treasure

□木漏れ日の木
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「だぁぁぁぁぁ!定春ゥ!こんなところでクソ垂れてんじゃねー!」
全力で踏ん張ろうが何しようが、定春の自重を動かせるわけも無く。
銀時は、綱引きのように引っ張っていた綱を、諦めて緩めた。
すっきりした表情の定春の横で、銀時が渋い顔になる。
袂から大きな30リットルのゴミ袋と新聞紙を取り出して、糞の片付けに取り掛かった。持ち帰るのも大変な、キングサイズだ。
いつもならば、新八か神楽が定春の散歩に連れ出すのだが。
「…まったく。どこ行きゃーがった。あの酢昆布娘」


昨夜は明け方まで飲み明かし、帰宅後に布団で撃沈。
昼近く、新八が万事屋に来てから、ようやく動き出した次第。
それだって、布団を干すのだからと、新八に布団からけり出された所為だ。
「銀さん、神楽ちゃんは?」
銀時の布団からシーツやカバーを引っぺがすのを見ながら、銀時は事務所のソファーで大あくびをした。
「は?しらねーよ。定春の散歩じゃねーのか」
「まあ、そうなのかなと思ったんですけど…。今さっき、帰ってきたんですよ。定春だけ」
「神楽は?」
「知りませんよ。だから聞いてるんじゃないですか。出かけるとき、神楽ちゃん何か言ってませんでした?もうすぐお昼の準備の時間だし、今日は神楽ちゃんの当番なんですけど」
「…知らねー。つーか、今起きたばっかなのは、お前も知ってんだろ」
ぽりぽりと頭を掻く。
「仕方ないですから、僕、お昼の準備しておくんで。神楽ちゃん、探してきてくださいよ」
「何で俺が?酢昆布でも買いに、駄菓子屋にでも寄ってんだろ。ほっときゃ帰ってくらぁ」
「どーせ家にいても、食事の準備手伝うわけでもないでしょ。ぱっぱとお風呂にでも入って、ちゃっちゃと探してきてください。ご飯、冷めちゃうじゃないですか」
てきぱきと動き回る新八を眺め見て、すぐ横にあった定春の顎を撫でる。
「お前なぁ、飼い主置き去りにして戻ってくるなよ。ったく、飼い犬の風上にもおけね…」
言ってる途中で、ばく、と頭から上半身を齧り付かれる。
「いでででで!定春、噛んでる噛んでる!つーかコレ、犬歯が背骨に当たってるぅぅぅ!食い込んでるって、定春ぅぅぅぅl!」
ジワリと噛む力を込められて、銀時はあわてて定春の口腔内から己の体を引き出した。
「おま、これ絶対わざとだろ、定春よぉ…」
恨みがましく定春を見上げると、横を向いてクア、と大あくびなどしている。
そのクソ生意気なリアクションに、怒りのビッグウェーブ。
その怒気も、ため息をついて追いやった。
酔い明けに、生臭い自分の体。どこからどう見ても、ヨレヨレで惨めだ。
どうやら、観念して新八の言うことに従ったほうがいいらしい。
「あー、クソ。ひとっ風呂浴びて、出かけっか」
大きな伸びをして、銀時は重い腰を上げた。


神楽の居所を知っているのは、定春だけなのかもしれない。
そう思って、一緒に連れ出したはいいものの。
定春はいつもの散歩コースから始めたいらしく、冒頭に至るのである。
出すもん出さなきゃやってられっかと言わんばかりの所業に、銀時は軽く殺意を覚えるわけだが。
そうしていつものコースを回り終えて、重たいフン袋をゴミ捨て場に置き、ようやく定春は道を外れた。
「お?神楽のこと、探す気になったかよ?」
ぐいぐいと引っ張って行かれたのは、川の土手だった。
しかし、見渡しても、神楽の姿は無い。
「定春、お前もなまっちまったなー。その鼻は飾りか。モニュメントですか、コノヤロー」
ガブリと頭に噛みつかれる。
「…すんまっせーん。口が滑ったっていうか、本音が転がり出たっていうか…あだだだ!ひっぱんなぁ!これ、首伸びる!つーか、首もげるからぁぁぁぁ!」
だらだらと血が額まで垂れてきたところで、解放される。
銀時は、冷や汗と血を同時に拭いながら、周りに目をやった。
ざわざわと、足もとの草が揺れる。
足首あたりまで伸びている若草が、風に揺られているのだ。
うららかな晴天だった。
銀時は、草に腰をおろした。
足を投げ出して、後ろ手に手をつく。
ひやりと地面の冷たさは尻に伝わってくるが、それも大したものではない。
ぽっかりと白い雲が空に浮かんでいる。
「…こんな日にゃ、日傘なしに走り回りたいだろーによ」
ぽつり、呟いた。


