー幹部と同等の力を有して戦う事が出来る程の実力者であると知っていたからだ。
 そんな彼等が普段の穏和さを隠し、揃って渋面でこの城に現れれば、たとえ下部の人間であったとしても何かあるであろうと予想出来る。
 大規模な抗争が近いのか。はたまた己の知らぬ所で、どこぞの身の程知らずがドン・ボンゴレの逆鱗に触れたか。
 とにかく。ヴァリアー本部玄関の扉を開け、深々と頭を下げたその男は、大空の怒りに触れぬようにと、その体勢を崩そうとはしなかった。成人した男にしては些か高く、マフィアのボスと呼ぶには余りにも優し過ぎる声に「もういいよ」と言われるまで。
 その余りにも暗殺部隊の本部に相応しく無い声音に頭を上げれば、発した本人は己の部下を従え、ただ一度もこちらを振り返らずに館の主人の部屋へと足を進めていた。





 ボンゴレ10代目、沢田綱吉がこのヴァリアー本部を訪れた事はほとんど皆無に近い。
 むしろ剣帝の弟子的立場にいる二大剣豪のひとりである彼の部下の方が、修行のためという口実で赴いている回数は多い。けれどそんな剣士といえど、この館の構造はほとんど知らない。鍛練所は館内ではなく、併設する施設にあるため、こちらに用事はほとんどないのだ。精々気紛れを起こした師匠的存在の男が、本当に極稀に茶を飲ませてやると、談話室に通してくれるだけだ。もうひとりの守護者に至っては、片手で数えられる程度の回数しか、この城を訪れた事はない。
 だけれど、綱吉は誰かに先導される事もなく確かな足取りで階段を昇り、何度も角を曲がり、長い廊下を歩んでいた。
 それがブラッド・オブ・ボンゴレと呼ばれる予知に等しい直感なのか、はたまたかつて相対した男に対する本能的危機感なのかは綱吉自身とてわかっておらぬだろう。
 だが、綱吉が館の主の居場所がわかるように、主もまた綱吉の来訪には気が付いていた。それがやはり、予知なのか本能なのかは定かではないが、ノックもせずに開け放った扉の向こうでソファに腰掛けていた男に少しの驚きも無かったのがその証拠である。





 この部屋は談話室の類いなのだろう。向かい合ったソファとその間にローテーブル。だけれど、本部の談話室とはだいぶ違っていた。端的に言えば生活臭が無い。本部の談話室は常に何かしらの匂いがある。音がある。人々の営みがある。それは誰かが咥える煙草の臭いであったり、誰かが摘んだキャンディーの薫りであったり、つまらない諍いをする守護者の声だったり。綱吉が愛してやまない物達の気配が、この部屋には微塵も無かった。
 この部屋において、綱吉が愛しいと感じられるものはたったのふたつだけ。ソファに足を組んで腰掛けた緋色の瞳を持った城の主。そしてその後ろに控えた城主の懐刀――文字通りの意味だが、きっと当の主人はその事実を認めはしないだろう――である銀糸を持つ男。

「こんばんは。ザンザス、スクアーロ」





 座れと短く命じられ、おとなしく従ったのは綱吉ひとりだけだった。残りの二人は銀髪の剣士と同じく主君の背中を守るため、直立不動無言でソファの後ろに控えていた。
 城の主は忠犬のごとき部下達のその様には触れず、ただ黙って足を組み替えた。発言権を客人であり、形式上の主であり、親戚と呼ぶには些か薄過ぎる血縁の少年に譲ってくれたのだ。
 だから綱吉はザンザスのその好意に有り難く受け取り、前置きは一切せずに本題を切り出した。





「俺……ボンゴレリングを破棄する事に決めたよ」

 言葉の爆弾というには、少々規模が小さ過ぎたか。その言葉に驚愕したのは室内でただひとり、本部とは何の接点も無く、己の主人のような超直感など持たぬS・スクアーロのみであった。

 驚愕に目を見開く部下をちらりとだけ見やって、暗殺部隊のボスはすぐ目の前の青年に顔を戻した。その表情に何かしら偽りはないか。隠された何かがないかと探るが、ザンザスの超直感を持ってしても違和感は見付けられない。強いて言うなら、ドン・ボンゴレの膝に置かれた両拳がやたらと強く握られているだけ。それとて、まるで親に叱られそうになっている子供程度の緊張のせいだとすぐにわかった。
 室内に落ちてきた沈黙は重い。色を付けるなら、おそらく深海のような闇色だろう。だが、その闇色を切り裂いたのは、けして深海になど届く筈の無い月光のような髪を持った剣士の叫びだった。

