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□真琴
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・上京後


休日に二人で家の近所を散歩していると、普段は歩かない通りに花屋を見つけた。
よく駅前で見るような豪奢な大輪が所狭しと並べているような外観ではなく、緑を基調とした森を思わせる佇まいだ。
店の中は緑で鬱蒼としていて少し入りづらい雰囲気を醸しているが、探検が始まりそうで奮い立つような不思議な感覚をもたらす場所だった。

二人で立ち止まってしげしげと観察する。
「すごいなぁ」
「本当だ」
鉢の中の土に植物の名前を書いたカードが刺さっているが、素人目にはよく境目が分からない。
「こういうの、家にあると良いかもしれないね」
「そう?」
「まあ、かなり簡単に育てられるやつじゃないと枯らすことになっちゃうか」
ああいうのとか、と千晴が指差したものは壁に掛けられて枝垂れた葉だった。
たしかに千晴と真琴が一緒に住んでいるアパートの白壁には映えそうな緑だった。
とはいえ、あの植物がどれくらい手間が掛かるかわからない。
真琴がぼんやりと見つめていると、千晴は気が済んだようで歩き出した。

「真琴?」
「あっ、うん。今行く」
千晴に呼ばれた真琴はすぐに長い脚で追いついて暫く散策し、たまたま見つけた中華料理屋で昼食を食べた。



それから一週間後。
ゼミ仲間と遊び倒していたらもうかなり遅い時間になっていた。
帰り道が同じ方向のグループに分かれて帰途につき、談笑しながら歩いていると件の花屋を見つけた。
縫い止められたように足が動かなくなり、真琴はまたしてもポカンと口を開けたままその店に見入った。
声を掛ける友人の声に我に返ると、その場で別れてすぐに店の扉をくぐった。
夜なので店内はライトが光っていて、あの時と同じ店とは思えなかった。
すみません、と声を掛けると中年の細身の女性が顔を出す。
ちょっと怪しい雰囲気があったから、もしかしたら髭もじゃの男の人が出て来ると思ったが、そこまで奇怪ではなかったようだ。
なんだかひどく安心してどっと肩の力を抜いた真琴は、笑みを浮かべながらあの植物の事を話した。

「アイビーが欲しいんですが」
「ありがとうございます。一株で良いでしょうか?」
「あ、はい」
初心者が数を増やして手に負えないと困るし、まずは育ててみて、もう少し欲しいと思ったら買えばいい。
これをプレゼントしたら、千晴はどんな顔をするだろうか。
思わず口元を緩めると、その機微に敏く気付いた店員がニコリと話しかけてきた。
「プレゼントですか?」
「あ、いえ。家に置こうかと思ってるんですけど」
「もしかして、プロポーズとか?」
「へっ」
「うふふ、お兄さん若そうだし、さすがにそれは無いですね」
失礼しましたとお茶目に謝る店員に、真琴は聞き返す。

「あの、どうしてプロポーズなんですか?」
「アイビーの花言葉、『結婚』っていうんですよ」
その単語にドキリと胸が高鳴った。
真琴と千晴の関係はそこまでおおっぴらにはしていない。
だから二人の関係に公的な名前が付けることができるとは思いもよらなくて、真琴は声を呑み込んだ。
「あ、あはは、さすがにまだ結婚は早いですね」
「そうですよね、すみません」
快活に笑う店員とは裏腹に、真琴の胸中は荒れていた。
そんな意味深な植物を買って、千晴に知られたらどうしよう。
真琴はずっと千晴と一緒に居たいと願っているけれど、それと結婚は別物だ。
決して逃げているわけではない。社会人になってきちんと自立できてから自分たちの責任で決めるものだと思っている。

でも、だけど。
どうしようかと考えている間にもするすると美しい包装が出来上がっていく。
思考がまとまらないうちに金額を提示され、真琴は肚を括ってそれを買った。
「まあ、普通の観葉植物だし、千晴も飾りたいって言ってたしな」
帰り道、緊張をほぐすように自分にそう言い聞かせる。


