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□真琴
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「あははっ、こら、だめだって」
現在真琴は、絶賛大嫉妬中である。
「まーこーとー!」
楽しそうにきゃっきゃと名前を呼ぶ千晴は、心底楽しそうに目の前の犬に夢中だ。
そう、千晴が相手にしているのは犬だった。
まこと、という同じを音を持つその犬は誠くんという名前で、千晴と真琴が暮らすマンションのお隣さんが飼っている。
もとより動物好きな千晴がその犬にめろめろになるのに時間は要らなかった。
しかも何の因果か、その犬はゴールデン・レトリーバーだった。
渚に「まこちゃんって、ゴールデン・レトリーバーみたいだよね!」と言われたこともしばしば。
しかもそれに千晴も賛同していたのだ。
そんな自分にそっくりと言われる犬を、千晴はこれでもかと可愛がっている。
真琴ではなく誠を、千晴は猫なで声で撫ですかして、褒めている。
顔中を舐められて喜んで、鼻っ面を身体中に押し付けられてもくすぐったそうに笑うばかりだ。

「可愛いなー、お前!うりゃぁ〜」
真琴にもあまり見せてくれないハイテンションぶりに、恋人であるという自信が揺らぎそうになるのを感じる。
犬に脅かされる自信って何だ……と、真琴は遠い目をした。

更に困るのが、真琴がこの犬を憎めないことだ。
真琴の嫉妬の視線を浴びて真琴を警戒してくれればまだ、可愛げがないと拗ねられたのだ。
しかし真琴が元来動物に好かれやすく、またこの犬も人が大好きなこともあって、真琴にも千晴へ向けるのと同じくらいの好意を以て舐めてきてくれるから、本当に困っている。
これじゃあ真琴の一人相撲じゃないか。

千晴は犬の誠に嫉妬してくれないのに、真琴だけが犬にヤキモチを焼いている。
でも、懐いてくれるから可愛い。
そんな自身の葛藤でぐるぐると思い悩む真琴のことなど露知らず、千晴は純粋に犬との戯れを楽しんでいた。


べたべたの顔と毛だらけのセーターのままで、千晴は真琴と家路についた。
「はぁ〜……ほんっとに可愛いなぁ、まこと」
ぴくり、と反応してしまうのも無理はない。
「あ、犬の方ね」
「わかってるよっ!」
このやり取りをもう飽きるほどしているから、真琴も頬を膨らませて応酬した。
「やっぱり、おれ達も犬飼おうよ」
「絶対、だめだからな!」
「えー、真琴のけち」
隣の家の犬と戯れる姿を見るだけでこんなに悋気を起こしているのだから、飼ったりなんかしたら主人(千晴)争奪戦になることは目に見えている。

「犬のまことは可愛いのになぁ」
「それどういう意味だよぉっ」
真琴は目尻を垂らしながら悲痛の叫びをあげる。
他の犬に取られているご主人様を健気に待つ忠犬に、そんな無体を強いるとは。
っていやいや、俺は犬じゃないから!と真琴は脳内で妄想を蹴散らす。

最近はそれぞれが試験勉強やアルバイトが忙しかったせいで、恋人らしい触れ合いもしていない。
それでこんなにフラストレーションが溜まっているのかと、真琴は今更ながらに自覚した。
ずっと昔から、千晴に触れて抱き締めないと気が済まなかった。
それこそ告白する前だって、千晴の肩に手を置いたり、腰に手を回すことだって無意識にやっていた男だ。
恋人として全てを知り尽くした今では、触れられないこと自体がストレスになっていた。

帰路の途中でようやくそのストレスに気づいた真琴は、玄関に入るやいなや、千晴を後ろから抱き締めた。
「ん?どうしたの」
「……千晴」
キスをしようとそっと顔を近づけると、思いっきり千晴に手でガードされてしまった。
「犬は良いのに俺は駄目なの?あんまりだ!」
「キスは駄目。犬にそこらじゅう舐められたんだからちゃんと洗わないと、病気になる可能性だって無くはないんだから」
どうやら拒絶じゃなく、真琴の身体を心配してくれたようだ。
なんだ、そういうことか。
途端にコロッと表情を変えた真琴に、千晴は内心少し溜め息をついた。