「ゔお゙ぉ゙いっ、どういう事だ綱吉っ! 事と次第によっちゃっ、テメーといえども三枚におろすぞぉっ!」

 言葉通り剣に手を伸ばしたスクアーロの向かいでドン・ボンゴレの猟犬・獄寺隼人、山本武も、それぞれの得物に手をかけた。空気が闇色から刃のような鋭い剃刀色に変わっていく。
 けれど、異口同音にふたりの男の口からもれた制止の声に、殺気が凍り付く。三人の従者にとって、主君の命令は主君の命の次に重い。勿論、己の命などより余程重い代物だ。
 渋々という感情をけして隠しはせず、それでも三人は得物から手を離し、互いを威嚇するような視線だけを応酬させる。さすがにふたりの主はそこまで見咎めたりしなかった。それくらいさせてやらないと、気の短いそれぞれの部下が後々暴発するだろうと予想出来たからだ。

「スクアーロが怒るのはわかる。だけど、俺は決めたから」

 初めて出会ってから早数年。けれどスクアーロからすれば、目の前にいるこの青年はやはり子供なのに。あの頃は感じなかった、否気付かなかった威圧感に、反論は口を出る前に容易く殺されそうになる。それでも口をついた罵倒は、事の重大さ故だった。

「あれがどういうもんだかはテメーが一番知ってんだろうがぁ。それを易々と破棄だなんて口にすんなぁっ!!」

 ふざけんじゃねーぞぉ。と吐き出す声と刃のような睨みにさえ、綱吉は一切反応しなかった。何時からこんなに可愛げの無い男になってしまったのかと、スクアーロは頭の片隅で苛立った。冷静沈着さなどあの頃破片も持ち合わせておらず、温室育ちそのままに小心で、常に小動物の如くビクビクしていた綱吉のその変貌を、ボスとしての成長と喜んでやれる程現在の状況は甘くない。だが。

「スクアーロ、少し黙ってろ」

 微かに、スクアーロは肩を震わせた。それは主の声が自分と対照的に凪いでいた事に対する驚きであり、常自分の事をカスだのダニだのとしか呼ばない主が己の名前を口にする事の意味を理解しているからだ。
 身を堅くしたスクアーロを気配のみで確認し、ザンザスは頬杖をついた。そのまま、わざわざそんな事を言うためだけに来たのかと問えば、綱吉は緩く首を横に振った。否定というには少しばかりドン・ボンゴレの表情は複雑だ。

「ザンザス、お前が最後の砦になるかもしれないから」

 綱吉は両手を胸の高さまで上げると左手の中指に手をかけ、するりとそこに鎮座していたそれを引き抜く。大空の指輪だ。そしてその指輪をトンッとローテーブルに無造作に置いた。

「父さん…門外顧問と9代目には話した。
 俺の好きな様にすればいいと言われた」

 わざと感情を排斥した声。明るい色の瞳に、熱く冷たい炎が宿る事に気付いたのは、かつて圧倒的な強さを秘めた冷たい炎を抱いていた目の前の男のみ。そしてそれだけで、ドン・ボンゴレの意向が……自分に何を求めているかを理解した。したけれど、納得するかは別問題だ。

「テメー、俺に止めてほしいのか?」

 ドン・ボンゴレの力と権力と血の証の破壊。などと口走った自分を否定してほしいのかと問えば、鳶色の瞳が微かに伏せられる。どうやらザンザスの超直感が真実を射抜いたようだ。
 綱吉は成長期を経て尚小さな拳を握り合わせると、唇を噛み締め、一度だけぎゅっと瞼を閉じた。そして再び開いた時には、その瞳に見え隠れしていた迷いを押し隠していた。

「……守護者の中には、俺意見に反対する者もいる。
 上層部は軒並み揃って首を横に振った」

「だろうな…」

 ボスの証というだけでなく、ボンゴレリングにはボンゴレの歴史の総てが詰まっている。百年という歴史の中で、誰ひとり覚えていない真実をこのリングだけは見てきた。感じてきた。幾度も血に塗れながらも、ドン・ボンゴレとその守護者達とともにあったボンゴレリング。それを現在の所有者とはいえ、まだ青二才のガキの一存で無に帰されてはたまったものではないだろう。
 
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