家に着くと今日の夕飯当番の千晴が野菜炒めを作っているところだった。
「千晴、ただいま」
「おかえり、真琴」
「……これ」
簡単に包装されたそれを渡すと、千晴はコンロの火を止めて中を開けた。
「あっ、もしかして、この間の?」
「うん、そう」
「買ってきてくれたんだ、ありがとう」
「鉢植えにしてもらったけど、壁にも掛けられるからその時はまた聞きに来てくれって言ってた」
「壁の方がスペース取らなくて良いかもしれないね。上手く育てられたら壁掛けタイプにも挑戦してみよう」
「そうだな」
店員に聞いた水やりの方法を教えながら、真琴は配膳を済ませて二人で食卓に着いた。
食後の片づけを終えると、早速千晴がアイビーの包装を解きにかかる。
「近くで見ると、葉っぱがもっと濃く見えるね。へえ、アイビーって言うんだ。この間名前見忘れたなーって思ってたんだ」
アイビーに関する簡単な説明書きと、水のやり方についての紙をふんふんと頷きながら読んでいる。
「ネットになら、もう少し詳しい生態載ってるかな?」
「ん!?あ、うん、そうかもしれないな」
このご時世、ネットではごろごろと情報が出てくる。『アイビー』で調べたら、もちろん花言葉も出てきてしまうだろう。
そして花言葉が『結婚』だと気付かれたら、真琴が気付いて尚買ったと知られたら。
どう思うだろうか。嫌われはしないだろうけど、『まだ早い』とか、もしかしたら『え、結婚したいの?』とか言われそうだ。
ロマンチストの真琴と反して意外に現実的な千晴は、結構ぐっさりと刺さる言葉を放つ事がある。
男女間でさえナイーブな問題だ。自分たちの場合にはもっと話し合うべき点がたくさんある。
花言葉に浮かれて買ってくるなんて……と怒らせてしまうかもしれない。
いつ千晴が花言葉を知ってしまうのかが怖くて、真琴はビクビクすることが増えていった。


***


おかしい。
千晴は一人、ソファで難しい顔をしていた。
見れば見る程、真琴の挙動がおかしいのだ。
最近、千晴が真琴に話しかけたり、携帯からパッと顔をあげたりするとビクッと一瞬怯える素振りを見せる。

真琴を怯えさせるようなことでもしただろうかと頭を捻るも、自覚が無いので思い当たる節も無い。
真琴はいつも千晴の挙動を気にしてはいるが、ここまでおかしな風に注視されるのは初めてだ。
最初に視線に気づいた時にどうかしたのかと問うたが、何でもないと首を振るだけだった。その時はそうかと納得したものの、似たような事が何度も続けば疑問が湧き出るのは当然だろう。
真琴は「何でもない」の一点張りだ。何でもないなら何故見るのか。
せっかちではないがそこまで気も長くない千晴は、ひとつ頷いてバイト終わりの真琴の帰りを待った。




「ただいまぁ」
「おかえり」
ベッドヘッドに寄りかかって本をを見ていた千晴は、真琴の帰宅を合図にリビングに進む。
「ご飯は?」
「休憩時間に食べたから大丈夫」
真琴はすぐに風呂場に行ってシャワーを浴びた。
千晴は再びベッドに戻って読書を再開する。
風呂から出て寝る準備を終えた真琴がベッドにのそりと入ってきた。
千晴は読みかけのページに栞を挟み、本をパタンと閉じた。
しかし千晴はまだ眠るつもりはない。
「真琴、今日はおれが腕枕してあげる」
「えっ」
腕枕をするのが好きな真琴はあまりされる側をしたことが無い。
それでも千晴と密着できるのは好きなようで、真琴は喜色を浮かべていそいそと頭を千晴の腕に乗せる。
今はやめているとはいえ、もともと水泳部だった千晴だ。
真琴のような逞しい筋肉からは程遠いのは自覚している。とても悔しいが。それでも、ヒョロヒョロではない。
千晴の腕の感触を堪能する真琴は、ふにゃふにゃとだらしない顔で幸せに浸っている。
千晴が指先で真琴の髪をくすぐるように梳く。とっておきの甘やかしに真琴が気を緩めているのを察知した千晴は、ようやっと本題を切り出した。

「真琴。最近変だけど、何があったんだ?」
「へっ?」
ふにゃりと軟体動物のようにベッドに身を任せていた真琴が、緊張で硬くなるのがわかる。
ええと、と言葉を絞り出そうとする真琴に追い打ちをかけた。
「何でもなくないのは知ってるから」
「う……」
「おれに誤魔化しが効くと思う?」
眉を下げた真琴があぁだのうぅだのと呻きながら顔を赤らめていく。
てっきり疚しいことを隠しているのかと思った千晴はその反応に拍子抜けした。
真琴に限って色恋絡みの問題ではないと思っていたが、金銭や人間関係のトラブルでもあったかと実は心配していたのに、この様子だとそうでもなさそうだ。
「……呆れられるかも」
今更何をいってるんだと笑おうとしたけれど、真琴をこれ以上追い詰めるのも憚られた。
「うーん、まあ呆れるかもしれない。でも愛想は尽かさないから大丈夫、言って」
前半部分で絶望した顔をした真琴だが、後半の言葉に背中を押されたようだ。