雨の日、神楽はよく傘を持たずに家を出る。
ずぶ濡れになるのに、それは厭わないらしい。
まだ出会って間もない頃、何故なのか問うたことがある。
酢昆布をかじりながら、神楽は「空を見たいからアル」と、平然と答えた。
あんなに元気に走り回る少女に、一番似つかわしいものが彼女に相いれないというのは、どこか不自然な気がしたのを覚えている。


そんな物思いにふけっていると、突然、定春に襟首を引っ張られた。
グエ、と蛙のような声が出る。
そのままずるずると土手を引きずられていく。
「引きずんなぁぁぁ!銀さんの着物、白いんだからぁ!土の汚れ、めっちゃ落ちにくいんだから!新八に怒られるだろーがぁぁ!」
気分は、お母さんに怒られるのを恐れる子供だ。
抵抗むなしくズルズルと引きずられ、一本の木の下まで引きずられた。
そこでようやく定春の牙から解放され、惨めな気分で着流しを脱ぐ。
尻のあたりは、土でべっとりと汚れてしまっている。
う〇こを洩らしたように見えなくも無い。
怒るよりも空しくなって、銀時は肩を落とした。
「勘弁しろよ。これ、この間繕ったばっかりだぞ。365日衣替えもいらねぇ皮衣(かわごろも)のお前と違ってなぁ、大事に着まわしてんだからよぉ…この駄犬」
言ってもせんないことだと分かっていても、愚痴りたくなる。
しかし、定春は、銀時の声が聞こえていないのか、じっと上を見上げていた。
「何だ。どしたぁ?」
定春の視線を追って、自然、銀時も上を見上げる。
あらためて見上げると、見事な大木だった。
他の植物に阻害されず、すくすくと育ったのだろう。
大きく枝をはり、瑞々しい葉が僅かな風にざわめいていた。
葉の隙間から、きらきらと光がこぼれてくる。
と。
枝の隙間に、白いものがちらりと見えて、銀時は目を細めた。
大きな幹の枝分かれしている部分に、何かが中途半端にぶら下がっている。
「…まさか」
銀時は、定春の首輪に手と足をかけた。
「ちょ、お前、動くなよ?」
脱いだ着流しを腰にくくりつけ、銀時は定春の背を足場にして、木に登り始める。
だが、すぐに自分でイメージしていたようには登れず、舌を打った。
「なまってんなぁ…」
子供の頃は、木登りなど屁でもなかった。
松陽先生の授業が終わり、一人で木に登って、ゆったり昼寝をしていたものだ。
それなのに、久々に登った木は、望む場所に足場が作れず、身体を持ち上げるにも、大きな身体に枝が邪魔をして一苦労だ。
(木登りってのは、ガキの特権かもしれねぇな…)
やっとこさっとこ登っていき、ようやく目的の枝分かれの部分に到達する。
そっと、覗き込むと…。
いた。
白く見えたのは、神楽の腕だった。
枝別れの部分に身体を預け、気持ちよさそうな寝息をたてている。
風がそよぐたび、木漏れ日が白い肌を弾き、滑っていく。
(こんなところに居やがったか)
どうりで、定春が一人で戻ってきたわけだ。
一緒に帰りたくとも、呼ぶ術が無かったのだろう。
どっこいしょと、身体を持ち上げ、神楽の横に伸びた枝を跨いで座る。
多少の振動は伝わっているはずだが、まったく起きる様子が無い。
微風が肌をなでて、僅かに肌寒さを感じる。
銀時は、腰にくくりつけていた着流しを解いて、フワリと神楽の上に被せた。
ノースリーブのチャイナ服では、寒々として見えたからだ。
そうしてしまうと、完全に手持ち無沙汰になり、さっきよりも近くなった木の葉に視線を移す。
ざわざわと優しいざわめきが、耳をくすぐり、柔らかな木漏れ日が、降り注ぐ。
手元を見れば、指先に触れている木の皮。
いたずら心に僅かにほじれば、小さな虫が慌てふためいて逃げていく。
どことなく優しい気持ちになって、銀時は跨いでいた木の枝に、ゆったりと背中を預けた。


子供の頃、世界は、安らぎとあたたかな光に満ち溢れていた。
穏やかで優しい時間は、それが幸福と言う名を持つことも知らず、当たり前のように甘受していた。
あの頃の無条件な安らぎは、もう二度と、得ることが出来ないだろうけれど。


あれと同じものを、今、隣りで健やかに眠る小さな子に、少しでも届けられればいいと願っている。
そして、それを隣りで見守るのは自分でありたい、とも。
恋のように激しいものではなく、奪うものでもなく。
いま掛けてやった着流しのように、優しく包み込めたなら。
この気持ちの名を何というのか知らぬまま、ガラでもないこの胸の想いは、未だに告げられずにいるが…。
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