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 もうすぐゾゾに入る。
前方を行く彼の姿は雨に霞む。
 厳しい身分制度に追われた者達の悲しいスラム・ゾゾ。
自身を偽り守るための嘘は、やがて彼らを呪縛した。



 雨は好きだがゾゾの雨は止むことを知らない。
不衛生なスラムに雨が降れば、病が一気に感染力を強めるものだがここではそうでもないらしい。
降りつける雨が、頬を伝う水滴が鬱陶しいと感じるのさえも忘れる。
このままこの身体ごと水と共に流れて溶けてしまえばいいのに。私の過去も、・・・彼への思いも全部。
 
 「誰とも目を合わすんじゃないぞ。フードももっと深く被れ」
ロックはそういうと私の薄っぺらいケープのフードをぐっと引っ張った。
「痛い」
「あ。わりぃ」
特に痛かったわけではないのだけれど、反射的に口を付いた言葉にロックも同じく反射的に返した。
これは彼の癖なんだと思う。なにかあるとすぐこの言葉を口にするのだ。
本当に悪いと思っているかは別として、唯でさえ幼い風貌をしているというのに、そういうところが彼の人懐っこさや幼さを強調させるのだ。
「それと、上まで閉めて」
「?」
理解できない私にロックは自分の胸元をとんとんと指してみせた。
「え。・・・あ、はい」
彼の言わんとしている事をワンテンポ遅れて理解した私は、慌てて返事をした。
 ケープには楽に着脱できるようにと胸元にボタンが5つ程付いている。
普段は面倒で一つも閉めたことが無いけれど、ゾゾでは女が無暗に肌を露出させることは感心できない。
 乱世に生を受けたというのに、僅かに限られた確率の中でよりによって女として産み落とされた事を本気で悲観した時期もあった。
早熟だった私は、十を過ぎた頃には既に女性の身体をしていたのだ。剣を扱うのに邪魔な乳房を切り落とそうとした事もある。
それが五年もすれば“女の武器”と呼ばれるものになるだなんて、なんとも皮肉な話だ。
 そして今また私が女であることが面倒な事態になっているのだ。
ゾゾ山に面したこの街は常に天候が悪く、治安も頗る悪い。日常的に殺人やら強盗が発生する。強姦なんてかわいいものだ。
男に生まれていればどんなに良かっただろう。
私はそんな事を考えながら雨で濡れた指先で、彼に言われたとおり胸元のボタンをひとつひとつ閉めた。
 
「どうだエドガー?少しはマシになっただろ」
ロックは私の両肩をぽんと叩いてからそのままぐるっとエドガーとカイエンの方に向きなおさせた。
私は水の滴る前髪を掻き分けるとそのまま少し俯いた。
ロックのバカ。エドガーにそんなこと聞いたって返ってくる答えは予想できるのに。
「うーん、際どい感じは無くなったけど、やはり内から滲み出る美しさまでは隠しきれていないな」
・・・ほら。こんな街でこの優雅な笑み。・・・カイエンだって呆れてるじゃないか。
カーキーの膝まであるケープをすっぽりフードまで深々と被った私は、きっと酷く間抜けに見えるに違いない。
まぁ、それはある意味狙い通りなんでしょうけど。
 私は深く被ったフードの影からロックの姿を盗み見た。
雨水を含んだ彼の髪は、いつもより濃い色をしている。極めて黒に近い・・・薄灰色というのだろうか。
まるで私の心のようだ。彼への想いは、極めて黒に近い。 なんて厄介な感情なんだろう。

 「おい、聞いてんのか?」
私を現実へと呼び戻したのはロックの声だった。
急いで焦点を合わせると端整な顔が私を覗き込んできた。いきなりの出来事にぎょっとする。
いつの間にかバンダナを外したロックは濡れ髪をかき上げていた。
濡れた毛束から止め処なく滴れる雨水に、それが伝う首筋に、鎖骨に、…彼自身に、私は釘付けになっていた。
目の前に居る男は、普段の彼からは想像できないくらい艶かしい。これが男の色香というもの?
その髪に触れることが許されるなら・・・、