「……アイビーの花言葉、知ってる?」
「え?知らないけど、それが理由?」
花言葉が何だというのだ。真琴の言葉の意図が掴めず、千晴は首を傾げる他なかった。
気にしいの真琴のことだ。離別だとか今生の別れだとか、そういう類の言葉でもあったのだろうか。
俺たち別れないよな!?と涙目で縋ってくる姿を簡単に想像できてしまう。
「お、俺も買うまで知らなかったんだ!本当に!」
「うんうん、それで?」
いいから早く結論を言えと言わんばかりに千晴が発言を流す。
「花言葉……、『結婚』らしいんだ」
「うんうん、それ、でぇ?」
あまりにも予想から掛け離れた答えに、千晴はつい変な声を出してしまった。

「え、花言葉が『結婚』で?それで真琴が挙動不審な理由は?」
「挙動不審って、酷くないか!?」
「挙動不審だっただろ。おれが携帯見たり話しかけたりするたびにビクビクしちゃってさ」
「そうだけど……」
「で、挙動不審と花言葉に何の関係があるの」
「……結婚っていう意味があるから、俺たちと重ねちゃって……」
真琴がもごもごと言いづらそうに言って、そして怒られる前の犬みたいに情けなく眉を下げながら千晴を見上げた。
「千晴がこの意味を知ったら、買ってきたことをどう思うか気になったんだ……」
それでソワソワと落ち着きがなかったのか。
千晴は一瞬言葉を失った。というか、真琴の思考が乙女寄りな気がするのは気のせいだろうか。
花言葉で一喜一憂するなんて事なぞ、千晴はしたことがなくて、どうフォローすればいいのかわからない。

「もしかして、おれと結婚したいの?」
だから、思わず素直な気持ちを吐き出してしまった。
千晴が目をまん丸にして驚くものだから、真琴の眉がまた一段と下がる。
「俺と結婚したくなんか無いってこと!?」
真琴の顔が一気にサッと青ざめて、千晴は失言したとすぐに気づいた。
千晴にとっては取るに足らないことが、真琴にとってはかなり重大なことが多い。これもその一つのようだ。
「いや、結婚ってまだ早くないか?そもそも学生だし、卒業もまだしてないし。卒業したら就職だよ?」
あと数年先まで予定がぎっちり詰まっているというのに、これ以上イベントを入れる気か。

真琴はいっそ涙目になりながら、一蹴されて傷ついた心を持て余す。
「就職したらしばらくは忙しいだろうし、二、三年は下っ端としてこき使われるかもしれない」
「うぅ……わかったよぉ」
もうこれ以上傷を抉ってくれるなと真琴は唇を尖らせた。
「だからね、真琴」
じんわりと涙がにじむ真琴の目尻を、千晴の温かな親指が拭った。

「就職して数年して落ち着いてから、プロポーズして」
あっけらかんとした物言いなのに、言葉は想像できないほど突拍子で、真琴は開いた口が塞がらなかった。


「ど、どういう……意味?」
「そのままの意味」
「へ?」
「いや、想像したらしっくり来たんだよね。おれがおじさんになっても、おじいさんになっても、真琴が笑って隣に居るのがさ」
真琴の想像より柔らかいほっぺたを軽くつまんで、口角を上げさせるように上に引っ張った。
途端に真琴は千晴の胸板に鼻先を擦りつけて顔を埋めた。

「真琴?」
千晴が声を掛けても、真琴は顔を上げなかった。
ズッ、と洟をすする音がして、千晴は目を細めて真琴の髪を指先で梳いた。

昨日よりも、もっと真琴を好きになっているなんて実感は無い。
それでも、きっとこのくすぐったい気持ちは無くなる事はないんだろうという、確信はある。

「まーこと」
形の良い頭をそのままなぞるように撫で下ろす。
「蘭と蓮が成人してからでも良いけどね、結婚するの」
千晴からのダメ押しの一手で、とうとう真琴は涙腺を決壊させた。
千晴が真琴の泣き顔を拝もうと欲を出したものだから、真琴はヤケになって千晴を自分の胸にしまい込んだ。

「さっきの言葉、絶対に忘れるなよ?」
「おれが忘れても、真琴が覚えてるから大丈夫」

千晴の得意げな顔に、真琴はまた唇を尖らせてじわりと熱くなる目をギュッとつむった。

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結婚というキーワードで書かせて頂きました。
未来はわかりませんが、結婚してもしなくてもこの二人はずっと一緒にいると思います。
アキラ様、企画へのご参加ありがとうございました!
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