こんなことでコロコロと機嫌を変えて、疲れやしないのだろうか。
最終的に折れて、よしよしと慰める自分に、時々何やってんだろうと思わなくもない。
この一連の流れは物心ついたときからやっていて、少なくても15年近くはやって来ている記憶がある。
真琴の変わりやすい表情のほとんどを自分が作り上げているのかと思えば、何だかんだ千晴も満更ではないのだが。

真琴が嫉妬して拗ねて、千晴が慰める。
何千回も繰り返してきたそれは、またこれからも何万回と繰り返していくんだろう。
時々は千晴が真琴の泣き落としに負けずに、真琴が折れる時もある。
そうやって少しずつお互いの心を紐解いて、新たに結んでいく。
そんなことを出来るのは、したいと思えるのは真琴くらいとだろうなぁ、と千晴は一人で感慨に耽っていたのだが。

「じゃあ、お風呂入ろっか」
「は?」
「俺が全部洗ってあげる」
「ちょっ、ま……」
「全部綺麗にしたら、キスさせて?」
犬に触れられていない頭のてっぺんに口付けを落として、真琴は千晴を浴場まで攫った。


そして強引に、だけれども繊細に頭からつま先まで綺麗に洗われてしまった千晴は、真琴のキス攻撃を喰らっていた。
「んむ……っ、」
タオルドライしただけの髪がしっとりと真琴の首筋に貼り付いている。
こんな情景だけで千晴はムラムラしてきてしまって、自分も真琴に付き合っている内に欲しがりになっていたのだと実感する。
そのぺったりと貼り付いた髪を散らすように真琴の首筋に縋り付いた。
下着も何も身に付けていない裸体を絡ませ合って、千晴はベッドに押し倒された。

「千晴……」
欲の滲む瞳を向けられ、狙われた獲物のように千晴は動けなくなる。
普段はふにゃりとした笑顔で人々を魅了する真琴の、雄らしい顔つきが実は好きだ。
試合の時の真剣な表情とも違う、色の乗った瞳を向けられるのは自分だけ。
誰にともつかないその優越感に、ぞくりと肌を震わせる。
無駄のない筋肉がしっかりと付くべき所に付いていて、男としても競泳者としても憧れる体躯。
その力強い男が、今から自分を激しく抱くのだと思えば、期待でごくりと喉が鳴った。


「まこと、」
強すぎる視線に嬲られて既に肌をさざめかせている千晴は、とろりと甘い声で真琴の名前を紡ぐ。
こうしてお互いの名前を呼ぶことは、いつしか行為の始まりの合図となっていた。
引き寄せられるように唇を重ね、その先の甘い舌を味わう。
ぬるりと口内で蠢く熱が、千晴の思考を溶かしていく。
もう既に知り尽くしている場所をもう一度暴くように、しつこく丁寧に歯列をねぶられて、舌の形を確かめるようになぞられる。
そんなことをされたら、もう千晴はか細い鳴き声をあげる事しかできない。

「ンっ……んぐ」
舌で濃厚な愛撫をしながら、真琴の指先は勝手知ったる千晴の胸の尖りを抓んだ。
微かな千晴の喘ぎは、真琴の口内に飲み込まれて消えてしまった。
ぴくっと敏感な身体が反応したせいで、真琴は勇気を貰って白い首筋に跡を残す。
「あっ、こら……っ、跡つけちゃ駄目だって、ば……!」
「犬に言うみたいに言うなって」
「んゃ、まことっ」
「それって犬のこと?」
「ばかっ、犬は舐めるだけで跡なんかつけない……!」
何年もずっと言い含めているのに、真琴はキスマークを残すのを諦めない。
犬の方がよっぽど躾けやすい、と千晴は頭を抱えているのだが。

「ぷっ……」
「笑う所じゃないだろぉ〜!?」
「違う違う、やっぱり真琴だなって思って。真琴って、ブレないよね。うん、そこが好き」
「へっ?」
掴まれていた腕の拘束を解いて、真琴のまだしっとりと濡れている髪を梳くように撫でて、ふふっと口元を綻ばせる。
「『おれの真琴』が犬に負けるわけなんてないのに」
馬鹿らしくて、子供くさくて、そこが可愛い。
自分だけを一心に愛してくれる存在は実はかなり貴重で、その事実を改めて実感すると、得も言われぬこそばゆさがムズムズと胸を掻き立てる。
こんなくすぐったさを真琴にも知って欲しい。
いつも何かに嫉妬する真琴を、それでも結局愛しく思っているのだと。


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