・・・私ってば一体何を考えてるんだろ。
私は悪くない。ロックのせいだ。全部この男がいけないんだ。

「セリス??どうした?」
「・・・別に。」
「変なヤツ。ほれ、行くぞ」
「ぅわっ」
ぽんと小気味いい音と共にお尻を叩かれた私は、反射的に何とも間の抜けた声を上げた。
それでも、間違って可愛らしい声を上げなかったコンマ数秒前の自分自身を大いに褒めてあげたい。
ややあって自分の失態に気づいたロックは、顔を真っ赤にしながら早口で捲くし立てた。
「わわわわわりいっ、手が勝手にっ!じゃなくて!ついノリでっていうかそこにお前がいたからっていうか何も考えてなかったって言うかなんていうかホントにごめんッ」
そこに私がいたから?なにそれ。
あまりにも必死な彼にこっちまで気まずくなってきてしまう。何ともなかった私の頬は一気に熱を帯び始めた。
きっと耳まで真っ赤になってるんだ。…恥ずかしい。
「…気にしないで」
平静を装いそう搾り出すと、私は市街へと大股で歩き出した。
 後ろから、エドガーがロックをからかう声と、堅物のカイエンが「年頃の娘にあのような事をするとは怪しからん」と説教を垂れているのがはっきりと聞こえた。
そこから逃げ出すように、ロックは小走りで私の元へと駆け寄った。
「あの、お前と俺と、二人行動なんだけど」
「え?」
「はは。やっぱりさっきの聞いてなかった」
さっきの?…ああ、私がロックに見惚れていたときの事か。確かに何も聞いていなかった。いや、ちょっとまって。
見惚れていた? 私が? この男に? そんな馬鹿な。
少し、ほんの少し驚いただけだ。今日の彼はいつもと違いすぎる。
まるで知らない誰かみたいだ。それは彼の悲しい過去を知ってしまったからか、それともただこの雨のせいなのか、はたまたその両方なのか、弱輩者の私には判らない。
「ちゃんと聞いてたわよ」
嘘八百を唱えると、いつの間にか歩調を緩めていた私たちにカイエンとエドガーが追いついて来た。
「さあ、先を急ぐでござる。一刻も早くティナ殿を見つけなければ」
追い抜きざまのカイエンの台詞が身に沁みる。

 ゾゾの中ほどまで進むと然程大きくは無いがこの街の広場のような所にでた。
脇には酔いつぶれて喧嘩でもしたのか、血を流し倒れた男がわけの分からない事を延々と叫んでいる。
その二軒ほど離れた建物の軒下では、半裸の少女がうつろな瞳でこっちを凝視していた。
『誰とも目を合わすんじゃないぞ』
私はロックの言葉を思い出し、視線を足元に戻した。
こんな薄気味悪い街のどこかにティナが居る。
ゾゾに入るまでは痛いくらいに感じていた彼女の魔力も、恥ずかしいことに今の私には微塵も感じ取ることが出来ない。
それはティナの暴走が治まったことを意味する。
ここに彼女を介抱してやるほどの余裕のある人間が居るとは思えない。だとするときっとティナは一人ぼっちで脅えている。
『一刻も早くティナ殿を見つけなければ』
カイエンの言葉が頭の中で反復される。
可哀想なティナ。あなたはどこにいるの。・・・早く、見つけ出さなくちゃ。
「セリス、私たちはこっちから行くから。ロックと二人で後は頼んだよ」
「はい」
私は短く返事をすると気を引き締めた。

 「ああそうだ」
別れ際にエドガーは振り返ると何かを思い出したようだった。
と、思ったけれどそうじゃない。不気味なくらいにこにこと笑って手を振っている。
「ロック、後になって『もう食っちゃいました』ってのは反則だからな」
足早に街中へと消えて行く彼らの背中に、一呼吸おいてロックが大声で怒鳴る。
「ば、バッカ! なに訳わかんねーこと言ってやがんだ、このクソ国王ッ!!!」
もう聞こえてないでしょうに。
「…ロック、ここで“国王”はマズいわよ。 で、何をたべちゃったの?」
「まだ食ってない!!」
そういうと彼はハッと口元を押さえた。
「なに?」
「何でもない。」
ロックは少し怒った様子でズカズカと歩き出した。
私は訳も解らないまま、その雨にぬれた後姿を追うのだった。




Theme:恋したくなるお題「ときめき10の瞬間・濡れ髪の君は別人のよう」より

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